知りたいって原動力じゃない?/鍼灸師:鈴木 寿文

津田先生の紹介でインタビューに来たのですが、実は鈴木先生と私は東京医療専門学校の夜間専科の同級生です。
出席番号も前後で、3年間一緒の教室で学んでいました。

今回は専門学校を卒業して、その年の4月に個人で鍼灸院を開業。
それから10年以上、順調に経営を続けている鍼灸師さんということで、お話を伺いたいと思います。

鈴木先生は近隣の総合病院と地域医療連携をされています。
特に産婦人科領域で統合医療を実践されていて、逆子(骨盤位)などの胎位異常の妊婦さんが病院からの紹介で来院されているそうです。

鈴木 寿文(すずき としふみ)先生

2007年3月 東京医療専門学校 卒業
2007年4月 恬愉堂鍼灸治療院 開院
2009年6月 医薬品登録販売者 取得
2014年9月 人間総合科学大学(人間科学部人間科学科 ※編入)卒業
2019年3月 明治国際医療大学大学院(鍼灸学研究科 ※博士前期課程)卒業

10代 高校を卒業して就職

鈴木先生は鍼灸の専門学校に入る前は、何をなさっていたんですか?
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
ぼくは、まず電力会社に勤めました。そこを3年で辞めて、バックパッカーと音楽漬けの生活を送っていました。
若い頃は自由に過ごしていたんですね。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
なぜか「30歳までは好きなことをやり通す」って思っていて。
でも、いざ30歳になってみたら、音楽もうまくいっていないし。こんなプラプラしてたらマズイなって思ったんです。
30歳になったら、ちゃんとしようと思ってた?
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
そうそう。でも、会社員には向かないというのは、電力会社時代にわかっていたから。
「仕事をするにしても、好きなことをやりたいな」って、当時から感じていました。
その電力会社の3年間は、しんどかったんですか?
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
それは全然しんどくないですよ、ただ普通なんです。
普通って?
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
ある日「ぼくの代わりってたくさんいるんだ」って気付いてから、電力会社の仕事が嫌になっちゃった、というだけ。
ブラックだったとか、環境的にキツかったとかじゃないんですね。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
うん、違います。すごくいい企業ですよ。
だから辞めることを母親になかなか言えなかったんですよ。
辞める1日前にやっと「ごめんなさい、辞めます」って電話で言えました。
自分の代わりがいない仕事を求めていたのでしょうか。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
「ぼくにしか出来ない何か」を求める気持ちが、根底にはあった気がします。

20代 音楽と旅

音楽の話を聞かせてください。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
ぼくは音楽では、うまくいかなかったんです。悔しい思いもたくさんしました。
本格的に音楽で食べていこうとしていたんですか?
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
…というか20代のときは好きな音楽に、ただドップリと浸かっていた感じですね。
あはは、それはカッコイイなぁ。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
ぼくはブルースの中でもカントリーブルースというジャンルの音楽をやっていました。
ギター1本で、親指でベースを弾いて、人差し指でメロディー弾いて、バーをつけてスライドさせて…っていう奏法をするんですけどね。
それは、ひとりで演奏するんですか? バンド形式?
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
バンドをやっていたこともあったけど、1人でやるほうを最終的には選んでいました。
そうね、協調性に欠けるみたいなところが、やっぱりあるんじゃないかな。
ふふふ(笑)。わかる気がします。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
当時のカントリーブルースは一部でジワジワ盛り上がってきたジャンルでした。
でも、一般性は全然なかった。
正直言って、カントリーブルースがメジャーになるイメージは全然ないです(笑)。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
でしょ(笑)? 出発の時点で間違えているのに、その履き違えた道を突きつめようとしていたからね。
カントリーブルースを仕事にするのは厳しそうですね。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
これを鍼灸に置き換えるとね。
経験の浅いうちから「自分のやりたいこと」だけを押し通していこうとすると、こうやってドツボにはまっていくという教訓にもなるんですよ。
ドツボ(笑)。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
世の中のニーズと、自分のやりたいことがかけ離れている状態でね。
何となく「いけるんじゃないか? 」というイメージだけで突っ走ったあげく、ドツボにはまるっていうのはよくある話なんじゃないかと思いますね。
この時の挫折が、その後の鍼灸人生で実を結んだ、と。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
振り返った今だから、そうとも言えますけど。
当時は危なっかしいこと、この上なかったですよ。
20代のときはバックパッカーもしていたんですよね。思い出に残っている旅はありますか?
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
そうね…たとえばアメリカ横断したり。
どうやって横断したんですか?
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
お金が無いからグレイハウンドという格安の長距離バスで西海岸から東海岸へ移動しました。
えっ、バス? バックパッカーはバス移動が多いんですか?
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
というよりは、アメリカの最下層の人がバスを利用することが多いです。
安いから、お金の無い人はそういうのを使います。
なにか危ない目にもあったりしました?
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
うん、鉄パイプ強盗とか。
それはすごい経験ですね。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
日本では危ないから行っちゃだめと言われた場所でも、まぁ大丈夫じゃないですか。
命までは奪われないだろうって思います。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
ちょっと旅慣れてきたし、英語も上手くなってきたし、ガイドブックには『ここ行っちゃダメ』って書いてあるんだけど、行けるんじゃねってなりますよね(笑)。
うんうん。慣れてきたし、たいして危なくないかもって。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
その油断から強盗に遭いました。強盗する方もある程度はリスクを負っているわけで、お金が無かったら嫌じゃないですか。
う、うん。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
その時たまたま300ドルくらいキャッシュで持っていたので、それでどうにか助かったんですけど…。
頭をかち割られてたら終わりでしたね。
「ニューオリンズで邦人死亡、強盗被害か?」なんてニュースになっていたかも(笑)。
はぁ、いろんな目に合ったんですね。当時は何カ国ぐらい行ったんですか?
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
ぼくは東南アジアが多くて、インドとかネパールとかチベットとか。
タイとか、カンボジアとか、いろいろ行きましたね。
羨ましいです。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
お金がなくても世界を放浪したいなら若いうちにやっておくのがいいかなと思います。
20代の頃は、30歳まで遊ぶって決めていたから、好きなことだけやっていました。
若い時にしか出来ないことってあるんでしょうね。
ウラベ
ウラベ
鈴木先生
鈴木先生
それこそ20代を頑張ってこられた方って多いと思うんですけど、ぼくはずっと遊んでいましたから。
そろそろ巻き返さないと、まずいよねって(笑)。

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