お灸は私の生きる道/鍼灸師:越石 まつ江
越石まつ江先生が、東京都練馬区桜台に鍼灸院を開業したのは40年以上前のこと。
以来、お灸でたくさんの人を治療しながら、越石式紫雲膏灸を伝えるセミナーにも積極的に取り組んでいます。
意外にも開業当初は1カ月で5000本の鍼を使うほど、多くの鍼を打っていたという越石先生。
灸のみの治療に切り替えた背景や、「お灸がなければ生きていけなかった」と振り返る激動の人生について、お伺いしました。
越石 まつ江(こしいし まつえ)先生
越石鍼灸院院長
略歴
昭和43年 立正大学仏教学部 卒業
昭和57年 日本鍼灸理療専門学校 卒業
東京都練馬区に「越石鍼灸院」開業
故安藤譲一先生に師事(紫雲膏灸習得)
平成11年 全日本鍼灸学会認定鍼灸師
平成27年 モクサアフリカ主催 越石灸セミナー( inイギリス)講師
平成28年 WFAS(世界鍼灸連合会学術大会)実技セッション講師
DVD「越石式灸テクニック」出演
鍼も灸も「野蛮な治療だ」と嫌っていたけれど
越石先生は長年にわたって、ほぼお灸のみで数多くの患者さんを治療しながら、セミナーで後進の育成にも力をいれていますよね。先生のお灸にはどういった特徴があるのでしょうか。
疾患に応じて9種類を使い分けているんです。糸状灸だけでも6種類、多壮灸で3種類。そこが大きな特徴かもしれません。
糸状灸で6種類ですか。かなりソフトな温度の中でも工夫しているということですよね。
灸治療は「ちょっと火傷するぐらいが効く」という考え方をする先生も多いじゃないですか。なぜ、今のスタイルにたどり着いたのかが気になります。まず、先生とお灸の出会いから聞いてもいいですか。
もともとは、元夫の母が鍼灸師だったんです。それはもう熱いお灸をやっていて…患者さんは「熱い」「熱い」って騒いでいました。
身近にお灸があったわけですね。それで自分もやってみようと?
いえいえ、当時は嫁の立場でしたが、「お灸をやるのは野蛮人じゃないか」と思ってました。鍼も中国鍼みたいな太いのを使っていて……。姑は鍼1本あれば日本中の患者さんを治療して「家なんか何軒でも建てられる!」っていうくらいすごい人だったんですよ。
かっこいいけど、私は当時、鍼灸のことを嫌っていましたね。そのことを家族もわかっているから「鍼灸をしてあげようか?」と言われることもありませんでした。ただ、妊娠中に、あまりにもつわりがひどくて…。試しに自分で鍼をやってみたのです。
鍼を両方の首に浅く刺してみたら、目がパッと明るくなって、スーッと気持ち悪さが取れたんです。こういう優しいので効くのなら、面白いなと思いました。
その出来事がなかったら、今はないです。子どもが幼稚園に入ったら「鍼灸の学校へ行ってみようかな」って思うようになって。下の子が年長さんになったときに、花田学園に入ることにしました。
離婚してシングルマザーとして鍼灸院開業へ
専科だったので9月に卒業して、11月には開業しています。卒業した頃に夫とは険悪になっていて、別れることになりました。それで夫からは一銭ももらわず、「てやんでい」って感じで、子どもたちを連れて家を出ました。
開業する前から、すでに激動の人生ですが…。その時点で「鍼灸師としてやっていける」みたいな確信はあったのでしょうか。
いえいえ、ありませんでした。でも私なら大丈夫だろうっていう予感もあったんですよね。
今となっては、その決断が正しかったとわかるんですけど。卒後すぐの開業は、なかなか不安で踏み切れない人も多いと思いますが…。
もちろん、不安はありましたよ。そのために周囲の人たちがいるわけじゃないですか。
学校を卒業するときに「私、卒業しても何もできないわ」と先生に相談したら、「じゃあ、安藤先生のところにでも行くかい」って勧めてくださって、すぐに行くことにしました。安藤譲一先生は当時、花田学園の教員をされていて、私が卒業する頃には副校長を務められていました。
なるほど。先生にストレートに相談してみる、って案外やらないのかもしれませんね。
「一人で全部何とかしよう」と思えば、そりゃなかなか踏み出せませんよ。安藤先生のところに通って助手のようなことをやりながら、開業しました。でも、患者さんが全く来なくて…。
お子さんもいるとなると、経済的に不安な状況ですよね。実家の援助などは受けなかったんですか。
心配させたくなくて、当時は両親にも離婚を黙っていましたからね。開業して10日経っても誰も来なくて「どうしようかな」と思い、区役所に相談にいきました。その頃、夫から養育費をもらえない女性に対して、子ども1人につき5万円を補助する制度があったんです。
でも、自宅兼治療院は新築で家賃が高かったので、なかなか役所の人が取り合ってくれなかったのですよ。それで「古びた鍼灸院で髪の毛振り乱してやっていたら、患者さん誰も来ませんよ。せめて新しくてきれいなところでやって、理想的な治療院を作れれば、患者さんも来てくれるかもしれません」と熱弁しました。
子育て支援の窓口で、治療院の経営プランを打ち出して、どうにか交渉したんですか。
「2~3年、私を応援していただけたら、必ず税金を払う人になります!」って懸命に伝えたら、補助を受けられることになったのですよ。
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