人に必要とされる仕事
そこからどんな風に開業に至ったんですか?
タキザワ
樹観先生
本当は開業するつもりじゃなかったんですよ。話が戻るんだけど、洗礼を受けたときに交換留学のような形でフィリピンに行くことになったんです。
直前に「舩坂さんには鍼をしていただきます」って言われて、向かった先は貧しい自給自足の無医村でした。誰かが教えたらしく、スラムで看護師さんが一生懸命鍼をやっているんですよ。「ゆくゆくはここに来てね」って言われて、そうしようと思いました。英語できないのに、これからやればいいかって。
直前に「舩坂さんには鍼をしていただきます」って言われて、向かった先は貧しい自給自足の無医村でした。誰かが教えたらしく、スラムで看護師さんが一生懸命鍼をやっているんですよ。「ゆくゆくはここに来てね」って言われて、そうしようと思いました。英語できないのに、これからやればいいかって。
そんなこともあったんですね。
タキザワ
樹観先生
だから開業する気はなかった。だけど、貯金も全部ゼロになったところで観風先生にやらないのかって言われて。どうしようと思ったんだけど、やることにしました。
開業するまでのドラマもすごそう。
タキザワ
樹観先生
借りた物件に入ったら足あとがつくんですよ。床がホコリだらけで、壁を見たらシミだらけ。業者に頼むっていってもお金ないし。
もしや、自分で内装工事をやったんですか。
タキザワ
樹観先生
そうそう。これは自分でやるしかないってことで、いろんなものを作りました。そもそも1部屋だったから、待合室がなかったんですよ。台東区は、待合室をジャバラとかカーテン、パーテーションで作ったらダメで。天井から床までビシッとならないとダメですっていうから、これは意地だと思って手作りしました。1年がかりかな。工房探して、壁に使う板を担いで帰った。電車乗れないから、3メートルの板をかついで3時間ぐらい歩きましたね。
よくやりとげましたね。臨床は観風先生のところで、勉強したりもしていたんですか。
タキザワ
樹観先生
そのころ観風先生の助手をやっていて、途中から午前中のみになったんだけど、午前中だけで30人以上患者さんが来るんですよ。
朝5時起きで行っていたんだけど、観風先生には「お前、開業する気あるのか」とか責められて、だんだん落ち込んできて。なかなか開業準備も進まないから「いつまでそんなことやってるんだ」って叱られて。見かねた先生の奥さんが「あなた、そんなに責めちゃダメだ」ってかばってくれました。
朝5時起きで行っていたんだけど、観風先生には「お前、開業する気あるのか」とか責められて、だんだん落ち込んできて。なかなか開業準備も進まないから「いつまでそんなことやってるんだ」って叱られて。見かねた先生の奥さんが「あなた、そんなに責めちゃダメだ」ってかばってくれました。
そんなに責められていたんですね。
タキザワ
樹観先生
先生も熱いところがあるんですよ。それから何とか開業にこぎつけたんだけど、最初の頃は1カ月に患者さんが1人か2人。観風先生のところにも行かなきゃいけないので、昼間はバイトできなくて夜中にしていました。マクドナルドのバイト。35歳ぐらいまで、4〜5年やっていたのかな。主食はカールだったから、体重も10キロ減りました。
主食がカール!!
タキザワ
樹観先生
その頃に観風先生から漢方を教授された医師で、僕にとっては兄弟子の高木恒太郎先生が羽生総合病院の漢方外来をやっていたんです。鍼灸師を雇いたいってことで、僕も入ることになりました。
その時にちょうど奥さん(以下、チエミさん)と知り合って結婚もしました。結婚した時に、チエミさんの実家の八百屋の2階で鍼灸をやることになったんです。チエミさんの地元のつながりもあって、患者さんも集まりましたね。
その時にちょうど奥さん(以下、チエミさん)と知り合って結婚もしました。結婚した時に、チエミさんの実家の八百屋の2階で鍼灸をやることになったんです。チエミさんの地元のつながりもあって、患者さんも集まりましたね。
地元の強みってありますね。
タキザワ
樹観先生
そうこうしてたら「登録販売者」っていうのができたんですよ。これだと思って、チエミさんに「取りなさい、取りなさい」ってすすめました。
共働きで、世帯収入を増やしましょうと。
タキザワ
樹観先生
というよりも、チエミさんは困っている人を見たらパンを作ってあげたりしていたんですよ。こういう心があるんだったら、医療みたいのに携わったらいいんじゃないかなって思って。
なるほど。奥さんの資質を見抜いていたのもあったんですね。
タキザワ
樹観先生
患者さんを診ていると、「ありがとうございました」とか言われるじゃない。そういう言葉を聞くと自分が必要とされているんだなと思える。チエミさんにとっても、そういう体験ができるのはいいことだと思って「やれ、やれ」って言いました。それで無事に登録販売者を取ったんですよ。
一般医薬品を販売するお店を始めたのは、何年ぐらい前ですか。
タキザワ
樹観先生
もう10年になるのかな。始めた頃は鍼灸院と漢方薬が買える店と併設になっているのが珍しかったので、こんな小さな店でもよく相談がきていたんですよ。
患者さんに苦労はさせられない
先生の院は、1人3,000円でやっているって本当ですか?
ツルタ
樹観先生
実際は2,200円です。しかも本当は30分設定なんだけど、喋りながら1時間くらいやってます。
なんでその設定にしたのか、どうしてそんなに安いのか、すごく興味があります。
ツルタ
樹観先生
働いていた治療院の給料が25万円だったので、それを基準で考えたの。あと僕自身の体験が影響していて、貧乏過ぎて手がひび割れて、血が噴き出しちゃったことがあるんです。でも漢方薬は高いし、治るのか心細いし、患者さんにこの苦労はさせられないと思った。それで自分が苦労すればいいだろうと思ったんです。
「自分が地獄に行って、代わりに人を極楽に行かす」に似てませんか? お坊さんにならずとも体現しているような。それにしても2,200円って…。
ツルタ
樹観先生
おじいちゃん、おばあちゃんが最大限努力して、治療を続けられる値段っていうのは、それぐらいかなと思った。
まあ、たしかに今は鍼灸や漢方は高級品というか、ちょっとお金持ち向けになっているのかもしれない。
ツルタ
樹観先生
将来的にバブルの時代のようにはならないし、保険がいつまで続くかわからないし…。この値段でやっていけば、みんな困らないかなと。だからこの料金を上げることなく死守しています。
少しでも人の役に立ちたい
日々の臨床で患者さんを診ていて、自分は何をしているんだろ、みたいに感じることってありますか。
ツルタ
樹観先生
何をしているのかなと思っちゃう時もありますよ。僕なんか遅々として治療の進歩がないから。でも、頑張ってずっとやっていると賛同してくれる人も出てくるし、患者さんも応援してくれるし、長年頑張って続けていると道ができてくるというか。
樹観先生のこれまでの歩き方って、スタートの時点でどういう風に投資を回収するかみたいな話では全くないですよね。ただこれやってみようかなで始めて、ひたすら続けて、また自然と次に行ってる。
ツルタ
樹観先生
そうそう。無為塾でお世話になった剣道の先生も、昔は石の上にも3年だけど、現代人は石の上にも10年だって言ってました。やっぱり自分の努力は、まだまだだなと思っている部分があります。本当に自分の志っていうのを持ってやっていくのが、いいと思っていて。
先生にとっての志とは、言葉にするとどういうものなんでしょう。
ツルタ
樹観先生
少しでも人のためになることかな。少しでも治せればなっていうのが常にある。鍼灸の治療で、人のために役に立つ。
それは観風先生の教えでもありますか。
ツルタ
樹観先生
先生の教えは「漁夫生涯竹一竿」です。鍼灸師に当てはめると、鍼1つでやり抜けっていう意味。だから良い先生に出会ったなと思いますよ。
僕が大事だなと思ったのは、「感謝されると、自分が必要とされていると思える」ってお話です。人への施しは、結局自分のためになりますよね。
ありがとうって言われる仕事のよさみたいなものは、今もご自身で感じるところですか。
ありがとうって言われる仕事のよさみたいなものは、今もご自身で感じるところですか。
ツルタ
樹観先生
うん。感じる、感じる。でも浮かれちゃうと、そこで終わりになっちゃうから、なるべくちょっと喜びとか自信を感じながらも、まだまだだなっていう風にしています。
樹観先生はこれからも「自分のため」より「人のため」が勝ちますか?
ツルタ
樹観先生
やれるかどうかっていうのは、本当に明日になったら180度変わっているかもしれない。だけど1日1日それで頑張るしかないと思っていて。1日終わったら、もう1日頑張ろうみたいな感じが、ただ続いているだけの話。
それがリアルなんですね。だって目標が商業的な成功ではないんだから。
ツルタ
樹観先生
みんな儲かるからやりたいとか言うけど、お金は相対的なものですよ。絶対的なものっていうのは、自分の心だから。何があっても自分がやりたいと思えばやり抜くことが大事じゃないかな。
【記事担当】
取材 = ゆうすけ・タキザワ・ツルタ
撮影 = ツルタ
文 = なるみさわ
編集 = ツルタ
>> インタビューのダイジェストマンガはコチラ。
>>> 樹観先生の選んだ本はコチラ(本編の翌週公開予定)。
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