食と健康。それは切っても切り離せない関係といえるでしょう。鍼灸師をしていると、「食生活にも良い影響を与えられたら、より人を健康に導くことができるはず」と思う場面は少なくありません。
福岡市で創健鍼灸院を開いている調 香生子(しらべ こおこ)先生は、株式会社 三星舎の代表としてオリジナルの調味料などの開発・販売にも取り組んでいます。市販のケチャップやマヨネーズが冷蔵庫になく、調味料を手作りするような家庭に育ったという調先生は、「食の強制はしたくない」「否定せず、ゆるっと伝えたい」と語ります。その背景にある思い、食と鍼灸に携わってきたこれまでの歩みを聞きました。
調 香生子(しらべ こおこ)先生
【略歴】
2006年 大阪音楽大学短期大学部 卒業
2009年 行岡鍼灸専門学校 卒業
2014年 株式会社三星舎 創業
2020年 九州サンクロン株式会社 事業継承と事業統合
2020年 薬舗三星舎、創健鍼灸院 路面店オープン
楽しくなって進んだ鍼灸の道
まずは、調先生がこの世界に入ったきっかけを教えてください。ご出身は九州ですよね。

タキザワ

調先生
福岡市早良区で生まれて育ちました。調家の本家は、11代くらい続く開業医の家系なんです。祖父は東洋医学と西洋医学を合わせたような医療を目指していましたし、叔母も鍼灸師をしていました。
医療が身近な環境で育ったんですね。それでご自身も鍼灸師に…?

タキザワ

調先生
私自身は高校を卒業する時点では鍼灸師になる予定は全くなくて、大阪の音楽系の短大で楽しく学生生活を送っていました。
そこから、どうして鍼灸師につながったのか気になります。

タキザワ

調先生
一人暮らしだったので、同じ一人暮らしの友だちがたくさんできたんですよ。それで、友だちが生理痛になったり体調を崩したりしたときに、鍼はもちろん刺せないんですけど、実家で教えられていた健康法みたいなもので痛みを取ってあげたことがあるんです。そのうちにだんだん楽しくなっちゃって。その話をしたら、鍼灸師の叔母が「じゃあ夜間でもいいから鍼灸学校に行ってみたら」って勧めてくれて、短大を卒業した後に鍼灸学校に通い始めました。
鍼灸学校に入ったのは、育った環境みたいなところが影響したんですかね。

タキザワ

調先生
そうですね。私の父も小さな製薬会社をしていたんですが、鍼灸師の免許は持っていました。母も内科医なので、食卓の話題は常に健康のことや、患者さんのことだったんです。だからやっぱりちょっと興味があったんだと思います。
それでいろいろ知識があったから、友だちが生理痛って聞いて、自然と手が出たんですね。

タキザワ

調先生
「お腹痛いの?ちょっと触ってみていい?」みたいな感じでしたね。
調味料を手作りする家庭で育って
実際に鍼灸学校で学んでみて、やっぱり楽しかったですか。

タキザワ

調先生
夜間の学校だったので、すでに柔整師や看護師の資格がある方が多くて、最初はついていけない感覚がありました。社会人の中に学生1人だけ紛れ込んじゃった感じというか…。でも、だんだん楽しくなっていきました。勉強も面白かったし、志の高いかっこいい先輩方にずいぶんと可愛がっていただきました。
特に印象的だった授業があれば教えてください。

タキザワ

調先生
私が通っていた学校では、カリキュラムとは別に、夏休みに解剖実習に行かせてくれたんですよね。1週間ぐらい毎日のように歯科大に行って、解剖実習をさせてもらったのがすごく印象的ですね。そのあたりから、これは真剣に勉強しなければと気合いが入りました。
医療系のご家族に育った先生が東洋医学を学んでみて、それまでのご経験との関わりを感じることはありましたか。

タキザワ

調先生
やはり、人は食べたり寝たり動いたりみたいな根本をきちんとすることで健全に過ごせるというか、西洋医学とか東洋医学とか以前に生きるために必要な事を、当たり前だと教えてもらえる環境で育って幸せだなと感じます。
それはどのような環境なのでしょうか。

タキザワ

調先生
子どもの頃から、料理は家で出汁をとって調味料もできるだけ手作りするような環境にいたんです。マヨネーズとかケチャップとか冷蔵庫に入っていないんですよ。おやつは、炒ったにぼしだったり。ちゃんとご飯を作る家庭で育って、「食事こそが健康を作る大事な基盤だよ」みたいなことを口酸っぱく言われていました。
夜間の鍼灸学校に通いだして不規則な生活を送っているときでも自分が健康でいられたのは、食べることは生きることという考えが染みついていたからなのかなと思いましたね。フルタイムの勤務医だった母が、毎日丁寧に料理をして育ててくれたのは、感謝してもしきれないです。
夜間の鍼灸学校に通いだして不規則な生活を送っているときでも自分が健康でいられたのは、食べることは生きることという考えが染みついていたからなのかなと思いましたね。フルタイムの勤務医だった母が、毎日丁寧に料理をして育ててくれたのは、感謝してもしきれないです。
良い食べ物から良いエネルギーが生まれるって教えは、東洋医学の考えと一致しますよね。

タキザワ

調先生
私の大伯父に金子卯時雨(かねこ うじう)という医学博士がいます。「サンクロン」(第三類医薬品)という日本で最も古いクマ笹の医薬品を作った人です。金子が「創健」という語を造ったのですが、これは「健康は自ら創るものである」っていう考えなんです。
この「創健」を我が家はすごく大事にしていて、病気になったら「なんでなったのか考えなさい」って言われるような家庭でした。子どもの時から風邪をひいたら「何をして風邪をひいたんだ」って叱られるんですよ。そういえば寒い日薄着でお腹出して寝ちゃったかもとか、そんなことをグルグル考えて…。
この「創健」を我が家はすごく大事にしていて、病気になったら「なんでなったのか考えなさい」って言われるような家庭でした。子どもの時から風邪をひいたら「何をして風邪をひいたんだ」って叱られるんですよ。そういえば寒い日薄着でお腹出して寝ちゃったかもとか、そんなことをグルグル考えて…。
うちも鍼灸師の家系なんですけど、そこまでさすがに…。すごいなと思います。

タキザワ

調先生
やっぱり育った環境の影響はすごく大きいですね。助産師だった祖母も薬の卸業をしながら、生理学や解剖学の簡単な知識と一緒に、料理を教えるような取り組みをしていました。どうして砂糖を使わないほうがいいのかとか、薄味のほうがいいのかとか。手作りの味噌や梅干しを生徒さんにあげることもありました。
会社と同時に、小さく鍼灸をスタート
鍼灸の学校を卒業してからは、まず何をされたんですか。

ツルタ

調先生
鍼灸整骨院に勤めました。叔母の鍼灸院しか知らなかったので、まずは働いてみようと思って。オーナー院長がタイ古式マッサージと鍼灸を組み合わせたサロンを開きたいという野望を持っていて、鍼灸院に入ったらもれなく1ヵ月ぐらいタイに行けるっていう特典がありましたね。
それはすごいですね。タイで研修ですか。

ツルタ

調先生
タイに滞在中はワットポーのマッサージ小屋にいて、タイ古式マッサージの資格を取らせてもらいました。すごく楽しかったですね。その鍼灸院には4年くらいいたと思います。
それから独立されたんですね。

ツルタ

調先生
独立までは色々なことがありました。27歳ぐらいの時に交通事故に遭って、半年ぐらい腕が全然使えない感じになっちゃって。時間だけはあったので、父の会社で半年間くらい、薬局を回る営業みたいなことをさせてもらっていました。そうこうするうちに祖母が亡くなったんです。そのあたりでタイミングが来たような感じがあって、起業と同時にアパートを借りて小さく鍼灸院を始めました。
それは、あえて小さくですか。

ツルタ

調先生
いきなり帰ってきて「鍼灸院します」って言っても、患者さんが来ることはないだろうと思ったので、知り合いに「ちょっと治療させて」って言って、治療するところから小さく始めたんです。やっと5年前ぐらいに路面店にして、きちんと鍼灸院を開いた感じですね。
味噌がなくなっちゃう、嫌だ
先生が代表をされている会社は、どんな事業をしているんですか。

ツルタ

調先生
お味噌やお酢、梅干しを百貨店や小売店に卸したり、薬店としてサンクロン(第三類医薬品)を販売しています。会社の目的は、「創健」という考えを食の方面から伝えていくことですね。
そのために、インスタで朝ご飯の写真をアップしたり、料理教室を開いたりしてきました。レストランを貸し切ってランチ会のイベントを開いて、農家さんや地域の薬局さんや管理栄養士さんと共に食から健康のあり方を伝える活動をしたこともあります。
そのために、インスタで朝ご飯の写真をアップしたり、料理教室を開いたりしてきました。レストランを貸し切ってランチ会のイベントを開いて、農家さんや地域の薬局さんや管理栄養士さんと共に食から健康のあり方を伝える活動をしたこともあります。
その会社と鍼灸を同時に始めようと思ったのは、会社の方が先に売り上げが立つんじゃないかと予測したからですよね。鍼灸は、少し控えめに並走させた。そう判断したのは、先ほどおっしゃっていたように、いきなりは患者さん来ないんじゃないかと思ったからですか。

ツルタ

調先生
そうですね。
料理も鍼灸も信頼の上に成り立つ仕事ですが、「食」はより身近で受け入れられやすいと思いました。私は、ご覧の通り童顔ですごく幼く見えるんですよね。「社長です」って名刺を渡しても驚かれることがよくあります。患者さんもすぐには頼ってくれないのではないかとときどき気になります。仲良くなって、この人意外とちゃんとしているなと思ってもらえたら、鍼灸師としての信頼も得やすくなるのではないかと思って。だから、まずは顔を売る意味でも調味料から始めたんです。
料理も鍼灸も信頼の上に成り立つ仕事ですが、「食」はより身近で受け入れられやすいと思いました。私は、ご覧の通り童顔ですごく幼く見えるんですよね。「社長です」って名刺を渡しても驚かれることがよくあります。患者さんもすぐには頼ってくれないのではないかとときどき気になります。仲良くなって、この人意外とちゃんとしているなと思ってもらえたら、鍼灸師としての信頼も得やすくなるのではないかと思って。だから、まずは顔を売る意味でも調味料から始めたんです。
すごい判断力だなって思いました。

ツルタ

調先生
ただ実際は、そんなに深くは考えていない部分もありました。
大好きなおばあちゃんが亡くなって結構パニくっていたので。どうしよう。味噌がなくなっちゃうし、嫌だ、嫌だ、みたいな感じで。何とかならないのかなと思って、祖母のレシピで味噌を作ってもらっていたお味噌屋さんに「おばあちゃん亡くなっちゃったんで、この量を作り続けてもらうにはどうしたらいいですか?」って相談に行ったんです。そしたら「数を増やしてくれたらなんぼでも作るよ」みたいな感じだったので、何とかしなくちゃと思って。いろんな人に相談して、たくさん助言をもらって商品化して、展示会に出て…っていう感じでとにかく必死でした。この味噌を残さなきゃっていう思いが強かったですね。
大好きなおばあちゃんが亡くなって結構パニくっていたので。どうしよう。味噌がなくなっちゃうし、嫌だ、嫌だ、みたいな感じで。何とかならないのかなと思って、祖母のレシピで味噌を作ってもらっていたお味噌屋さんに「おばあちゃん亡くなっちゃったんで、この量を作り続けてもらうにはどうしたらいいですか?」って相談に行ったんです。そしたら「数を増やしてくれたらなんぼでも作るよ」みたいな感じだったので、何とかしなくちゃと思って。いろんな人に相談して、たくさん助言をもらって商品化して、展示会に出て…っていう感じでとにかく必死でした。この味噌を残さなきゃっていう思いが強かったですね。
まずは「おばあちゃんの味噌を残したい」だったんですね。

ツルタ

調先生
調味料ってとても面白いんですよ。同じ味噌でも、地域によってつくり方や材料の配合が全然違うんです。その土地の風土環境に合わせた工夫の末たどり着いた知恵が詰まっています。調味料のその土地その土地の文化は、まさに東洋医学に通じるんです。
味噌以外の調味料を扱うようになったのも、きっかけがありそうですね。

ツルタ

調先生
味噌を商品化できてよかったと思っていたら、梅干し農家のおばあちゃんが「おじいちゃん倒れたから、梅作るのやめる」って言い出したので、農家を一軒ずつ回って「梅干し作ってくれませんか?」って頼んだこともあります。
本当にお店を出すまでの数年間はいろいろなことがあって、結構ドラマがあったんです。
本当にお店を出すまでの数年間はいろいろなことがあって、結構ドラマがあったんです。
食に関して強制することはない
5年間ぐらいは調味料を中心に展開されていたんですか。

ツルタ

調先生
そうですね。そのうち、だんだん友達の友達の友達とか、友達の家族みたいな感じで、鍼灸の患者さんが増えていきました。
いい循環があったんですね。鍼灸師としての転機も気になります。

ツルタ

調先生
鍼灸師の仕事によりいっそう気合いが入ったのは、妊活に携わるようになってからなんですよ。妊活の患者さんには、それぞれに共感できるドラマがあって、私自身も出産適齢期なのでそういう人と深くコミュニケーションをとりながら仕事をしていくうちに、想いが強くなっていきました。子どもを産みたい気持ちとか、産んでからの生活とか、やっぱりできなかった苦しみとかまで含めて、鍼灸師としてずっと関われる人になりたいっていう感覚が高まって本格的に鍼灸院を開いたんです。開業の直前に父が急病で亡くなったこともあって、創健に対する考えとか、やりたいことが、よりはっきりしたように思います。
院に、妊活の鍼灸を希望される方は多くいらっしゃいますか。

ツルタ

調先生
うちは女性の患者さんが多いので、不妊に限らず婦人科系の悩みが圧倒的ですね。
そこで鍼灸だけじゃなくて、特に食生活のアドバイスも結構しているんですか。

ツルタ

調先生
そこは、すごく難しいところだと思っています。タイミングですね。
妊活中の方とたくさん関わってきましたが、まだお若くてできることからゆるやかに妊活を始めたい方とか、40代で切羽詰まっている方とか、いろんなタイプの方がいらっしゃいます。私自身、父が亡くなったことで苦しんで、自暴自棄になったりメンタルが仕事に影響したりするような感覚を抱いていた時期がありました。なので、あまり強要はしないようにしています。「創健」って、すごく強い言葉だと思うからです。それこそ、病気になったら全部自分の生活を見直して胸に手を当てて考えてみろっていう。
妊活中の方とたくさん関わってきましたが、まだお若くてできることからゆるやかに妊活を始めたい方とか、40代で切羽詰まっている方とか、いろんなタイプの方がいらっしゃいます。私自身、父が亡くなったことで苦しんで、自暴自棄になったりメンタルが仕事に影響したりするような感覚を抱いていた時期がありました。なので、あまり強要はしないようにしています。「創健」って、すごく強い言葉だと思うからです。それこそ、病気になったら全部自分の生活を見直して胸に手を当てて考えてみろっていう。
たしかに。健康を作れていない責任が自分にあるって考えると、不妊治療中の方には、かなり強い言葉かもしれないですね。

ツルタ

調先生
だから妊活中の方には「食事が大事だと思っているから自分が食べているものを全部売っているけど、強制するつもりはないから、聞きたくなった時に相談してほしい」って伝えています。ただ、全部事細かくアドバイスしてほしいっていう方には、どこまでも伝えるようにしていますし、それぞれに合わせて対応しています。仕事が忙しくて全然ご飯作れないんだけど何とかしたいって希望されて、マグカップ1つでお味噌汁を作る方法を一緒に考えることもあります。
正しい知識でゆるっと伝えたい
人の健康というものを考えたときに、先生が大切にしている食ってものすごく影響の大きい部分ですよね。

ツルタ

調先生
そうですね。私は「健康食品屋さんですか?」って言われるのが嫌で「自炊したくない日もあるよね」って言ってあげられる人でいたいんです。人の生活習慣って簡単に変えられないし、変えようとして変えるものでもないし、自分で気づいて変わりたい時に変わるものだと思うので。
いろんな情報で頭ごなしに生活を否定されて「改善しろ」とか言われて、自分を責めて傷ついている人たちが結構いっぱいいると感じています。妊活中の患者さんの中には「病院の先生にすごい冷たいこと言われて」って泣き出す方もいらっしゃいます。心がいっぱいいっぱいの時は、善意の言葉も鋭く突き刺さることがありますよね。
いろんな情報で頭ごなしに生活を否定されて「改善しろ」とか言われて、自分を責めて傷ついている人たちが結構いっぱいいると感じています。妊活中の患者さんの中には「病院の先生にすごい冷たいこと言われて」って泣き出す方もいらっしゃいます。心がいっぱいいっぱいの時は、善意の言葉も鋭く突き刺さることがありますよね。
妊活中って、体だけでなく心のケアも鍼灸院が担っていたりしそうですよね。

ツルタ

調先生
心のストレス、体のストレス、環境のストレス、そういったもので体に起きる反応を理論的に説明しているのが東洋医学だと思うから、その辺りを食も含めてゆるっと伝えるようにしています。いたずらに患者さんの心を乱すようなことはせず、「ふーん」って気楽に聞いてもらえるような鍼灸師を目指しているんです。
指導者っていうよりも並走者みたいな立ち位置ですね。そういうことができるって意味で、鍼灸師は良い仕事だと私も思っています。

ツルタ

調先生
個を大切にする人が増えた時代だからこそ、今後は心理とか栄養とか、鍼灸師プラス何かを学んでいることが、患者さんの居心地をさらに良くしていけるんじゃないかと思っています。
あとは、世の中に物が溢れ返りすぎているように感じています。明らかに誇大広告の怪しい商品に、すごい大金を払っている人を見ると、いたたまれないのが正直なところで。正しい知識と柔らかい感覚で伝えていくのってすごく大事だなと思っています。
あとは、世の中に物が溢れ返りすぎているように感じています。明らかに誇大広告の怪しい商品に、すごい大金を払っている人を見ると、いたたまれないのが正直なところで。正しい知識と柔らかい感覚で伝えていくのってすごく大事だなと思っています。
その感覚は、我々のような仕事をする上で非常に大事だと思います。寄り添うこと、あえて否定しないでおくこと。この仕事の面白さに通じる部分なのかもしれないですね。

ツルタ

調先生
出会う人に良い影響を与えれる存在でありたいですよね。鍼灸師という仕事は。
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