今は子どもに合わせた働き方をしています/鍼灸師:井上 真智子

慶応大学法学部卒業後、アメリカ留学、国連でのインターン…といったキャリアを積んだうえで、鍼灸師になった「おかあさん」がいる。
それを聞いて「ぜひ会ってお話が聞きたい」と思い、神奈川県の自然豊かな町、二宮(にのみや)に取材にいきました。

エリートと呼ばれる経歴をへて、家族みんなで幸せに暮らすために鍼灸師という職業を選んだ井上先生。

そうなんです。
鍼灸師というお仕事は、「おかあさん」という生き方と、とても相性がいいのです。


井上 真智子(いのうえ まちこ)先生

社会経験を積んだ後、第一子の妊娠・出産を機に鍼灸師への道を歩む。
新宿鍼灸柔整専門学校卒。慶応義塾大学法学部卒。米国留学(国際関係論修士)。
国家資格免許取得後は都内の不妊治療専門の鍼灸院や、温灸で身体のバランスを整える任督中心療法を提唱・実践している蓬治療所にて修業する。
一男一女の母。

慶応大学法学部を卒業。国際公務員を目指してアメリカへ留学。

はじめまして。
ハリトヒト。代表の津田先生のお弟子さんから、井上先生をご紹介いただきました。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
6年前に参加した勉強会でご一緒させていただいた竹部 隆江(たけべ たかえ)先生のご紹介ですね。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
さっそくですが、HPで井上先生の経歴を拝見して「慶応大学法学部卒業」ということに驚きました。
そこから、どういった転機を経て、鍼灸師になられたのですか?
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
鍼灸とは全然違う出発点ですよね。
もともとは、国際公務員になりたかったんです。
なるほど…。ちなみに「国際公務員」とはどういった職種でしょう?
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
JAICAや青年海外協力隊などの団体に関して海外支援をする職業です。
そのとき目指していた国際公務員は、大卒では難しいんです。
まずお金の流れを勉強したいと思って銀行に入社しました。
お金の流れを知るって、大事ですよね。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
銀行で働きながら「いずれはアメリカへ留学をして学びたい」と考えていたところ、同じく留学を目指していた夫と出会い、結婚し、運良く2人とも受かった大学に留学しました。
同じ志(こころざし)を持った旦那様との出会い。
そして2人でアメリカ留学…ステキですね。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
ありがとうございます(笑)。
私はむこうの大学院で、国際関係論を勉強しました。
国連でインターンとして働いたりもしていました。
着々と夢に向かって歩まれたんですね。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
でも、国連で仕事をする中で「自分は海外に伝えるべき技術を持っていない」と思ったんです。
文系出身だと事務的な部分を担うことが多いので、どうしても政治的なものに左右されてしまいます。
そういうのではなく、もっと確固たるものが必要だと感じました。
海外支援の場では、技術職の強さが際立ちそうです。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
あと、国際公務員という仕事は、どうしても生活の場が海外になります。
家庭を持った自分が、続けていける職業ではないんじゃないか、と感じていました。
技術の面と家庭の面という、ふたつの壁が見えたのですね。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
ええ。アメリカから帰国したあとは、もともとの金融系の経歴を生かして、証券会社や外資系の金融会社に勤めていたのですが、そうこうしているうちに上の子を妊娠しました。
外資系の金融会社って、すごく忙しい印象があります。
妊娠がわかってから、どのような働き方をされていたんですか?
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
最初の子だったし、妊娠に対して無知だったので、妊娠中にもかかわらず、出張に行ったり、朝の7時から夜の22時まで働いたり、みたいな感じでムチャクチャな働き方を続けていたんですよ。
それは、ハードな妊娠生活を過ごしていらっしゃいましたね…。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
そしたら、気が付いたらベッドの上!
切迫早産で、絶対安静。妊娠26週からずっと入院することになりました。
そのまま、32週で上の子を早産して、そのまま産休と育休に入りました。
あらあら…!
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
最初は育休が明けたら元の職場に戻る気満々だったんですけどね。
「じゃあ、なんで早産をすることになったのかな?」というところから、今までの自分の生活について見直してみたんです。
出産した直後の不安を抱えている時期に、とてもいい助産師さんとの出会いもあったりして。
うんうん。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
その出会いのなかで「こういう不安を抱えた時期に、心も身体もケアしてもらえる場があったら、すごくいいな」って思ったんですよね。
そしたら、今までのバリバリ働いていた世界に戻るのは、なんだかもったいないような気がしたんです。
7時から22時までの働くって、なかなか大変ですものね。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
ええ。子どもが生まれたあとはそんな働き方はできないし、戻ったとしても仕事も子育ても中途半端になるな、と思いました。
徐々に「今までの仕事は辞めよう!」と考えるようになっていったんです。
働き方を見直したんですね。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
そうです。
で、どうしようかなと思っていたところ、産後から通っていたヨガの先生が、鍼灸師の資格をお持ちだったんです。
そこが鍼灸との出会いですか?
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
はい。その時に「鍼灸師」という資格を初めて知りました!
国家資格だし技術職でもあるから、とてもいいなと思ったんです。
なるほど。国際公務員を目指していた時の「技術が必要」という想いとつながるんですね。
ウラベ
ウラベ

1歳9か月の子を育てながら鍼灸の専門学校へ

井上先生
井上先生
それで、娘が1歳9か月の時に鍼灸の専門学校(新宿柔整鍼灸専門学校)に通い始めました。
お子さんは保育園に預けて、学校に通われていたのですか?
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
当時は東京の杉並区に住んでいたんですけど、2歳までしか預けられない保育園しか入れなくて。
その後は結局、幼稚園に入りました。預かり保育で最長17時まで…みたいなところです。
幼稚園だとお迎えも早いし、夏休みとかもありますよね。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
長期の休みは別の保育園に預けたり、友達に子守りをお願いしたり。
そのやりくりが、本当に大変でした。
学校に通うだけでも大変なのに、お子さんのスケジュールも調整しないといけなかったんですね。
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
3年間、どうにかしながら通って、東日本大震災の年に鍼灸の資格取得しました。
いよいよ鍼灸師に!
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
と思っていたんですけどね、その時、下の子がお腹にいたんです。
あら! 第二子を妊娠なさっていた!
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
ええ。下の子を出産した後は、しばらく子育てに専念していました。
でも、「鍼灸の感覚が鈍るな」と感じてきて。
下の子を5か月で保育園に預けて、そこから2年、戸ヶ崎 正男(とがさき まさお)先生のもとで修行をしました。
和ら会(やわらかい)の戸ヶ崎先生ですか?
伝統鍼灸系の先生ですよね?
ウラベ
ウラベ
井上先生
井上先生
ええ。通っていた専門学校が筋パルスを多用するような、現代寄りの鍼灸を教えてくれるところだったので、もっと東洋医学や伝統鍼灸の知識をつけたいと感じていました。
戸ヶ崎先生の蓬治療院での修行と並行して、新宿の関村鍼灸院でも1年間、不妊のための鍼灸治療を学びました。

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