臨床家として1番大事なのはコミュニケーション
中根:では、ぼくもツボをやや外した質問をしますね(笑)。
臨床は施術をおこなう前、というより、むしろ四診をおこなう前に、挨拶として声をかけたり、誘導するために身体に触れるなどの、いわゆるコミュニケーションからスタートすることが多いと思うんです。そのような関わりが生まれた瞬間から、患者さんの心理的な状態や、生理的な働きに変化が生じるはずですよね。
もしかすると、鍼灸における臨床とは、ツボへの刺激だけではなく、そういったコミュニケーションも含めて、気血津液や五臓六腑の働きに何らかの作用をもたらすことなんじゃないかと考えているんですが、そのあたりはどう思われますか?
矢野:わたしとしても中根先生と同様に、臨床家として大事なことは、コミュニケーションだと思っています。
コミュニケーションには、バーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーションがありますよね。バーバルコミュニケーションとは会話や文字を介した言語的なコミュニケーションのことです。
一方のノンバーバルコミュニケーションは、言語によらない、たとえば表情や身振りなどによるコミュニケーションです。ノンバーバルコミュニケーションで効果的な方法というのが、タッチング、つまり触れるということなんですね。
この「触れる」ことについて、現代の脳科学ではいろいろと研究されています。たとえば、ライトタッチであっても、十分に皮膚の神経を刺激し、脳に心地よさを与えることが明らかにされています。
鍼灸は、診察も治療も、「体表」という場所で行いますから、「触れる」ことを抜きには語れません。
臨床で期待する効果をいかに効率的に引き出すか。臓腑経絡理論に則って経絡経穴に治療点(ポイント)を探すのか、はたまた別の理論に則って治療点を探すのか。どちらのほうが有効なのかは、今後、脳科学的手法も含めて検証されるのではないか、そのように考えたりもします。それが、経絡経穴の機能的側面の解明につながるのではと思っています。
ツボが身心機能にどのように影響するのかを観察すること。これまで学校で教わってきた原穴や五兪穴、あるいは兪募穴に刺激を与えたときに、実際はどのような影響がみられるのか。その理論も含めて皆さんも、自分自身の課題として考えていただきたい。
たとえば、兪募穴については、体表–内臓反射という枠組みのなかで、かなり医学的に捉えられるようになったと思います。古典では、臓腑病の治療穴として兪募穴を捉えていますが、その捉え方は体表–内臓反射という枠組みと類似します。
また、四肢に関しては、動物実験の基礎的研究によれば、ほとんど上脊髄性反射として反応が出ます。そういうことから、肘から先、膝から下に五兪穴が配置されていることは、昔の人の観察力というのはすごいなと驚かされます。
特に脳科学からいうと、上肢のツボというのは脳への影響力が強いのではないかなと考えています。現在、認知症予防として使用されている施術部位も上肢のツボが多いです。
このようにみていきますと、生理学的な仕組みがまったくわからない時代の人たちのほうが、想像力は逞しく、感覚も観察力も鋭かったと言えましょう。そうした鋭い感性を通して、ツボとその効果を知ったのではないかと思います。いずれにしても古代中国では、経絡経穴においても「効く」という実用性が重要であり、なぜ効くのかということには重きを置きませんでした。
とにかく身体というのは、脳科学、皮膚科学、身体心理学等の発達により、どんどん魅力的に見えてくるのです。ぜひとも1つのパターンで固定化せずに、自在に見ていただきたいと思っております。
中根:ご存知のとおり、ぼくは勉強熱心な学生じゃなかったんですけど、3年生になってから学外の勉強会にいくようになったんです。不良学生だったぼくが興味を持ったのは、講師の先生がどんなツボを使っているかということよりも、会話の緩急や距離感といった患者さんとの関わり方だったんです。
臨床実習が始まった学生さんは経験の真っ只中だと思うんですが、臨床に必要な情報を集めるための四診を教科書やカルテとおりに進めるから、ぎこちないし、まるで尋問しているみたいになります。でも臨床をしている先生たちを見ていると、会話をしているのか問診をしているのか分からないくらいに自然でしたし、まるで肩に手を添えてねぎらうように脈診をしている様子がとても優しくて。
先ほどの矢野先生のお話から、脈診という情報収拾も大事だけれど、触れるというコミュニケーションによって起こる反応も無視することができないファクターだと感じました。
鍼灸臨床は、明らかに治療目的を持った施術行為と、コミュニケーションによって構築する信頼関係や動機付けがセットとなって、様々な変化を生み出しているということなんでしょうね。
矢野:現在は科学的根拠による鍼灸治療に関する研究が進んでいます。たとえばツボに鍼をした場合と、非ツボに鍼をした場合、どちらが効果的かを科学的に検証することが世界的におこなわれています。
それがRCT(Randomaized Controlled Trial)という研究デザインによる臨床研究ですけれども、個人的には多少、疑問に思っています。鍼は薬のようにある程度一様に同じ効果を期待できるものではなく、さまざまな要素が絡むだけに不完全なのです。
中根:どちらかというと、相関関係的だということですか?
矢野:そうですね…。たとえば「施術者の対応が治療効果にどういう影響を与えるのか」。これはキャプチャクさんというハーバード大学の方が、プラセボ効果として研究をされております。施術者の対応によって、治療効果はどう変わるのかという論文を書かれています。キャプチャクさんによりますと、施術者の対応によって、結果は全然違ってくると。それはまさに「プラセボ」効果によるものと、そのように書かれている。
日本では「医学の世界では、プラセボはあってはならない」という結論に陥りやすいのが現状です。一方、イギリスでは「プラセボ反応が高い人」に対しては「プラセボ療法」をおこなっているんです。つまり、プラセボ療法もひとつの治療法として認められるんですね。
鍼灸の効果は、ツボの効果であると断言しているグループもあります。そのことを否定するわけではありませんが、臨床においては、診療技術はもちろんのこと、それ以外の多様な要因が関与していることを忘れないでいただきたいなと思っています。要因としては、治療室の空間、そこに流れる時間、そして鍼灸師と患者さんの間でおこなわれるコミュニケーション、施術者の診療能力、対応などと多くの要因が関与しています。
そういったさまざまな要因によって、また、その場の複数の要因が絡み合って効果がアウトプットされるということは、間違いないんじゃないでしょうか。
いずれにしても症状を治すことを目的とした治療も大切ですが、それ以上に大切なことは、受療者をより元気に、より健康にさせるような治療のほうが、「未病を治す」精神に繋がるものであると思います。
「鍼灸は医療である」という精神のもと、これまで歩んできましたが、それは狭義の医療としての鍼灸であり、「已病の治療」としての鍼灸の道でした。それは、古典に曰く、下医の道です。上医の道は「未病を治す」の道であると述べられています。現在の鍼灸医療の実態を冷静に見据え、どの道が本来の道なのか、考えてみることが必要ではないかと思っています。
>>> 「タダシい学びのハジメ方」前編はコチラ
【記事担当】
加筆=矢野 忠先生/中根 一先生
対談書き起こし・文・写真・編集=さまんさ
>>> インタビューのダイジェストマンガはコチラ
>>> 中根先生の選んだ本はコチラ
>>> 中根先生の単独インタビューはコチラ