緊張しましたけど、自信はありました。
大饗先生
ただ、その鍼灸接骨院の母体が、専門学校を運営している会社やったんです。
鍼灸接骨院の業務以外に学校で講師業をさせていただけるようになりました。
で、そのうちに「指導する仕事っていいな」と思って、教員養成科に進むことにしました。
鍼灸接骨院の業務以外に学校で講師業をさせていただけるようになりました。
で、そのうちに「指導する仕事っていいな」と思って、教員養成科に進むことにしました。
うんうん。
シンタロー
大饗先生
でも、また展開が変わって…
次は何があったんですか(どきどき)?
シンタロー
大饗先生
会社を辞める1年前に、「ロッテマリーンズの西岡剛選手のトレーナーを探しているんだけど、大饗、行ってみないか?」と声をかけてもらったんですよね。
プロ野球の! それは良いほうの展開ですね(ホッ)。
どういった経緯だったんですか?
どういった経緯だったんですか?
シンタロー
大饗先生
たまたまです、たぶん(笑)。
ただ、当時は社内の技術部門で責任者をしていたし、経験年数が1番長かったので声をかけていただけたんかなって思います。
ただ、当時は社内の技術部門で責任者をしていたし、経験年数が1番長かったので声をかけていただけたんかなって思います。
たまたま、では声がかかることはないと思いますよ。
もともと大饗先生がトレーナーを目指していることを、会社はご存知だったのですか?
もともと大饗先生がトレーナーを目指していることを、会社はご存知だったのですか?
シンタロー
大饗先生
そうですね。将来的にトレーナーをしたいと伝えていました。
目的が明確だったことも、判断材料になったのかもしれません。
あと、普段から休日にトレーナー活動をしていたことも、会社は知っていました。
目的が明確だったことも、判断材料になったのかもしれません。
あと、普段から休日にトレーナー活動をしていたことも、会社は知っていました。
ちゃんと自分の意思が伝わるように、行動していたんですね。
シンタロー
大饗先生
会社で誰より勉強して、誰より働いていた自信はありましたね。
スタッフ向けの勉強会を積極的に開催して、会社に貢献していたこともあったかもしれません。
スタッフ向けの勉強会を積極的に開催して、会社に貢献していたこともあったかもしれません。
全然たまたまじゃないですか(笑)。
トレーナー契約はどういう風に進んだんですか?
トレーナー契約はどういう風に進んだんですか?
シンタロー
大饗先生
いきなり契約したわけでなく、まず1度、西岡選手を治療する機会をいただきました。
そこでOKが出ないといけなかったんです。
テストされる感じで、嫌というか、緊張しましたけど(笑)、自信はありましたね!
この仕事をするために準備をしてきましたから。
そこでOKが出ないといけなかったんです。
テストされる感じで、嫌というか、緊張しましたけど(笑)、自信はありましたね!
この仕事をするために準備をしてきましたから。
その日の現場はどんな雰囲気だったんですか?
シンタロー
大饗先生
西岡選手とぼくが初めて出会ったときは、試合に負けた日だったので…、いい感じではなかったことを覚えています。
ファーストコンタクト時に雰囲気が良くないのは困りますよね。
シンタロー
大饗先生
最初はそうでしたが、普段どおり身体の状態を把握するための評価をして、状況を説明して、治療でアプローチをしたところ、西岡選手がすごく共感してくださったんですよね。
それが大きなステップでした。
そして、最終的に西岡選手とぼくのフィーリングが合ったことが、仕事をさせていただけるきっかけになったと思います。
それが大きなステップでした。
そして、最終的に西岡選手とぼくのフィーリングが合ったことが、仕事をさせていただけるきっかけになったと思います。
フィーリングは大切ですね。ぼくも患者さんとの関係を築くときに感じています。
シンタロー
大饗先生
そうですね。よく西岡選手のご両親が、彼とぼくのことを指して「ふたりの関係はバランスがいい」とおっしゃっていました。
まさに「陰」と「陽」やったと思います。
だから契約が終わったあとも、いい関係を続けられてるのかな、と。
まさに「陰」と「陽」やったと思います。
だから契約が終わったあとも、いい関係を続けられてるのかな、と。
今も西岡選手とは交流がありますか?
シンタロー
大饗先生
ええ。西岡選手は今年から独立リーグでがんばっています。
チームが栃木なので、ときどき治療やトレーナー指導をさせていただいていますよ。
チームが栃木なので、ときどき治療やトレーナー指導をさせていただいていますよ。
「家族と一緒に幸せになるのが、自分にとっての幸せなんだ」ってわかったんです。
大饗先生
妻は教員養成科の同期なんですよ。
養成科で知り合ったんですね。
シンタロー
大饗先生
お見合いをしに養成科へ入学したのかと言われました(笑)。
でも、そんなつもりはまったくなくて。
同業なんて絶対ありえないって思っていたし、自分が結婚することすら想像してなかった。
でも、そんなつもりはまったくなくて。
同業なんて絶対ありえないって思っていたし、自分が結婚することすら想像してなかった。
いいじゃないですか(笑)。
シンタロー
大饗先生
いや、自分的には、なんかいかんなぁと思って(笑)。
西岡選手に帯同していた頃は、まだご結婚されてなかったんですよね。
帰ってきてから、ご結婚されたんですか。
帰ってきてから、ご結婚されたんですか。
シンタロー
大饗先生
いえ、アメリカにいた間ですね。
その前から付き合っていて、離れてみて、「結婚したいな」と思いました。
その前から付き合っていて、離れてみて、「結婚したいな」と思いました。
やっぱりいいお話ですよ(笑)。いまはご一緒に院を経営しているんですか?
シンタロー
大饗先生
同じ場所で仕事はしていますが、それぞれの方針で、患者さんを治療しています。
妻はぼくの考え方を尊重してくれるんですよね。
夫婦間では、治療の内容はまったく違うので、お互いの仕事には口を出しません。
参考にはしますけど。
妻はぼくの考え方を尊重してくれるんですよね。
夫婦間では、治療の内容はまったく違うので、お互いの仕事には口を出しません。
参考にはしますけど。
リスペクトしあえるのはいいですね。
シンタロー
大饗先生
治療の話はあまりしませんが、人としてどうかとか、本質の話をしています。
鍼灸師と結婚してよかったですね。
助けてもらっているし、とても感謝しています。
鍼灸師と結婚してよかったですね。
助けてもらっているし、とても感謝しています。
やんちゃな時代を考えると、ずいぶん落ち着いたような。
シンタロー
大饗先生
めちゃくちゃ丸くなりましたよ。
結婚って、お互いの尊重がないと、一緒に暮らしていけないので。
細かーい気になることはめっちゃありますよ。
箸の持ち方とか指摘されますしね(笑)。
結婚って、お互いの尊重がないと、一緒に暮らしていけないので。
細かーい気になることはめっちゃありますよ。
箸の持ち方とか指摘されますしね(笑)。
パーソナルトレーナーを辞めて、奥さまと開業した理由は?
シンタロー
大饗先生
家族と一緒にいたかった。それだけですね。
トレーナーとして、生活のすべてを捧げてきた3年間、家族と過ごす時間はとても少なかったんです。
海外から戻ってきたあとは、西岡選手が阪神タイガースへ入団したので、1年の大半はぼくも大阪におったんです。
ほぼ出張で、別居状態。
帰って来られるのは、西岡選手の東京遠征のときだけ。しかも、休みの日しか会えなかった。
トレーナーとして、生活のすべてを捧げてきた3年間、家族と過ごす時間はとても少なかったんです。
海外から戻ってきたあとは、西岡選手が阪神タイガースへ入団したので、1年の大半はぼくも大阪におったんです。
ほぼ出張で、別居状態。
帰って来られるのは、西岡選手の東京遠征のときだけ。しかも、休みの日しか会えなかった。
別居状態…。
シンタロー
大饗先生
開業を決めたのは家族と過ごすことを優先したのもありますが、正直ぼくの身体がしんどかったんですよ。
選手に、自分のすべてを捧げてきた。
自分の身体が疲れてしまったのと…、やりきった感があったかもしれないですね。
あと、10年後に西岡選手がもし引退したら…。
その先のことを考えると、自分自身にパワーがある時に開業した方がいいのかなと思いました。
選手に、自分のすべてを捧げてきた。
自分の身体が疲れてしまったのと…、やりきった感があったかもしれないですね。
あと、10年後に西岡選手がもし引退したら…。
その先のことを考えると、自分自身にパワーがある時に開業した方がいいのかなと思いました。
ひとつの区切りだったんですね。
シンタロー
大饗先生
そうですね。そろそろ、自分に向き合おうと考えました。
「自分が幸せになりたい」と。
そして「家族と一緒に幸せになるのが、自分にとっての幸せなんだ」とわかったんです。
「自分が幸せになりたい」と。
そして「家族と一緒に幸せになるのが、自分にとっての幸せなんだ」とわかったんです。
自分の心に素直に従ったんですね。
今は開業されて、何年目ですか?
今は開業されて、何年目ですか?
シンタロー
大饗先生
37歳のときに開業して、今年で5年目です。
香川での開業は考えなかったんでしょうか?
シンタロー
大饗先生
考えましたよ。でも、家族が東京におるし、東京のほうが学べる内容の幅が広いので。
都市部の利点ではありますね。
組織の中で働いたり、トレーナーとして活動した経験が、開業への思いをより強くしたんでしょうか?
組織の中で働いたり、トレーナーとして活動した経験が、開業への思いをより強くしたんでしょうか?
シンタロー
大饗先生
それもあるかもしれません。とりあえず、組織から出たかった。
組織にいると、しがらみが多くなるじゃないですか。
組織にいると、しがらみが多くなるじゃないですか。
人間関係が広がると、動きにくくなることもありますよね。
シンタロー
大饗先生
人に左右されることが多くなって、自分の思いと違うことをしなきゃいけなくなった。
自分がいいと思っていても、進まないプロジェクトがあったり。
それがしんどかった。上に伝えても伝えても、変わらない、とか。
それは、選手との関係でも同じですね。
ぼくがいいと思って奨める方法と、選手が納得する方法が違ったりして。
向いている方向が違っていると、しんどくなってくる。
今は、我慢する必要がないんでその点はいいかな…。
自分がいいと思っていても、進まないプロジェクトがあったり。
それがしんどかった。上に伝えても伝えても、変わらない、とか。
それは、選手との関係でも同じですね。
ぼくがいいと思って奨める方法と、選手が納得する方法が違ったりして。
向いている方向が違っていると、しんどくなってくる。
今は、我慢する必要がないんでその点はいいかな…。
開業してみて、何か変わりましたか?
シンタロー
大饗先生
自分と向き合うようになりましたね。
今は自分しかいないですから、結果が悪ければ、できていない自分と向き合うしかないんですよ。
ひとのせいにはできないし、するつもりもない。
今は自分しかいないですから、結果が悪ければ、できていない自分と向き合うしかないんですよ。
ひとのせいにはできないし、するつもりもない。
全部、自分の責任なんですよね。
シンタロー
大饗先生
そう。でも、結果が良くなるためであれば、ストレスはないんです。
単純に「あ、あれもこれもやらなきゃ」っていうだけで(笑)。
単純に「あ、あれもこれもやらなきゃ」っていうだけで(笑)。
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