大学で鍼灸のメカニズムを研究しながら、大学病院での鍼灸治療の実践をし、さらに、業団理事の仕事など鍼灸師会の活動も積極的にこなす――。
そんな多忙な毎日をすごしながらも、若手の鍼灸師にいつも目をかけてくれるのが、鳥海 春樹(とりうみ はるき)先生です。
そのバイタリティの源とこれからの展望について、たっぷり語ってもらいました。
鳥海 春樹(とりうみ はるき)先生
1990年 市川高等学校卒業
1997年 日本鍼灸理療専門学校本科卒業。
2002年 鳥海鍼灸院開院。
2005年 東京理科大学理学部第二部化学科卒業。
2011年 慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程修了。
同年より、慶應義塾大学病院神経内科特別外来として鍼灸外来を開設。
2012年より、慶應義塾大学医学部神経内科非常勤講師。
2015年より慶應義塾大学環境情報学部訪問准教授として現在に至る。
東京都鍼灸師会業務執行理事 研修事業部総括。
伝承的な仕事がしたくて親の反対を押し切った
鳥海先生って鍼灸師の家系でしたっけ?
ゆうすけ
鳥海先生
母方の祖父が目の不自由な鍼灸師だっただけで、鍼灸師の家系ではないかな。
おじいさんの影響で鍼灸師を目指そうと思ったとか?
ゆうすけ
鳥海先生
鍼灸は身近ではあったよね。だけど高校卒業後の進路を鍼灸の専門学校にすると言ったら、母は鍼灸師の娘なのに「よりによって何で鍼灸師になるんだ」って怒ってね。
お父さんの職業にあまり良い印象を抱いてなかったんですか?
ゆうすけ
鳥海先生
というより、今から30年くらい前は鍼灸師ってランクが下の職業だと思われていたの。あとは高校が進学校だったから、親としては普通に大学に行ってほしかったんだと思う。
それだけ反対されたのに、よく鍼灸師になりましたね。
ゆうすけ
鳥海先生
伝承的な仕事が好きで、宮大工に憧れていたんだけど、建物より中にいる人間を対象にしたいと思ってね。
小さいときから合気道をやっていたので、伝統的な武道の型にサイエンスがあることに心が惹かれたのもあるかな。伝統医学が持つ身体論という観点から、「鍼灸いいじゃん」みたいになった。
小さいときから合気道をやっていたので、伝統的な武道の型にサイエンスがあることに心が惹かれたのもあるかな。伝統医学が持つ身体論という観点から、「鍼灸いいじゃん」みたいになった。
高校生の段階で、研究に興味があったんですか?
ゆうすけ
鳥海先生
鍼灸の世界に入ってから、だんだんと研究をしたくなっていったんだよね。
最初から研究者になりたかったわけではないのか。
ツルタ
鳥海先生
そう、最初は指圧屋で働いた。免許を取って半年で月100万円くらい稼げたから、楽勝だなって天狗になってたの。
ずいぶんと順調なスタートだったんですね。
ツルタ
鳥海先生
だけど、そこで人生の選択を間違っちゃったんだよ。
「自分がやるしかない」と研究の道へ
人生の選択を間違えたというのは、どういうことですか?
ゆうすけ
鳥海先生
患者さんのなかに、「病院に行ってもダメだけど、先生のところに来れば良くなる」とか言ってくれる人っているじゃない。
まあ、病院不信の方は一定数いますよね。特にどこか痛むなんて人は、痛み止めや湿布だけでは満足しない傾向があるのかも。
ゆうすけ
鳥海先生
そういう患者さんの声を真に受けて「病院なんかダメ」って本気で思っちゃった。
でもさ、病院のことをよく知らないのに、ダメって言うのは一方的だよね。だから、病院に勤めてみたくなったの。
でもさ、病院のことをよく知らないのに、ダメって言うのは一方的だよね。だから、病院に勤めてみたくなったの。
知らないと気付いた、それは知りたいの始まりだったんですね。
ゆうすけ
せっかく指圧屋で儲かっていたのに…。
ツルタ
鳥海先生
儲かっていたから、少しくらい収入が下がってもいいから、勉強しようと思っちゃったんだよ。
実際、病院に勤めてみてどうでしたか?
ゆうすけ
鳥海先生
外来だけでなく病棟業務もやらせてくれて、オペも多かったからすごく勉強になった。5年くらいだけど、病院に勤めたのはとても良かったよね。
勉強になったし、病院のことが知れてなによりじゃないですか。
人生の選択、間違えてないと思いますよ。
人生の選択、間違えてないと思いますよ。
ゆうすけ
鳥海先生
まあ、でも。そこであることに気付いちゃったんだな。
あること?
ゆうすけ
鳥海先生
ドクターは鍼灸のメカニズムについて、そんなに興味がないってこと。それどころか、鍼灸の研究自体が、医学としてほとんどなされていなかったことに気付くわけ。
それまで鍼灸の研究は、どこかで誰かがやってくれていると思っていたんだよ。だけど、全然そうじゃなかった。
だから自分でやるしかないと思って、免許を取って5年で大学に入って研究の道に進むことにしたの。
それまで鍼灸の研究は、どこかで誰かがやってくれていると思っていたんだよ。だけど、全然そうじゃなかった。
だから自分でやるしかないと思って、免許を取って5年で大学に入って研究の道に進むことにしたの。
なるほど、それが人生の間違いだったと。
ゆうすけ
鳥海先生
うん、随分と大変な方向に人生の舵を切ってしまった(笑)。
ちなみにどちらの大学に?
ゆうすけ
鳥海先生
東京理科大学の夜間部。学部については、大学院で医学研究をやろうと思っていたから、その準備段階として理学部の化学科にしたんだよね。
試薬をボタボタボタ垂らしてぴったり止めるとか、実験の繊細な作業はすごく得意だった。
試薬をボタボタボタ垂らしてぴったり止めるとか、実験の繊細な作業はすごく得意だった。
鍼灸からは離れてしまったんですか?
ツルタ
鳥海先生
いや、理科大に行きながら、鍼灸院で夜番の雇われ店長もやっていたの。
夜番って?
ツルタ
鳥海先生
昼は本当のオーナーが院長で、夜の9時から朝の5時までは俺が院長。それで合計24時間やっている鍼灸院なの。ここはかなり変わっていたから、多分使えない話ばかりなんだよね…。
昼は大学に行って、夜は鍼灸院で働いていたんですね。使えない話はまた別の機会に聞かせてください(笑)。
ツルタ
鳥海先生
それで卒業した後に、慶應義塾大学大学院医学研究科の修士課程に進学したの。
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