鍼灸ジャーナリスト:松田博公の5冊

日本鍼灸へのまなざし

■ 松田 博公(著)
■ ヒューマンワールド(2010年)

自分の著書を推薦するのは気が引けます。けれど、鍼灸のグローバル化が進行する世界で、日本鍼灸が抱える難題を日中文化論の視点で解こうとする評論集は他にないのです。
特に若い世代の鍼灸師にこのテーマを考えてほしくて、定価3,654円とはいえ、457ページで注がぎっしり詰まったお買い得の(笑)、「日本伝統鍼灸学会40周年記念賞」受賞書を挙げておきます。

冒頭の評論は、2004年の世界鍼灸学会連合会(WFAS)オーストラリア大会のルポです。
わたしはこの会場で、中国発祥の鍼灸術がオーストラリア、ニュージーランド、アメリカなど各国の先住民の気の思想と結びつき、各国流の鍼灸術として土着化しつつ世界鍼灸になって行く未来を直感しました。
同時に、中医学が中国の国家戦略の後ろ盾を得て、各国で生まれているローカルな鍼灸術の可能性に目を向けず、地球を一律に席捲するビジネス的な覇権主義を顕わにしていることにも気づきました。

この気づきは、あたかも幕末に黒船到来とともに沸き起こった尊皇攘夷運動のように、日本鍼灸やそれを生んだ日本文化への関心へとわたしを向かわせます。
続くいくつかの評論では、中国鍼灸が日本化していくプロセスに目を向け、日本鍼灸の特徴とは何かを探ろうとしています。
日本の鍼灸・漢方家に根深い理論嫌悪、哲学への無関心、実感主義などの欠陥を指摘した山田慶児氏の論文に触れながら、そのようなマイナス面から実は優れたわざが生まれたと逆説的なプラス面を強調し、鍼灸学校や鍼灸大学で原則もなく推進されているグローブや指サックなどの使用が、日本鍼灸のわざを消滅させる自殺行為であることについても言及しました。

しかし、日本鍼灸の特徴、それに結実した日本文化の特徴は、日本でだけ材料を集めても浮かび上がらないのです。ひとは自分の顔を自分で見ることができない。鏡が必要です。
同様に、日本鍼灸、日本文化は中国鍼灸、中国文化の鏡に照らし出さなければ分からない。
かくして、わたしの作業は、『黄帝内経』に代表される中国古代医学の原型を知り、それを参照軸に日本鍼灸について考察することになります。

中国古代医学の核心には何があるのか。その鏡に照らすと、日本鍼灸の核心には何が見えるか。

結論を言えば、中国古代医学の核心には、天人合一思想があります。
中華民国時代の名医、惲鉄樵(うんてつしょう)は、「『内経』全書はみな天を言う」と喝破しました。この天人合一思想を最も精緻に展開したのは陰陽家でした。この陰陽家の天道思想こそ「黄帝」の思想なのです。
それと『老子』『荘子』の思想を軸に儒家、法家、兵家など諸家を折衷し、来たるべき統一帝国の要求に応えようとしたのが、戦国末期の「黄老思想」でした。
『黄帝内経』の枠組みも「黄老思想」なので、『黄帝内経』は「黄帝」をタイトルにするのです。この点を、江戸考証学派以来、現在に至る日本の『内経』研究は見落としてきました。
日本的思考が哲学や宇宙論に無関心で技術至上主義だったからです。その代わりに、日本鍼灸の核心には、自然回帰の感覚ないし自然治癒力思想があります。

34篇の評論を収めた本書の四分の一ほどが、江戸期以来の日本における自然治癒力思想の流れの分析になっているのは、岩波新書『鍼灸の挑戦』のサブタイトル「自然治癒力を生かす」が示すように、この思想抜きに日本鍼灸、日本文化を語れないからです。
日本の自然治癒力思想は、幕末の養生医、平野重誠の『病家須知(びょうかすち)』(現代語訳は農山漁村文化協会刊行)に「自然作用力(テンネンノハタラキ)」と記され、同じころに緒方洪庵たちが「自然良能」という翻訳語を考案したように、蘭学から受け入れたものでした。
つまり、西洋の近代医学の思想なのです。それは、和田啓十郎の『医界の鉄椎』、中山忠直の『漢方医学の新研究』に引き継がれ、大正、昭和の鍼灸・漢方界に定着します。

では、江戸時代の医師たちは、カッコイイ舶来の先進思想だから、それを受け入れたのでしょうか。
ある文化、思想が別の文化、思想に受け入れられ定着するには、受け入れる側にそれと親和的な文化、思想が存在するからです。まったく異質な文化、思想なら排除されてしまいます。
日本には、縄文時代から、自然を神々と感じ、その懐に抱かれることで、いのちは生まれ育まれ癒されるという信仰がありました。
この自然信仰、生命力信仰は仏教によって言葉となり、神仏習合的感覚の中で、より深まったのです。

長野仁氏らは、近江の多賀大社で江戸以前にさかのぼると思われる日本固有の打鍼流派、多賀法印流の文書を発掘しました。
そこには邪気は神気なので排除せず、腹部への打鍼によって神気に転化させるのが本来の治療だという「邪正一如」の思想が展開されています。
そして、「病はいのち、いのちは病」だという印象的な言葉があります。ひとはいのちがあるから病むのであり、病気は生きようとするいのちの表現だというのです。
こうした、自然の営みとしての病を肯定する生命観が日本文化の底に流れていたので、その上に、蘭学の自然治癒力思想が定着することができたに違いないのです。
本書は、こうした日本の自然治癒力思想史に注目したことにおいても意味があるでしょう。

中国古代医学=天人合一思想、日本鍼灸=自然治癒力思想、二つを互いの合わせ鏡として用いつつ、わたしは韓国、中国に旅をしました。
韓国では、金廣浩氏の一鍼療法を体験し、中医学の弁証論治を一本鍼の施術に絞り込む手法に北辰会との同一性を見て驚き、配穴の方法に経絡治療との類似性を発見してアジア鍼灸史の謎を感じました。
中国では、2007年のオリエント出版社主催北京研修会に参加し、石学敏、張士傑など老中医の実技表演を見聞し、柳長華、張燦玾(ちょうさんこう)など著名な文献学者の講義に耳を傾け、中医学の専売特許のようになっている神経響きの「得気」を、古典学者は鍼灸本来の「得気」「気至る」とは認めていないという中医学内部の対立を知りました。

どの研修会でも、目前で展開されている実技や講義に対する基礎知識がなければ価値が分からず、ただ見物しているだけです。
その意味で、このオリエント研修ツアー報告では、中医学の「得気」ほか、伝統派と現代派の論争点についてたっぷり紙面を使い、十分に解説しています。
わたし自身は、この報告は、行った人にも行かなかった人にも、安くはない研修参加費の半分の値打ちはあると自画自賛しているのです(笑)。

その他、2007年のWFAS20周年記念北京大会報告では、帯広の吉川正子先生の刺さない鍼の臨床報告が終わると、会場の中医師たちが殺到し、われさきに刺さない鍼を身に受けて確認しようとした様子を写真入りで伝えています。中医鍼灸も変容していくだろう、その予兆を示す情景です。

また、昭和鍼灸中興の祖と謳われる柳谷素霊の思想をどのように引き継ぐべきか、韓国ドラマ『チャングムの誓い』のシナリオ本から、伝統医療の治療家の理想のモデルをいかに導き出せるか、などの作業もしています。

中華武俠ドラマの中に民衆文化に定着した「天下万物、相生相克」などの人生訓や「ひと江湖に在りては、身、己(おのれ)によらず」「河山改(か)えやすし、人性移しがたし」などの格言を探りながら日中鍼灸を比較した文章の執筆は、わたし自身、とても楽しい時間でした。
みなさんにも、きっと面白がっていただけるでしょう。

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