鍼灸茗話
■ 医道の日本社(1957年) |
本書は、江戸後期に活躍した鍼医、初代石坂宗哲(寛斎)の臨床のエキスが染み込んだ本である。日頃から、娘婿の宗圭(後に二代目宗哲)が師の言説を書き溜めて出来た、謂わば一子相伝の書だ。
宗哲は日本化した鍼灸をさらに、ヨーロッパ(蘭)医学で理論の再構築をした稀有な医学者でもある。
その一つが経脈(気血営衛等)説を血液循環理論や神経学説に置き換えて捉えていることである。
また、蘭医学の基であるヒッポクラテス医学の最重要な考えである自然治癒力(良能)思想が、彼の補瀉論に展開されていることである。
「人身中は元来一点の物も外より入れざる所が持まえなり。故竹木刺(トゲ)が入れば宗気に触て痛を生ずのみ、宗気がますます力を出して排出(おしいだす)せんと欲する故に。熱を生(ず)。~ さて其熱久しけれは、血液腐(ふ)熱して膿化するなり。如此に手続きの次第より揃う所を人身自然の良能(治癒)とは云なり。」(二.補瀉p3~)
この中で九鍼を前提に補瀉論を説いているところに彼の真骨頂がある。瀉法は、三稜鍼による刺絡、員利鍼(大鍼か?)による毒水の排除、鈹鍼による膿の除去などである。
補法は、豪鍼(微針)による正気(宗気)の誘導であり、人体が竹木のトゲを排除する自然良能(治癒力)を促進する原理の応用であると説いている。
これは優れた臨床家であり、研究家である彼の面目躍如たるところである。
伝統医学軽視の中で歴史から葬り去られた事件がある。それは、彼がドイツ人医学者、シーボルトに鍼灸の基本的な考え方(『石坂流鍼治十二条提要』)を伝えたことである。
本書は柳谷素霊最晩年の註釈本であり、彼の遺書ともいえるものである。彼は生前60冊以上の本を書いている臨床家であり教育家であり、また研究家でもあった。彼は戦前から昭和の鍼灸界をリードしてきたが、最近では知らない人の方が多いであろう。先生の著書も併せて読めば、臨床に役立つこと間違いなしである。
日本の鍼灸師であれば、どちらも忘れてはならない名鍼医である。