東京女子医科大学附属東洋医学研究所(以下、東洋医学研究所)の蛯子慶三先生は、サッカー少年だったそうです。ポジションは今で言うボランチ。蛯子先生いわく「目立たないんだけど、バランスを調整する役割」を担当していたとのこと。同研究所で力を入れる医療連携は、ボランチと同じようにバランスを調整して人と人を繋げる活動だそうです。
患者さんにとっても、鍼灸師にとっても、医師にとっても重要で価値のある医療連携。蛯子先生に、鍼灸師を目指したきっかけ、恩師との出会いや顔面神経麻痺の鍼治療への取り組み、そして医療連携の現在とこれからまでお話を伺いました。
蛯子 慶三(えびこ けいぞう)先生
略歴
1992年 玉川病院東洋医学センター研修生・東京女子医科大学附属東洋医学研究所見学生
1997年 東京女子医科大学附属東洋医学研究所 鍼灸師
2005年 同研究所 鍼灸師主任
2012年 同研究所 鍼灸副師長
2014年 同研究所 鍼灸師長代行
所属
日本東洋医学会(代議員)、全日本鍼灸学会(指導鍼灸師・認定鍼灸師)、日本顔面神経学会、日本鍼灸師会、東京都鍼灸師会
著書
ココロとカラダの不調を改善するやさしい東洋医学(共著 ナツメ社)
受賞
第27回代田賞奨励賞
1992年 玉川病院東洋医学センター研修生・東京女子医科大学附属東洋医学研究所見学生
1997年 東京女子医科大学附属東洋医学研究所 鍼灸師
2005年 同研究所 鍼灸師主任
2012年 同研究所 鍼灸副師長
2014年 同研究所 鍼灸師長代行
所属
日本東洋医学会(代議員)、全日本鍼灸学会(指導鍼灸師・認定鍼灸師)、日本顔面神経学会、日本鍼灸師会、東京都鍼灸師会
著書
ココロとカラダの不調を改善するやさしい東洋医学(共著 ナツメ社)
受賞
第27回代田賞奨励賞
内気な少年がサッカーに導かれて
まずは蛯子先生が、鍼灸師になろうと思ったきっかけを教えてください。
ゆうすけ
蛯子先生
そもそものきっかけは、友人に誘われて小学5年生で始めたサッカーなんです。痩せっぽちで内気な子どもだったんですけど、サッカーがそんな自分を変えてくれました。
サッカーはずっと続けられていたんですか。
ゆうすけ
蛯子先生
中学・高校と続けました。とくに高校は強豪校で、当時は全国大会の常連校でもあったんです。僕も高校3年生のときにインターハイに出場することができました。
そうするとプロになろうと思ったことも…?
ゆうすけ
蛯子先生
憧れたことはあります。ただ高校2年生ぐらいになると、やっぱり難しそうだなって。でもサッカーに携わる仕事はしたいと思って、トレーナーを目指すことにしたんです。鍼灸マッサージの資格があるといいらしいと聞いて、家から通える範囲の鍼灸学校を探して受験しました。
サッカー選手にはなれなかったものの、今の仕事でサッカーの経験が生かされていると感じることはありますか。
ゆうすけ
蛯子先生
すごくあります。その時に出会った先生とか友人たちから学んだことは、その後の人間形成に大きく影響しています。おそらく物事を考えるうえで、この時期に学んだことが一番役立っていると思います。
病院の研修生時代に恩師と巡り合う
サッカーのトレーナーという明確な目標があれば、鍼灸学校で学ぶモチベーションも高かったのではないですか。
ゆうすけ
蛯子先生
それが鍼灸学校はほとんど真面目に通わなかったんです。バイトをしたり中学や高校のOBチームで試合をしたりするのが楽しくなってしまって……。
先生の今のイメージから、学生時代はすごく真面目に勉強されたと思っていました! ちなみに何のバイトをされていたんですか。
ゆうすけ
蛯子先生
子供にサッカーを教えるバイトとか、スポーツクラブでのインストラクターとかです。バイトで親しい友人もできたりして、そっちが楽しくなっちゃったんです。だから学生生活は、実はあんまり記憶にないんです。
そうなると、卒業後の進路はどうやって決められたんですか。
ゆうすけ
蛯子先生
免許が取れただけで、卒業しても何もできないような状況だったので、玉川病院の東洋医学センターを勉強熱心だった2人の友人と受験しました。鍼灸の研修制度があったので、筆記試験と実技試験を受けて研修生になることができました。
玉川病院は当時、鍼灸が受けられる病院として、とても有名だったんですよね。
ゆうすけ
蛯子先生
有名でした。恩師である代田文彦先生が、当時の玉川病院の副院長を務められていました。内科で外来をしていて、ものすごい患者数でした。代田先生の指導のもとで、鍼灸師が病院の地下で鍼灸治療を行っていました。(※現在、玉川病院で鍼灸治療は行なわれていません)
ただ、スポーツの領域とはちょっと違いますよね。その辺りの折り合いはうまくつけられたんでしょうか。
ゆうすけ
蛯子先生
スポーツの現場ではマッサージが主流になるものの、鍼灸を活かせる場面もあると聞いていたので、葛藤はなかったです。人の体を触る前に、鍼灸の知識をきちんと学んだ上で、そこからスポーツの領域に進もうと考えていました。
玉川病院では、どんなことをやられていましたか。
ゆうすけ
蛯子先生
助手として問診をして、抜鍼やお灸もやっていました。患者さんも多かったので、経験を積めたのはすごくよかったと思います。毎週カンファレンスもあるから、「いろいろ勉強しなきゃな」と嫌でも気づかされました。ただ、ここでの研修はあまり長続きしませんでした。
その後はどちらに行かれたんですか。
ゆうすけ
蛯子先生
研修生になった年は、代田先生が東洋医学研究所の初代教授に就任した年でした。そのご縁で冬頃から女子医大の見学生として受け入れてもらい、そこから30年ちょっとお世話になっています。
魅力あふれる代田先生に影響を受けたこと
代田先生はどのような先生だったんですか。残念ながら僕はお会いしたことがなくて……。
ゆうすけ
蛯子先生
とにかくかっこいいんです。飾らなくて、誰と話しても態度が全然変わらない。圧倒的な存在感もありました。代田先生と一緒に仕事をするうちに「トレーナーになろう」っていう考えはどんどん薄れていっちゃったくらい。すごく魅力的な先生でした。
女子医大に入られたときから、ずっと一緒に仕事をされていた感じですか。
ゆうすけ
蛯子先生
女子医大にお世話になってからは、週1回の輪読会とカンファレンスでお会いするくらいの関係だったんです。でも1995年から代田先生が請け負った厚生省(当時)の委託研究のお手伝いをするようになってから、かかわる場面が一気に増えていきました。
とはいえ、突然研究に携わるのも、大変そうですね。
ゆうすけ
蛯子先生
ええ、研究をしたことがないので、わからないことだらけでした。わからないことがあれば、その都度、質問にいくうちに、やりとりが楽しくなってきて。そんなことを3年間続けていたら、文献を調べたり論文を書いたりすることができるようになってきました。
すごく学びになったんじゃないですか。その後の研究にも活かせるような。
ゆうすけ
蛯子先生
そうですね。今もすごく役立っています。その時の研究タイトルが「はり・きゅう施術時の客観的治療効果に及ぼす諸因子の研究」で、顔面神経麻痺、膝関節症、腰痛をテーマにして、評価法を調べて、評価したら記録して、画像も撮って。僕が顔面神経麻痺の論文をいくつか書けたのは、この時に教わったことをアップデートしながら今も続けているからなんです。
代田文彦先生と言えば、日本の漢方・鍼灸の中でもすごく重要な人物だと認識しています。今も自分に沁みついているような教えはありますか。
ゆうすけ
蛯子先生
あんまり鍼灸の技術的なことは教わりませんでした。「任せるよ」っていう感じだったので。それよりも、誰と話しても同じ態度でいる人柄が強く印象に残っていて。
人と人の接し方を学んだわけですか。
ゆうすけ
蛯子先生
そうですね。あとは人を待たせない先生で、忙しくても朝早くに来て、自分の仕事をされていました。僕も仕事の1時間前には出勤をして、朝にメールの返事だとか一通りの雑務を終えるようにしています。そういう習慣も影響を受けていると思います。
顔面神経麻痺の臨床研究をライフワークに
先生は顔面神経麻痺の臨床研究に精力的に取り組まれていますが、注目したきっかけは何だったんですか。
ゆうすけ
蛯子先生
代田先生が1970年代に女子医大耳鼻科でメニエール病の鍼治療の研究を始めて、そのうち「顔面神経麻痺にも鍼治療が良さそうだ」ということで研究が始まったんです。1996年に耳鼻科からの要請で、東洋医学研究所内に顔面神経麻痺の鍼専門外来を設置することになり、僕がその外来を担当することになったんです。(※現在、女子医大耳鼻科で鍼灸治療は行なわれていません)
そんな経緯があったんですね。
ゆうすけ
蛯子先生
そのうち学外の医療関係者からの問い合わせが増えてきたので、代田先生の後を継いで第2代教授となった佐藤弘先生の指導のもと、2013年に「顔面神経麻痺の鍼治療方針」をホームページに掲載しました。掲載後は学外の医療機関からの紹介も増えてきたんです。
顔面神経麻痺の鍼治療方針は、医師との連携を図るために書いたものなのでしょうか。
ゆうすけ
蛯子先生
それが本来の目的ですが、鍼灸師への注意喚起という面もあります。例えば、発症初期は、ステロイドを中心とした薬物治療、種々の検査が行われ、顔面神経減荷術などを希望する患者さんもいますので、それらのタイミングを逸してしまうことがないよう、発症後1カ月以内は積極的に鍼治療を行わないと記載しています。
それでは発症後1カ月以内は積極的に鍼治療をしないほうがいいとお考えですか?
ゆうすけ
蛯子先生
そうではないんです。東洋医学研究所では、麻痺の程度や電気生理学的検査の有無、医療機関でどのような治療を受けているか、顔面神経減荷術を提案されているか、医師の同意は得ているかなどを確認した上で、それでも鍼治療を希望する場合に発症1カ月以内の患者さんを受け入れるようにしています。
顔面神経麻痺の医療連携に関して、先生が今後力を入れていきたいことはありますか。
ゆうすけ
蛯子先生
今年発刊された顔面神経麻痺の診療ガイドラインで鍼治療の推奨度が上がりましたが、鍼灸師の質が上がったわけではないので、自分も含めてですが、医療連携に関われる鍼灸師を育成していくことが大事になると思っています。
育成にあたっての目標のようなものはありますか。
ゆうすけ
蛯子先生
日本顔面神経学会認定の顔面神経麻痺リハビリテーション指導士の制度ができましたので、東洋医学研究所内の鍼灸師が全員、認定指導士の資格を取れるよう一緒に勉強しているところです。そういう資格を持った鍼灸師が増えると、医療連携をする時にも結構強みになると思うんです。
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