タダシい学びのハジメ方(前編)/鍼灸師:矢野 忠・中根 一

こんにちは。ハリトヒト。編集部です。
このたび、ハリトヒト。は、令和元年7月14日 大阪・森ノ宮医療学園専門学校でおこなわれる「鍼灸フェスタ OSAKA」に出展させていただくことになりました!

今回は、その「鍼灸フェスタ OSAKA」とのコラボレーション記事です。
昨年5月におこなわれた「鍼灸フェスタ スピンオフ ショーバザール」内の対談セッション「タダシい学びのハジメ方」をもとに、記事制作をしております。

※ 当日の様子

対談の内容を書き起こしたものに、ご登壇された矢野 忠(やの ただし)先生と中根 一(なかね はじめ)先生が、加筆をしてくださいました。

貴重な対談を、このような形で皆さまにご提供できて、とても嬉しく思っております。
なお、これ以降の写真は、後日再撮影したものを使用しております。

3回に分けてお送りいたします。

では、どうぞ!!

プロローグ

司会:「鍼灸フェスタ スピンオフ ショーバザール」の第1セッション、矢野 忠(タダシ)×中根 一(ハジメ)による「タダシい学びのハジメ方」をはじめます。よろしくお願いします。

中根:去年に引き続き、お天気に恵まれてよかったですね。矢野先生、よろしくお願いします。

矢野:ハイ。よろしくお願いします。

中根:今回は僭越ながら鍼灸業界のちょっと先輩として、今までの勉強の内容や臨床の経験を踏まえてお話をさせていただきます。

みなさんはおそらく、勉強をしていくなかで迷うことがイッパイあると思うんですね。ぼくも教員をやっていた頃から、今でも学生さんからいろんな質問や相談を受けます。

このセッションでは、ぼくよりもさらに大先輩の矢野タダシ先生と、教育や臨床について、あるいは哲学的なことについて、ざっくばらんにお話できればいいな、と思っています。

矢野:よろしく(ペコリ)。

中根:本来は各学校内で、そういったお話がなされるといいんですが、専任教員はどうしてもカリキュラムやスケジュールに追われてしまう。みなさんが通っている学校の先生方も、本当はすごい引き出しを持っているんです。でも、その引き出しを学生さんたちに披露せずじまいで、3年間が終わるということが多々あるんです。

今回はぼくの持っている数少ない引き出しと、矢野先生が持っているたくさんの引き出しから、話題をたくさんピックアップしてお送りしたいと思います。

また、今回は矢野先生から、肩書きなしで「いち鍼灸師として」話したいというご希望がありまして…。自己紹介は、矢野先生どうしましょ…?

矢野:(いらないサイン)

中根:あ、そうですか(笑)。じゃ、さっそくハジメましょう。

学校での学びよりも、喫茶店で学んだことのほうが多かったです


中根:ではまずハジメに…矢野先生は、なぜ鍼灸師になられたのですか?

矢野:わたしは視力障害があって、この道に入ったんですね。当時は、はやく鍼灸の世界から抜け出したい一心で、3年間を過ごしておりました。

では、なぜ今も鍼灸師として、教育研究者として、この世界に携わっているのかというと、わたしの恩師である森 和(もり かず)先生に学生時代に巡り会ったからです。森 和先生のもとで学んだおかげで、鍼灸の世界の面白さ、広さ、深さを知り、もうちょっと真面目にがんばってみようかな、と思いました。

当時の東京教育大学 教育学部附属理療科 教員養成施設の在学中に森先生と出会い、それを機に初めて真面目に鍼灸、手技療法に関することについて勉強したというのが、わたしの出発点です。

中根:矢野先生、森 和先生について、少しお話を伺いたいのですが。ちなみに森 和先生のことをご存知の方は、この会場にどれくらい…?(会場に聞く)

あ、ほんのちょっとですね(汗)。改めまして、森 和先生のことをご紹介ください。

矢野:当時、鍼灸、あん摩マッサージ指圧師の教員を養成していた教育機関は、唯一東京教育大学教育学部(現筑波大学)でした。森 和先生は、そこの教員(当時は助手)でいらっしゃいました。東京教育大学の前身は、東京高等師範学校で、大変に格式の高い大学でした。いわば日本の教育者養成の総本山といったところでした。

戦後の学制改革によって、鍼灸あんまマッサージ指圧師の教育機関を、東京大学と東京教育大学のどちらに位置づけるのかの検討を経て、結果的に東京教育大学に配置されることになったという経緯があります。なお、理療科教員養成施設の前身も東京盲学校高等師範でした。同じ高等師範ということで、東京教育大学に配置されたようです。

当時の東京教育大学の理療科教員養成施設は、東京大学物療内科の大島 良雄(おおしま よしお)先生を中心に、鍼灸あん摩マッサージ指圧の科学的研究を進めていました。

当時の教員養成施設長が芹澤 勝助(せりざわ かつすけ)先生で、その芹澤先生の第一弟子が森 和先生です。芹澤先生は鍼灸師ではじめて医学博士号を取られた方で、そのあとに森 和先生が取得されました。芹澤先生、森先生は、先述の大島先生の指導のもと、日本の鍼灸研究を牽引・先導してこられた、すばらしい先生です。

鍼灸の世界を「鍼灸という望遠鏡」だけで見ても、その本質は見えてこない、また捉えることができない、ということを森先生は常に口にされていました。鍼灸、東洋医学は、そもそも学際的な学問であるという信念を持っておられました。

したがって、森 和先生は学際的な観点から、鍼灸医学、東洋医学の本質と魅力をえぐり出し、発信しようとされました。また、鍼灸臨床の応用分野として、現在の美容鍼灸、スポーツ鍼灸、内科鍼灸などの各診療科鍼灸といったように新しい分野と鍼灸臨床の専門性を提唱されたのも森先生でした。

そういった功績を持つすばらしい先生なのですが、当時の鍼灸界でも先生の名前や業績を存じている方は、先生の元で学ぶ学生や接触のあった人以外はあまりいなかったようです。

中根:矢野先生と森 和先生が出会われたのは、いつ頃のお話ですか?

矢野:昭和44年(1969年)の4月頃ですね。本格的に接近したのは昭和45年(1970年)からです。

中根:50年ほど前ですか! 森 和先生というのは、当時のイノベーターだったと。

矢野:そうですね。

中根:その鍼灸のイノベーターであった森 和先生に触発されたのが矢野先生だったんですね。

矢野:そうです。実は、わたしが鍼灸以外の道を歩もうとしたときに、森 和先生との出会いがありまして。その出会いが、わたしの人生を決定づけてしまったと…。ほんとは会いたかったのか、会いたくなかったのか…(笑)。

とにもかくにも、今の自分があるのは、森 和先生のおかげだと思っています。もちろん、大恩師である芹澤 勝助先生の影響も多分にあります。

中根:森 和先生は、どんなお人柄だったんですか?

矢野:そうですね。ひとことでは言い表せませんが、森 和先生そのものが学際的な人でした。先生からは、学校での学びよりも、喫茶店で学んだことのほうが多かったです(笑)。

中根:喫茶店で?!

矢野:当時は喫茶店というものが珍しかったんですね。ラーメンが50円から70円の時代に、喫茶店代が100円くらいで。喫茶店というのは洒落たところというイメージでね、サイフォン珈琲を初めて飲んだのもその頃です。

森 和先生は、すごく珈琲が好きで、サイフォン珈琲の専門店の喫茶店で、たくさんのお話をしてくださるのです。先生のお話は、それまでに聞いたことのない内容でした。それだけに真剣に聞いて、「読まれた本は何ですか、また関連する本はなんですか?」と質問して、その本を購入し、一生懸命に読んで…。そして、また、喫茶店で森 和先生とその本について議論をする、そういったことを繰り返していました。とても充実した時間を実感し、森 和先生と話すことが楽しみでたまりませんでした。当時、来る日も来る日も常にそうしていました。

たまにお酒にも連れていってくださいましたが、当時は貧しかったものですから、しょっちゅうではなく…たまに。喫茶店にはよく連れていってくださいました。ヒッピーが集まる新宿の風月堂にも。もちろんおごりで(笑。時々払いましたが)。

中根:(笑)。

矢野:とてもすばらしい学びでしたね。

中根:ちなみに矢野先生は、学生時代にどんな生活を送っていらっしゃったんですか?

矢野:東京教育大学 教育学部 附属盲学校2部専攻科(現在の筑波大学 附属視覚特別支援学校の鍼灸手技療法科)に在籍し、寮生活をしていました。当時は学校の授業には熱心ではなく…、寮から出たら、向かうはずの学校を素通りして、池袋の名曲喫茶店「白鳥」で、1日中、本を読む日々を過ごしておりました。東洋医学や鍼灸関係の本以外の本が中心でした。

当時、「漢方概論」という科目がありました。いまの「東洋医学概論」にあたる科目です。そのなかで気血栄衛や陰陽論が紹介されるのですが、とにかくよくわからない。科学が進んだこの世の中で、なぜ目に見えない気、陰や陽、更に経絡や経穴を学修しなければならないのか。西洋医学の解剖学だと、自分の目で筋肉や骨などを確認できるけれど、果たしてあるのかどうかも怪しい、とてもあいまいなものをベースに教育を進めていくこの東洋医学の教育とは、まったくなにごとか!といったことで、極めて懐疑的な態度で勉強をしておりました(笑)。東洋医学を信じていなかったのでした。

しかし、森 和先生との出会いにより、その態度は大きく変わりました。先生の話を聴いているうちに、ある時「鍼灸の世界は、古色蒼然とした偏狭な世界ではなく、とても広がりのある世界であり、その理論は常に最先端に通じる」と気付かされたんですね。そう気付いた時から少し真面目に勉強をするようになりまして、ついでに池袋の夜も楽しみながら(笑)、より濃密な時間を過ごしましょうということで多少力をいれて勉強しました。
その結果、流れ流れて、いまに至ったということです。

NEXT:シャワーを浴びるように臨床を続ける

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