少しでもよい結果を残すために、ストイックな日々を送るアスリートたち。
ランナーとして、全日本大学女子駅伝に出場した経験を持つ鍼灸師の福森 千晶(ふくもり ちあき)さんも、かつてはそんな選手の一人でした。
今は鍼灸師としてアスリートを支える福森さんですが、その道のりは平担なものではありませんでした。
陸上を始めた中学時代からずっと摂食障害に悩まされ、大学時代には鍼灸治療を受けたことによる事故で手術を経験します。
大学卒業後、競技から退いたあとは、生きる意味を見失った時期さえありました。
そんな福森さんが鍼灸師となり、「私だからこそできることがあるのかもしれない」と思える何かを見つけるまでのお話を聞いてきました。
福森 千晶(ふくもり ちあき)さん
略歴
奈良県橿原市出身
2007年 私立奈良育英高等学校 卒業
2011年 京都産業大学 文化学部 国際文化学科 卒業
2016年 森ノ宮医療学園専門学校 鍼灸学科夜間コース 卒業
2016年 はり灸碧空(出張専門)開業
2018年 山口誓己先生に師事
奈良県橿原市出身
2007年 私立奈良育英高等学校 卒業
2011年 京都産業大学 文化学部 国際文化学科 卒業
2016年 森ノ宮医療学園専門学校 鍼灸学科夜間コース 卒業
2016年 はり灸碧空(出張専門)開業
2018年 山口誓己先生に師事
折鍼事故の被害に遭う
福森先生は大学時代に、全日本大学女子駅伝に出られているんですね。アスリートとして何か鍼灸に助けられた経験から、鍼灸師になられたんですか。
ツルタ
福森先生
「助けられた」というより、大学2年生のときに受けた鍼治療で折鍼事故が起きてしまったことが、私にとって大きな経験でした。
えっ! どのような状況で事故が起きたのですか。
ツルタ
福森先生
私自身はうつ伏せになっていたので直接は見ていませんが、臀部に鍼通電をしたあと抜鍼するときに折れたようです。それで「あまり動かないで」と言われて、その場でいろいろ処置をしていたようですが、結局は抜けなくて。病院で切開する手術を受けて、折れた鍼を抜きました。
折れた鍼が体内に残ってしまって、それを取り除く手術をしたと……。それは大変でした。回復にはどれくらいかかったのでしょうか。
ツルタ
福森先生
抜糸するまで1カ月はかかりました。その後は、痛みはないものの、臀部にずっと違和感が残ってしまって……。座るときにちょっと浮かしてしまうとか、左右のバランスが崩れるので、競技をする上でつらかったですね。それから、冷えると気持ち悪い感覚が走るというのが、陸上を引退してからもありました。
「折鍼事故を起こさないようにする」というのは、鍼灸師なら誰しもがわかっていることだと思うのですが、実際に折鍼事故に遭った方の話を聞く機会はほぼありません。
ツルタ
福森先生
患者の声は拾ってもらえないですね。今でこそ、本当の意味で和解できていますが、事故後はその鍼灸師さんに避けられたこともショックでした。鍼灸治療による事故が起きてしまった場合、被害者の心のケアも大切ではないかなと、被害に遭った側としては感じています。
鍼との衝撃的な関わりになってしまいました。そこからなぜ、鍼灸師になろうと思ったのか気になるところです。
ツルタ
福森先生
鍼灸は良くも悪くも、人との縁次第で、大きく印象が変わりますね。まさに「ハリトヒト。」だなと実感します。
今は鍼が大好きですけど、その時は大嫌いになり、しばらくは受けるのをやめました。
今は鍼が大好きですけど、その時は大嫌いになり、しばらくは受けるのをやめました。
競技生活とともに始まった摂食障害
その後は、競技に復帰できたのでしょうか。
ツルタ
福森先生
はい、大学卒業まで陸上は続けました。卒業後も実業団で走ることが決まっていましたが、摂食障害がひどくなっていて……。過食が止まらず、体も心もボロボロでした。卒業間近に受けた検査で不調の原因は肝機能障害であるとドクターストップがかかり、「すみません」と事情を打ち明けて、実業団入りを辞退することになったんです。
摂食障害は、陸上選手として、体重を日々コントロールしていた影響でしょうか。
ツルタ
福森先生
まさにそうですね。中1で陸上を始めてから、長期にわたって、摂食障害に苦しみました。
最初は拒食症です。「痩せたら速く走れるんだ」という安易な考えからでした。栄養バランスなど無知な状態で糖質と水分を制限して、入学して3カ月で50キロから40キロまで落としました。ちょうどそのころ、母が糖尿病で、祖母が脳梗塞で相次いで倒れてしまい、心労が重なったこともあると思います。
最初は拒食症です。「痩せたら速く走れるんだ」という安易な考えからでした。栄養バランスなど無知な状態で糖質と水分を制限して、入学して3カ月で50キロから40キロまで落としました。ちょうどそのころ、母が糖尿病で、祖母が脳梗塞で相次いで倒れてしまい、心労が重なったこともあると思います。
陸上競技を始めた頃に、いわゆる拒食症になって、大学では過食症に逆転したんですね……。
ツルタ
福森先生
ずっと無茶をして、自分の体と心を酷使してきたからでしょう。大学卒業前くらいから「生きている」という実感がなくなっていました。
実業団入りを辞退してからは、どうされましたか。
ツルタ
福森先生
実家に引きこもって、昼夜逆転のような生活が2〜3カ月ほど続きました。人との交流をシャットアウトして「死にたい」とすら思うようになりました。
「死にたい」と思う毎日から抜け出たきっかけ
何か、外に出ようと思えるようになったきっかけはあるんですか。
ツルタ
福森先生
ちょうどそのタイミングで、それまで何も聞かないでいてくれた両親から「車の免許を取ったらどう?」と言われたんです。
ご両親は声をかける時期を見計らっていたんですね。
ツルタ
福森先生
部活動で合宿形式には慣れていたんで、どうせならばと、2週間ほど合宿で免許を取りに行くことにしたんです。
それが、すごくよいリフレッシュになりました。それまで「陸上競技ができなくなった自分に価値なんかない」と思って引きこもっていたんですが、過去の自分を知らない人たちに温かくしてもらえたことで、気持ちが上向いていきました。
それが、すごくよいリフレッシュになりました。それまで「陸上競技ができなくなった自分に価値なんかない」と思って引きこもっていたんですが、過去の自分を知らない人たちに温かくしてもらえたことで、気持ちが上向いていきました。
それまでは福森さんにとって陸上競技が全てだったわけですものね。
ツルタ
福森先生
高校も大学もスポーツ推薦で入学したので、一般受験をしたことがありませんでした。ただひたすら、部活の大会を目標にしてきたので、それがなくなったときに、どうすればいいのかがわからなくて……。
合宿から帰ってきてから、生まれて初めての就職活動を始めることができました。
合宿から帰ってきてから、生まれて初めての就職活動を始めることができました。
極端に言えば、部活だけやって大学、社会人と人生設計をしていくことだって可能なんですよね。
そうやって何か1つにすべてを懸けるのが美徳とされることもあるけど、やはりリスクも大きいです。その何かがなくなったとき、自分の価値も一緒に失われたように感じてしまう。
部活がアイデンティティになるって、なかなか理解されにくいので、一人で悩んでしまいがちだと思いますが……。
そうやって何か1つにすべてを懸けるのが美徳とされることもあるけど、やはりリスクも大きいです。その何かがなくなったとき、自分の価値も一緒に失われたように感じてしまう。
部活がアイデンティティになるって、なかなか理解されにくいので、一人で悩んでしまいがちだと思いますが……。
ツルタ
福森先生
そうですね、私だけじゃないと思います。今までしてきた努力って何だったんだろうと、そんなことばかり考えていました。
健康グッズの販売から鍼灸学校へ
就活ではどういう職種を目指したんですか。
ゆうすけ
福森先生
最初はリラクゼーションサロンを運営する企業の採用面接を受けました。今思えば、自分が癒されたかったんでしょうね。
でも面接で自分をうまくアピールできなくて、採用には至りませんでした。そこからハローワークに行って、職業訓練校でヨガやアロマ、ハーブ、健康危機管理などを学べる講座を受けました。そうした勉強を3カ月してから、健康グッズを販売するお店に就職することができたんです。
でも面接で自分をうまくアピールできなくて、採用には至りませんでした。そこからハローワークに行って、職業訓練校でヨガやアロマ、ハーブ、健康危機管理などを学べる講座を受けました。そうした勉強を3カ月してから、健康グッズを販売するお店に就職することができたんです。
あきらめずに努力して、健康増進に関する仕事に就くことができたんですね。
ゆうすけ
福森先生
そこで商品を売るときに、お客さんにボディクリームを塗ったりしているうちに、ちょっとマッサージのような感じになっちゃうんですね。働いているうちに「体のことをちゃんと勉強しなきゃいけないな」と思うようになり、鍼灸の学校に夜間で通い始めました。
なぜ鍼灸だったのでしょうか。
ゆうすけ
福森先生
開業権があるのが、大きかったんだと思います。誰かのためにというより、自分が心地良い空間を作って、そこを気に入ってくれる人がいれば理想だなって、思っていました。あとは、やはり折鍼事故を経験したことですね。なぜ事故が起きたのか。あいまいなままじゃないか……って、ぶり返したんです。
折鍼事故がずっと引っかかったんですね。その頃には、自分で鍼灸を受けたりはしていましたか。
ゆうすけ
福森先生
はい。自分が鍼灸師として目指すべきところはどこだろうと思って、いろんな鍼灸院を訪ねていました。鍼で怖い思いをしましたが、一方で効果も実感していたので、鍼を受けること自体への恐怖心はなかったです。
脈診で運命を感じた師匠との出会い
3年間の学生生活で、目指すべきところは見つかりましたか。
ゆうすけ
福森先生
当時、私が通っていた森ノ宮医療学園専門学校の先生から「広島に面白い先生がいるよ」と紹介されました。それが経絡治療学会の山口誓己先生でした。
経絡治療夏期大学で僕も講義を受けました。イケてる先生がいると思って、すごくよく覚えています。講義の内容もわかりやすくて。
ゆうすけ
福森先生
ホームページで経歴をみると、山口先生も中長距離のランナーだったんです。勝手に運命を感じて、1年時の春休みに初めて広島の志庵鍼灸院に行きました。それから毎月1回、広島に行くようになりましたね。
運命というのは、どのように感じたんですか。
ゆうすけ
福森先生
最初に脈を診てもらったときに、涙が出て来て「この先生だ」と思いましたね。働きながら夜間に通う生活が想像以上にハードで、精神的に弱っていたのもあると思うんですけど。
鍼をした時じゃなくて、脈を診た時なんですね。在学中、毎月通うってなかなかすごい情熱ですよね。
ゆうすけ
福森先生
卒業してからもプラス2年、計4年間にわたって、お金がないので、奈良から電車と夜行バスで通っていました。更にプラス1年は広島へ移住し、そばで学ばせていただきました。山口先生と経絡治療に出会えたことで、自分の進むべき道が見えてきたのは、大きかったですね。
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