「人としての経験を積まないと」と思った/鍼灸師:五味 哲也

まず、人としての尊厳を感じてもらわなければなかった

インドネシアから帰国したあとは、日本ではどのようなことをされていましたか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
帰国後すぐに、東京・大田区の入院施設もある外科胃腸科病院に就職した。
その病院では物理療法室で鍼を取り入れていてね。
鍼を取り入れている病院ですか。働いてみてどうでしたか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
うーん。ベルトコンベアのように患者さんが来て、置鍼をして、その間にマッサージと電気治療をして抜鍼という、流れ作業のような治療だった。
その環境では、インドネシアで経験したダイナミズムというか、やりがいを感じられなかったんだよね。
難しいところですが、病院という環境では数をこなす必要がありますものね…。
でも、インドネシア帰りの五味さんには、物足りなかったのかもしれませんね。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
徐々にストレスを感じるようになり、また海外へ行きたいという思いが芽生えてきてね。
2年ほどしてから、再び青年海外協力隊を通してケニアに行くことにした。
2カ国目のケニアですね。
ちなみに派遣先は選べるんですか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
自由に国を選べるわけではないけど、募集がある国は提示されているので、その中からは選ぶことができる。
そのとき募集があったのはケニアだけだった。
でも、国際協力を志したときから、いちばん貧しい地域であるアフリカに行きたかったんだ。
アフリカに関心があったんですね。
ケニアはどうでしたか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
インドネシアと違って、ケニアには「盲人が就ける職」がない状況だった。
だから本当に厳しい環境だと思ったよ。
それは大変そうですね。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
そういう厳しい環境のなかで、現地の盲学校の校長先生と日本の支援団体が、「日本式のマッサージに可能性がある」と考えたのが2005年頃だった。
日本式のマッサージに打開策を求めたということですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
そうだろうね。
その協力のために、ぼくが鍼灸あん摩マッサージ指圧師として初めてアフリカに派遣されたんだよ。
前回のインドネシアでは先輩がベースを作ってくれていたんですよね。
ケニアではほぼゼロからのベース作り…大変そうな予感がします…(汗)。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
うん、まぁそうだね。
実際に学校に行ってみたら、そもそも教室がなかった(笑)。
だから、授業を始める前に、学校に教室を作ることになってね。
えー! そこから(笑)!
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
大きな教室をベニヤ板で仕切って、色を塗る。
ベッドもなかったから、壊れたスプリングベッドの足を低く切ってもらって、その上にマットレスやレザーをかぶせて穴を開けて…。
とにかく大変だったけど、楽しかったな。
なんだかワクワクしそうですね。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
でしょ?
それから教科書もなかったので、ぼくの母校である呉竹学園の教科書を英訳した。
教科書の英訳まで!
大仕事じゃないですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
いやね、英訳と言っても、マッサージの実技の教科書だから、ほとんど絵なんだけど(笑)。
ほとんど絵(笑)。
手作りの教科書は活用できましたか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
かなり役立ったと思う。
そもそもケニアには、マッサージという文化がなかったんだ。
むしろ向こうでは「マッサージ」は売春婦が使う言葉で、非常にネガティブなイメージなんだよ。
なるほど。マイナスなイメージからスタート…。厳しいですね。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
そこで「マッサージ」という言葉を使わないで、日本式のマッサージである「SHIATSU」にしようと決めた。
最初は「ジャパニーズマッサージ」や「あん摩」としていたけど、現地の人にうまくニュアンスが伝わらなかった。
なにより「指圧は日本の文化だ」という思いも込めてね。
やはり、新たな文化を伝えるというのは工夫が必要なんですね。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
あと「SHIATSU」であればヨーロッパで認知されていることを考慮したんだ。
まずは、在ケニアの富裕層であるヨーロッパ人や日本人をターゲットにした。
彼らから指圧を広めようという戦略を立てたんだ。
なるほど、お客さんがいないと職業として成り立たないですもんね。
実際には、生徒さんに指圧をどのように教えたのですか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
理論より技術をつけてもらうために、「どんどん実践する」という方針で進めていった。
まずは生徒が食べていけるようになることを念頭に置いたから、実技重視で教えたよ。
「食べていくこと」を重要視していた背景には何かあったんでしょうか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
ケニアでは、盲人は食い扶持を減らすために親に捨てられてしまうような存在なんだ。
とても厳しい環境でね…。
教会の世話になるか、ストリートチルドレンになるか。
彼らは生きる道を選べない状況だった。
ぼくはそういう話を聞いて「彼らを絶対に指圧で食えるようにしたい」と奮い立っていた。
使命感ですか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
そうだね、最初の生徒は4人だったけど。
彼らは「どうせ私たちなんか」と卑屈で…。
どうしたら自信を持ってもらえるか、めちゃめちゃ悩んだよ。
まずは、自信をつけるところからですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
それで彼らを教会に連れていって、無料で指圧のデモンストレーションをさせたんだ。
そうしたら、ぼくたちを100名ほどの人が取り囲んで、順番待ちの争いが起きるくらい盛り上がった。
それはすごいなぁ。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
正直に言って、生徒たちは学び始めたばかりなので、指圧のレベルはけっして高くない。
だけど、デモンストレーションで人から初めて「ありがとう」と感謝され、心から喜んでいた。
そんな彼らの姿を見て、ぼくは思ったことがあって。
というのは?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
本当に初歩の初歩なんだけど、人としての尊厳や、彼らが社会にいる意味、役に立っている実感を、彼ら自身が持つことが大事だってこと。
人としての尊厳…。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
ぼくたちは施術して、患者さんにありがとうと言われることに慣れているよね。
でも、彼らにとって「ありがとうと言われるのは当たり前のことではない」と気付いたんだ。
とても大事なお話ですよね。
人に感謝されること、必要とされることが、彼らの自信に繋がるということかな。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
そういう姿を見て、余計にこっちも燃えてきてね。
「ケニア全土に指圧を広めることで、ケニア中の盲人が指圧で食っていける仕組みを作りたい」と思って、ぼくらは次の手を考えたんだ。
ケニア中に指圧を広めるってすごいですね。
その次の手とは?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
いいきっかけになったのがナイロビマラソン。
これはケニアで1番大きなマラソン大会でね。
在ケニアの日本人たちの協力もあって、ゴール地点で無料指圧イベントをさせてもらえることになった。
そこにランナーたちの行列ができて、メディアも数社が取材に来て、テレビやラジオで取り上げられた。

おお! それは指圧の知名度もグンと伸びそう。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
メディアに取り上げられて、生徒たちの自信になったのは、なにより大きかった。
それから生徒たちは、僕らが住んでいた町に、指圧クリニックを作ろうという「夢」を語るようになってね。
すばらしい変化ですね!
その指圧クリニックは実現したんですか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
学校の同僚が物件を探してくれてね。
物件といっても眼科の倉庫なんだけど、そこの先生が快く貸してくれたのはありがたかったな。
教え子の卒業生2人が、そのクリニックに勤務することになった。
それはよかったですね。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
目が見えない女性2人が部屋を借りて、自炊をしながら生活をする。
ケニアはお札の大きさが同じだから、目が見えないと金額をごまかされたりするんだよ。
そんな中で、自分たちでお金を稼いで、自活するというのはケニアではとても画期的なことだったんだ。
革命的、と言っても過言ではないでしょうね。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
でも、予想外なこともあったよ(苦笑)。
彼女たちはビジネスの知識がなく、ただ施術するだけだったから、だんだん飽きてきちゃう。
「患者さんとの待ち合わせ時間に施術者が来ない」「オープンの時間に店を開けていない」など、クレームの嵐になってしまった。
自活できていても、仕事を継続するモチベーションにはつながらなかった、と(汗)。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
うん。加えてこの頃、ケニアの大統領選挙の影響で民族同士の内乱状態になって、ぼくも任地から避難せざるえなくなって…。
彼女たちを十分にサポートできなくなってしまったんだ。
生徒のひとりは実家を焼き討ちされたりもしたんだよ。
焼き討ち…日本だと想像ができない事態…。
それって何年頃ですか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
2007年頃だね。
そもそも派遣の任期は2年間だったから「このままぼくが帰ってしまったら、元の木阿弥になってしまうぞ」と危機感を覚えた。
指圧をケニアの文化にするためには、富裕層などの特定の人たちだけではなく、もっと多くのケニア人に知ってもらうことが必要だし、生徒たちが継続的に仕事を得るためには「自分たちで営業や交渉をして、仕事を取ってくる」というスキルが必要だなと考えて、残りの期間が10ヶ月の頃から、行動に移した。
具体的にはどんなふうに、そのスキルを伝えたんですか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
営業には一緒に行くけど、交渉するのは彼らに任せるようにしたんだ。
ほかにも、スーパーマーケット前でのデモンストレーションを教え子たちだけでやってもらったり、バス移動の時間を使って、1分間で相手を納得させるセールストーク練習もしたね。
実践的!
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
その活動の中で出会った人に名刺を渡したりして、地道な活動を続けていくうちに、卒業した生徒たちも日本人や白人のコミュニティとつながりができてきたんだ。
往診をしたりヘアサロンで雇用してもらったりと、指圧でなんとか食べていけるようになってきたのは、うれしかったよ。
地道な努力が実を結んだんですね。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
実績ができてくると、ケニア政府の方からも公式な資格制度の創設や、SHIATSUインストラクターの養成コースを創ろうという動きが出てきた。
でも、その話が具体化される前に、ぼくの任期は終わってしまって、帰国することになった。
歯がゆいタイミング…!
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
でも、ぼくが帰国して1年後に、JICAから2代目の隊員が派遣された。
その後任者が、さらに営業先を開拓してくれたんだ。
現在は、指圧学校にしっかり予算が付いて、教室も大きくなり、入学希望者も多いらしい。
まだ国家資格ではないけど、学校からの認定資格は出るようになったと聞いているよ。
本当に大きな仕事をしましたよね。
現在、何人くらい現地で指圧師として働いているのですか?
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
生徒数はのべ30名くらいかな。正確にはわからないけどおよそ半数は指圧師として働いている印象だね。
治安の悪化で、ぼくがいた学校への日本人の派遣は止まってしまっている。
でもその間も、ケニア人だけで指圧コースを運営しているんだ。
把握していない生徒もいるだろうから、実数はもっと多いと思う。
自分たちで運営できるまでに成長したんですね。
ゆうすけ
ゆうすけ
五味先生
五味先生
ケニアへの派遣隊員は5代目まで続いていて、現在6代目の募集が始まっている(2019年8月28日現在募集中)。
ぜひ情熱のある人に応募してもらいたいな。現地は日本人を渇望しているよ!
五味さんの成果が、今も引き継がれているんですね。
ゆうすけ
ゆうすけ

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