東京都小平市・花小金井のマンションの1室で、院長の母親とともに鍼灸院を営む、樋口 美花(ひぐち はるか)先生。
彼女は大正時代から続く、5代目鍼灸師。
インタビューを担当するのは、私、卜部 佑三絵(うらべ ゆみえ)。
私も、祖母の代から56年の歴史をもつ鍼灸院の、3代目院長なのです。
代々、鍼灸師の家系に生まれて、親と同じ仕事をするとはどういうことなのか。
修行はしたの? 給料はどうなっているの? 悩みはある?
意外と聞けない「鍼灸師家系」のナゾと、セキララな内部事情。
それから、ほんの少しの愚痴も織り交ぜて、お届けします。
樋口 美花(ひぐち はるか)先生
帝京平成大学 鍼灸学科を卒業後、東京・花小金井にて母が運営する「コスモ治療院」に勤務。
公益社団法人 東京都鍼灸師会 広報部、練馬区鍼灸師会 総務としても活動中。
集団の中では、自分を表現できなかった学生時代
はじめまして。ウラベと申します。私は3代目で、樋口先生は5代目。
女性鍼灸師どうしで共通項も多いので、お会いできるのを楽しみにしていました。
女性鍼灸師どうしで共通項も多いので、お会いできるのを楽しみにしていました。
ウラベ
樋口先生
わたしもです。よろしくお願いします。
まずは、鍼灸師になる前のお話を伺いたいです。
ウラベ
樋口先生
生まれ育ったのは、東京の小平市にある花小金井です。
いまの職場も同じなんですが、ずっといたわけじゃなくて。
中学の時に、父の仕事の関係で福島県に家族で引っ越しました。
いまの職場も同じなんですが、ずっといたわけじゃなくて。
中学の時に、父の仕事の関係で福島県に家族で引っ越しました。
お父様が転勤されたんですね。
ウラベ
樋口先生
そうです。で、高校は、私立の全日制の学校に入ったんですけど…。
けど?
ウラベ
樋口先生
高校1年の終わりの時に、同じ系列の単位制の高校に移動しました。
単位制というのは…?
ウラベ
樋口先生
通信制みたいな感じですね。
高校生活の途中で自律神経の調子が悪くなってしまって…、学校に通えなくなったんです。
高校生活の途中で自律神経の調子が悪くなってしまって…、学校に通えなくなったんです。
あらあら。
ウラベ
樋口先生
昔はクラスの中にいると、自分の意見がうまく伝えられなくて。
今と全然違うと思われるかもしれませんが(笑)。
今と全然違うと思われるかもしれませんが(笑)。
自分を抑えすぎてしまったんですね…。
ウラベ
樋口先生
そうなんです。
それがキッカケで、母に治療してもらうことになりました。
それがキッカケで、母に治療してもらうことになりました。
鍼灸治療を受けたんですね。
ウラベ
樋口先生
そうです。で、その後、母の治療を受けて、しばらくすると、はじめは気分が乗らなかった学校に楽しく通えるようになっていたんです。
へぇ! さすがお母様!
ウラベ
樋口先生
自分が治療を受けて、初めて「鍼灸ってスゴイ!」と思いました。
そういう経験があったんですね。その後の進路はどのように?
ウラベ
樋口先生
えっと…、その頃、母は福島の自宅の1室で分院を開設していたんです。
だから、家にいると、患者さんが来られるような環境でした。
だから、家にいると、患者さんが来られるような環境でした。
患者さんにお会いできる環境だったと。
ウラベ
樋口先生
そうそう。で、治療室に入る時に辛そうだった患者さんが、帰る時は明るい笑顔に変わっていたのを目の当たりにしたんですよね。
うんうん。
ウラベ
樋口先生
「鍼灸でそんなに変わるんだ!」と、当時の私には衝撃で…!
高1の時に自分の症状が改善したことと、そういった母の治療風景を間近で見ていたことが重なって、「私も鍼灸師の仕事をやってみたいな」と思いました。
高1の時に自分の症状が改善したことと、そういった母の治療風景を間近で見ていたことが重なって、「私も鍼灸師の仕事をやってみたいな」と思いました。
お母様の影響が大きかったんですね。
高校卒業後は福島の鍼灸専門学校に進学したんですか?
高校卒業後は福島の鍼灸専門学校に進学したんですか?
ウラベ
樋口先生
それがですね…、福島の専門学校への入学が決まっていたんですが、高校3年の秋に、父がまた東京に戻ることになって。
急遽、東京で鍼灸を学べるところを探して、帝京平成大学の鍼灸学科に入学しました。
急遽、東京で鍼灸を学べるところを探して、帝京平成大学の鍼灸学科に入学しました。
えぇ! それは突然ですね。
ウラベ
樋口先生
福島の専門学校には、母が深々と頭を下げにいったそうです(笑)。
あらあら(笑)。
ウラベ
最初の半年間は施灸と抜鍼だけ
帝京平成大学を卒業して鍼灸師になったあと、修行期間のようなものはあったのでしょうか?
ほかの治療院に勤務したり、師匠についたり…。
ほかの治療院に勤務したり、師匠についたり…。
ウラベ
樋口先生
ほかの治療院での修業期間は、特にありませんでした。
最初から、ゆくゆくは母の鍼灸院で一緒に働こうと考えていたので。
最初から、ゆくゆくは母の鍼灸院で一緒に働こうと考えていたので。
就職活動はされなかったんですか?
ウラベ
樋口先生
できれば、母のやり方に近い鍼灸院で修行したいなと思って、少しはしたんですけど…。
結果的に見つからなくて。
結果的に見つからなくて。
理想の形があったんですね。そのお母様の「やり方」を教えていただけますか?
ウラベ
樋口先生
鍼とお灸だけのシンプルな治療院です。
あぁ、そういったシンプルな治療院は少なくなっていますね。
ウラベ
樋口先生
そうなんです。
それで、母に相談したら「私のところに来ればいいじゃない」と言ってくれたので、そのまま一緒に働き始めました。
それで、母に相談したら「私のところに来ればいいじゃない」と言ってくれたので、そのまま一緒に働き始めました。
うんうん。
ウラベ
樋口先生
ちなみに、ウラベさんは、修行期間はありましたか?
わたしは父から「まず1万人の患者さんの身体を触ってきなさい」と言われました。
ウラベ
樋口先生
へぇ!
それで、鍼灸接骨院で3年半働いて、のべ1万人の施術をしてから、実家の鍼灸院に戻りました。
私は父のやり方と全く違う、スポーツ鍼灸や美容鍼灸を学べるところを選びました。
私は父のやり方と全く違う、スポーツ鍼灸や美容鍼灸を学べるところを選びました。
ウラベ
樋口先生
私と逆ですね(笑)。
そうですね(笑)。
では、樋口先生は、お母様の鍼灸院で修行されたということですよね?
卒業後、すぐに鍼灸の施術に入れましたか?
では、樋口先生は、お母様の鍼灸院で修行されたということですよね?
卒業後、すぐに鍼灸の施術に入れましたか?
ウラベ
樋口先生
最初は施灸と、鍼を抜くだけでした。
どのタイミングで、患者さんに鍼をして良いというOKが出たのですか?
ウラベ
樋口先生
鍼灸師になって半年ちょっと経ってからですね。
急に母に呼ばれて「足三里と三陰交に鍼をしてきて」と言われて。
急に母に呼ばれて「足三里と三陰交に鍼をしてきて」と言われて。
うんうん。
ウラベ
樋口先生
それから刺鍼を許された感じですね。足元から少しずつ、鍼をさせてもらいました。
今も院長を局所的にサポートしているんですか?
ウラベ
樋口先生
今はベッドが3台あるので、2人でお互いに行き来しながら、治療をしています。
母と2人で息を合わせて、そのときにいらっしゃる患者さんの治療をしているイメージですね。
母と2人で息を合わせて、そのときにいらっしゃる患者さんの治療をしているイメージですね。
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