「真の科学化」とは程遠い現実
松田先生
それにしても、今はフォークロアが足りないよね。
というと?
ツルタ
松田先生
そうじゃない?
それこそ「エビデンスが大事!」とか言い出してから、みんなクソ真面目になっちゃってさ。
それこそ「エビデンスが大事!」とか言い出してから、みんなクソ真面目になっちゃってさ。
おっと(笑)。エビデンスについてどう考えますか?
ツルタ
松田先生
さっきのメディア論の話でも言ったけど、どんなことにもプラスの面とマイナスの面がある。
エビデンスはさ、使えるものは使えばいいけど、鍼灸師の世界って絶対エビデンスが出てこないことも多いわけでしょ?
エビデンスはさ、使えるものは使えばいいけど、鍼灸師の世界って絶対エビデンスが出てこないことも多いわけでしょ?
うーん、それはあると思います。
それでも今はエビデンスをなんとか集めて、社会における鍼灸の地位向上を目指しているのかなって。
それでも今はエビデンスをなんとか集めて、社会における鍼灸の地位向上を目指しているのかなって。
ツルタ
松田先生
ぼくはずっと感じてるんだけど、鍼灸界を覆うネガティブな思想の1つに、現代医学に対するコンプレックスがあるでしょ。
それは、明治政府と敗戦後のGHQと、2回にわたって伝統医療に対する弾圧があったからなんだろうけど。
それは、明治政府と敗戦後のGHQと、2回にわたって伝統医療に対する弾圧があったからなんだろうけど。
鍼灸って弾圧の対象だったんですよね。
ツルタ
松田先生
2回も科学化しないと鍼灸は認めないと言われたものだから、現代医学に擦り寄るようになっちゃった。
つまり、社会の認知を得るために、科学化をはかるようになったのね。
つまり、社会の認知を得るために、科学化をはかるようになったのね。
動機がすっきりしない科学化ですね。
ツルタ
松田先生
鍼灸の科学化について、わが尊敬する柳谷 素霊(やなぎや それい)は「真の科学化」ということを言っている。
真の科学化ですか?
ツルタ
松田先生
今の科学は粗っぽすぎて、それでは鍼灸の「複雑で繊細な生きた技術の作用」を丸ごと科学化するのは無理だ、と素霊は言うんだよね。
今の科学では鍼灸は評価しきれないということですか?
ツルタ
松田先生
今の科学化は、鍼灸が患者さんの自然治癒力に働きかけてやっている全体の作用のごく一部を、粗雑な科学語で説明しているだけ。
それさえも、すでに臨床家が実感としてわかっていることの「あと追い」なんだよね。
それさえも、すでに臨床家が実感としてわかっていることの「あと追い」なんだよね。
鍼灸臨床において、すでにあったことを、説明できるようになっただけか。
ツルタ
松田先生
だから、鍼灸師が科学で解明できないことを存在しないかのように考えるとしたら、鍼灸業界にとって科学化は大変な弊害なんだよ。
今の科学で評価できない部分の価値を見誤ったり、軽率に捨てたりしたら、大変な損失になりますね。
具体的に真の科学化とはどういうものですか?
具体的に真の科学化とはどういうものですか?
ツルタ
松田先生
うん、柳谷 素霊は昭和25年に『鍼灸医術に於ける古典の科学性に就いて』でこう言っている。
「もっと科学が進んで、量子力学的な見方が出はしないか、電磁場的な説明がなされる日がありはしないかを私は夢見ている。そのようになったときの鍼は、進んだ鍼の科学として新しい意義のもとに扱われるであろう。ということは、いわゆる『名人芸』とか『勘』とか『コツ』とかいわれ、標識されていた『技術』が自覚されて『科学』になることを秘めているのである」ってね。
「もっと科学が進んで、量子力学的な見方が出はしないか、電磁場的な説明がなされる日がありはしないかを私は夢見ている。そのようになったときの鍼は、進んだ鍼の科学として新しい意義のもとに扱われるであろう。ということは、いわゆる『名人芸』とか『勘』とか『コツ』とかいわれ、標識されていた『技術』が自覚されて『科学』になることを秘めているのである」ってね。
なんとも壮大な話ですね。
ツルタ
松田先生
素霊のことばには、ネガティブな意味だけではなくて、「今はまだ無理だけど、科学がさらに解明され、進化していけば、いずれは鍼灸術も鍼灸の古典も真に科学化できる」という、願望や希望も含まれると思うんだ。
第2次大戦の敗戦直後の動乱期に、素霊はこうも言っている。
「古典派も科学派も霧消し、真に科学的古典の実践を見るに至るであろう」(昭和21年5月、『医道の日本』巻頭言)。
カッコイイよね。「現在の鍼灸界に、古典派、伝統派と科学派の対立があるとしたら、そんなものは小さいものだ。いずれは一緒になるんだから」と、素霊は言ってるんだよね。
第2次大戦の敗戦直後の動乱期に、素霊はこうも言っている。
「古典派も科学派も霧消し、真に科学的古典の実践を見るに至るであろう」(昭和21年5月、『医道の日本』巻頭言)。
カッコイイよね。「現在の鍼灸界に、古典派、伝統派と科学派の対立があるとしたら、そんなものは小さいものだ。いずれは一緒になるんだから」と、素霊は言ってるんだよね。
真の科学化で『名人芸』や『勘』、そういうところも解明されたら、名人クラスの技術が一般化するということか。
これはすごい科学化ですね。それでは今の科学化の手法はどうですか?
これはすごい科学化ですね。それでは今の科学化の手法はどうですか?
ツルタ
松田先生
今の「RCTでエビデンスを得る手法」というのは、いかにも大変なことをしているように言われるけど、統計処理した確率論でしか答えは出せていないよね。
あるがままの臨床の世界ではない。
でも、それは仕方がないこと。
あるがままの臨床の世界ではない。
でも、それは仕方がないこと。
RCTや既存の科学化の限界ということですね。
ツルタ
松田先生
そう、そう。鍼灸臨床という、1人ひとり違う施術をするのが原則の医療の効果を、薬物療法という画一的治療の試験法でみようとするわけだからね。
しかも、実際の鍼灸術はプラセボの心理効果を積極的に利用するのに、RCTはそれを排除した実験方法だから、不自然そのものだよ。
しかも、実際の鍼灸術はプラセボの心理効果を積極的に利用するのに、RCTはそれを排除した実験方法だから、不自然そのものだよ。
「鍼灸刺激」と「鍼灸術」の違いですね。
RCTは物理的な鍼灸刺激だけを評価するわけだから、鍼灸術の一部にすぎない。
RCTは物理的な鍼灸刺激だけを評価するわけだから、鍼灸術の一部にすぎない。
ツルタ
松田先生
こうした限界のある画一的なRCTでさえ、腰痛や膝関節痛などに効くという結果が出ているんだから、鍼灸を社会に定着させるために、使える情報や知識ならどんなものでも使えばいい。
だけど、鍼灸師がRCTで良いデータが得られないことに失望したり、コンプレックスを感じたりする必要はまったくないわけよ。
だけど、鍼灸師がRCTで良いデータが得られないことに失望したり、コンプレックスを感じたりする必要はまったくないわけよ。
なるほどなぁ。
ツルタ
松田先生
科学に認めてもらおうなんてのは、志が低すぎるよね。
むしろ、古代から継承された伝統医療である鍼灸術には、現代の科学や生命観、社会観を変革して、新しい科学、医学を創り出せる可能性さえ宿っているんだよね。
むしろ、古代から継承された伝統医療である鍼灸術には、現代の科学や生命観、社会観を変革して、新しい科学、医学を創り出せる可能性さえ宿っているんだよね。
【記事担当】
取材・文=ツルタ
取材・撮影=さまんさ・ウラベ
編集=さまんさ
撮影協力=トンボロ
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