タダシい学びのハジメ方(前編)/鍼灸師:矢野 忠・中根 一

明治時代は、日本伝統医学の分岐点


中根:日本は…臨床教育なのに、人柄やコミュニケーション能力は二の次という。

矢野:現状は、偏差値の高い人が医学部に入学する傾向がありますね。

医学について、ウィリアム・オスラーという有名な内科医が、「医学はサイエンスでありアートである」という言葉を残しています。サイエンスとアート、両方を兼ね備えたものが医学であるという意味ですね。サイエンスだけではないということです。

アメリカでは「Medical Science(メディカルサイエンス)」と、「Medicine(メディスン)」とは、明らかに分けています。

中根:「メディカルサイエンス」というのは病気の予防や治療を扱う科学的な根拠のある医学ことですね。そして、「メディスン」は医学そのものとして、英語では使い分けられています。

矢野:医療を英語に訳すと、どちらも「メディスン」になります。日本では、医学の応用が医療であり、医学と医療とは異なるものとして扱われています。ですので、明治国際医療大学にも「保健医療学部」という学部がありますが、「医療学部」と名乗るのはOKだけれども、「医学部」とは名乗れないというふうに「医学」と「医療」とは厳密に区分されています。それは、医学の応用が医療として位置づけられているからです。医者を頂点とする、ヒエラルキーによるものと思われます。

中根:医学が頂点にあって、その下に医療があるというのは、医学者の都合のように感じますね。

矢野:本当にそうであって良いのか…。医学・医療の中心が患者であることに目を向けるべきなのですが、その原因については、明治時代に遡って考えてみる必要があります。

日本の正統医学として、明治時代に導入された医学がドイツ医学でしたが、その影響が強すぎたのではないかとわたしは考えています。もし明治時代にイギリス医学が日本に導入されていれば、今の医学教育、また医療制度全体が、かなり変わっていたのではないか、そのように考えることがあります。

明治政府をリードしていたのが薩摩でした。大久保 利通が暗殺されずに明治政府を司っていたならば、イギリス医学が日本の正統医学になっていたのではないかと、ついつい思ってしまいます。皆さんにも、明治期において「日本の医学をどうするのか」ということについて、興味を持っていただきたいですね。まさに明治時代は、日本伝統医学の分岐点でありました。

なお、ドイツ医学とイギリス医学の違いについては、象徴的な話が吉村 昭(よしむら あきら)の『白い航跡』という小説の中に書かれています。主な登場人物は陸軍の軍医総監の森 林太郎(=森 鴎外)と、海軍の軍医総監である高木 兼寛(たかき かねひろ)です。

この小説では、脚気の原因と治療について、森 林太郎と高木 兼寛の取り組みの話が描かれております。日露戦争の時代、戦死する兵隊よりも、脚気で死ぬ兵隊のほうが多かったんですね。富国強兵というスローガンを掲げていた日本は、その事態を無視できない。放置すると、国力の減退、特に兵力の減退が起こり、植民地化されてしまう。そういった状況の中で、「脚気をなんとかしよう」という研究がはじまりました。

陸軍軍医総監であった森 林太郎は、集団で暮らしている兵隊が次から次に亡くなる状況から、細菌による感染症が原因ではないかと考え、兵舎の衛生環境を整えるのですが、効果がまったく出ない。

一方、海軍軍医総監であった高木 兼寛は、兵士の訓練、生活や食事等あらゆることについて日本海軍とイギリス海軍を比較しました。日本海軍はイギリス海軍に倣っていたことから、「イギリス海軍には脚気患者がいないのに、日本海軍には脚気患者が多発する。これなぜなのか」という疑問から、その違いを明らかにすれば、原因が究明できると高木 兼寛は考えました。それは彼が薩摩においてウィリアムス・ウィリスからイギリス医学を学んでいたからだと思います。

すなわちイギリス医学の特色は、観察にあります。ドイツ医学が分析を得意とするのに対して、観察を重視する。従って、患者の病態だけではなく、生活等も含めてつぶさに観察することを通して問題点を捉えようとします。その結果、唯一、イギリス海軍との違いは、食事であること、つまり、パンと米であることを高木 兼寛は発見するのです。

当時の日本では、「軍隊に入ると白米が食べられる」という言葉が囁かれ、農家の次男坊や三男坊は、白米が食べたいがために入隊することが多かった時代です。白米は、軍人の精神、根性を養い、強い軍人をつくると言われていたようです。

その白米が、脚気の原因であると高木 兼寛は主張したものですから、陸軍の軍医総監であった森 林太郎は、黙っていません。しかも高木 兼寛は、白米(ご飯)よりも小麦(パン)が良いという。このことに対して、森 林太郎はドイツ医学の分析的医学視点から、白米とパンの栄養価を比較し、白米のほうがはるかに栄養価が高く、脚気の原因であるはずがないと批判します。

一方、高木 兼寛は、森軍医総監が言うように脚気は集団生活による細菌感染であれば、麦飯や玄米しか与えられず、劣悪な環境の中で集団生活を強いられている監獄の囚人はどうかという疑問を持ちました。調査すると、囚人には、誰ひとりとして脚気に罹った者はいないことに気付きます。イギリス海軍のパン、囚人の麦飯や玄米を中心とした食生活を見て、これはやはり白米が原因だと考え、そのことを実証するべく、日本の海軍において実験しました。

「白米が食べられるから兵隊に志願したのに、パンとは何事か」と、海軍兵士からは強い反対を受けましたが、なんとか説得し、パンに変えて、航海訓練を実施したところ、海軍では脚気患者が出なくなったのです。その後、高木 兼寛は、玄米やパンに脚気を予防する物質が含まれていることを明らかにし、論文にしました。

なお、オランダの医師エイクマンは、玄米に脚気を予防する物質が含まれていることを明らかにして、1929年、ノーベル生理医学賞を受賞しますが、最初に発見したのは高木 兼寛でした。ちなみに、鈴木 梅太郎も1911年に「糠中の有効成分について」の論文の中で、脚気と玄米に含まれる物質(後にオリザニン)の関係をエイクマンより早く発見しましたが、残念ながらノーベル賞受賞には至りませんでした。

なお、エイクマンは、この研究の先駆者は高木 兼寛であることを明記し、その功績を讃えたようです。いずれにしてもこれらの研究成果は、ビタミンの発見につながっていきます。

私が、この小説で思ったことは、イギリス医学はベッドサイドの医学で、モノをよく観察し、現象の背後にある本質を見抜くということです。イギリスは今も、自然医学を大切にしています。ですから、鍼灸や気功等の補完代替医療がとても盛んであり、そのために現代西洋医学サイドから抑制されつつあるという話まであります。

話を元に戻しますと、歴史には「…たら」ということはありませんが、明治期にイギリス医学を導入していたら、日本の鍼灸医療、鍼灸師の医療制度における位置付けもずいぶん変わっていたのではと思うのです。

ただ、繰り返しますが、歴史には「たられば」がありませんからね。ハイ。

>>> 「タダシい学びのハジメ方」中編に続く。


>>> 後編はコチラ。

【参考】

【記事担当】
加筆=矢野 忠先生/中根 一先生
対談書き起こし・文・写真・編集=さまんさ

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