何もうまくいっていないので、困っています/鍼灸師:古田 大河

くすぶっているのか、もう火が消えているのか……。

自身についてそう語るのは「ハリトヒト。鍼灸院 京都」の院長になる前の古田 大河(ふるた たいが)先生です。

古田先生が大学で一番興味を持ったのは「地域医療」だったといいます。大学院に進んだ後は、病棟で重篤な患者さんを診たり、福島県立医科大学のプロジェクトで地域医療の拠点となる医療センターの立ち上げメンバーになったり……。
そんな貴重な経験を積み重ねてきて、なぜ今くすぶっていると感じているのか。

これまでの歩み、そして現在とこれからについて聞きました。はたして、古田先生の火はまだ灯っているのでしょうか。

古田 大河(ふるた たいが)先生

【略歴】
1989年 長野県生まれ
2011年 明治国際医療大学 鍼灸学部 卒業
2013年 明治国際医療大学大学院 臨床鍼灸学専攻 修士課程 修了
2013~2018年 福島県立医科大学会津医療センター 漢方医学講座 助手
2018~2024年 のどか治療院 勤務
2020年~ 鍼灸MARU 開業
2026年~ ハリトヒト。鍼灸院 京都 院長

【現職】
ハリトヒト。鍼灸院 京都 院長
鍼灸MARU 代表
明治東洋医学院専門学校 非常勤講師
平成医療学園専門学校 非常勤講師

【所属学会】
全日本鍼灸学会
日本緩和医療学会

1番興味を持ったのは「地域医療」

古田先生は自身について「今、くすぶっている」と話してくれましたよね。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
本当に何もうまくいっていないので、困っています……。
なぜそう感じるようになったのか、これまでの歩みを聞かせてください。
まず大学で興味を持ったのはどんな分野だったのですか。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
明治国際医療大学の4年間で1番興味を持ったのが地域医療ですね。自分の興味があることを調べて発表するような授業で、何人かで地域医療について調べたのがきっかけです。
地域医療の中で、鍼灸師が何を担えるかみたいな話でしょうか。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
そういったところも含めて、地域医療について調べましたね。僕は長野出身なんですけど、地域医療で有名といわれている病院の1つに佐久総合病院があって。そこには東洋医学研究所もあって、見学にも行っていました。ちょうど卒業する時に採用募集が1件だけ出て受けたんですけど、落ちてしまって……。どうしようかなって思っていたときに、たまたま鈴木雅雄先生のゼミに入ることになったんです。
病院で鍼灸師が働く機会はあまりないのが現実ですよね。ゼミは何をやるところだったんですか。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
中薬学です。ある研修で指導教諭だった鈴木先生と話す機会があって、「地域医療みたいなところに関わっていくのが楽しそうだと思っている」って話したら、「地域医療をやるんだったら、医療のことをわかっていないとできないから大学院に来たら?」って言われたんです。
鈴木雅雄先生といえば、会津にも引っ張ってくれた恩師ですよね。当時の印象はどうでしたか。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
当時、鈴木先生はゼミのときは楽しいけど、病棟に入ると鬼って聞いていたんですよ。その厳しさについていけるかなと少し不安はあったんですけど、指導されて勉強する期間も必要だろうからと思って、大学院に進むことを決めました。

「医療って厳しい世界だな」

大学院は臨床鍼灸学専攻でしたよね。
ゆうすけ
ゆうすけ
古田先生
古田先生
はい。今はもうなくなったんですけど、当時は臨床鍼灸学専攻っていうのがあったんです。臨床実習として鍼灸センターで実習するのと、ローテーションで各科、それこそ外科とか内科とかを回っていました。
それって、病院の各科に鍼灸師がいるみたいな感じですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
古田先生
古田先生
研修や臨床研究の一環としてチームに鍼灸師が入る感じです。私の場合は内科だったので、入院している内科の患者さんに鍼灸をしていました。
入院している患者さんは、どういう疾患が多かったんですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
古田先生
古田先生
がんや間質性肺炎、COPDとか、いろいろな病気の方がいらっしゃいました。1年目は各科ローテーションで、2年目は所属の科、内科だったら内科、外科だったら外科、歯科だったら歯科みたいな感じで、自分がついている先生とか教室をメインに活動します。内科の場合はちょっと特殊で、1年目から回診に参加させていただきました。朝から晩まで病棟にいて、いろいろ勉強させてもらっていた感じです。
病棟での経験って、ルーキー鍼灸師にとってどうだったのでしょうか。どんな思い出が残っているのか気になります。
ゆうすけ
ゆうすけ
古田先生
古田先生
すごいざっくり言うと「医療って厳しい世界だな」って思い知りましたね。すごく勉強している医師であっても、対人なので難しいことがある。症状がキレイに取れるか、命を救えるかっていうと、なかなか難しい世界だなと痛感して……。
重篤な方も多い感じでしたか。
ゆうすけ
ゆうすけ
古田先生
古田先生
多かったですね。だから医師の中で完結するような患者さん、例えばこれくらいで症状が良くなってとかの見通しが立てられるような方は、あんまり鍼灸に声がかからなかった印象があります。どちらかというと、がんの末期の患者さんとか、呼吸器疾患でホントに状態が悪くて予後が良くない方とか。残っている症状があって「一緒に診てくれない?」っていうときに入ることが多かったですね。
まだ若い頃の経験ですよね。それは何歳くらいのときでしょうか。
ゆうすけ
ゆうすけ
古田先生
古田先生
21歳とかですね。ホントに衝撃的でした。この大学院修士2年の頃が、人生の中で1番濃かったと思います。
鍼灸で治すことが難しいような症例が集まっている場所に、ドンッと放り投げられてしまったような……。
ゆうすけ
ゆうすけ
古田先生
古田先生
鍼灸で治せないどころか、通常の医療すら限界がある症例でしょうかね。逆に言えばホントに末期になってくると、西洋医学の薬だろうが、いろんなケアだろうが、鍼灸だろうが、横並びになる感覚はありました。例えば、感染症なんかだと圧倒的に薬が早いじゃないですか。それだと鍼灸はおまけというか、ちょっとやっておいたらいいことがあるかもっていう位置づけになります。でも終末期になってくると、一気に価値が高まる感じがありました。そういう意味で、やる価値があるのかなっていうのは、今でも思っています。
きっと病棟での研修から得た学びは多いのでしょうね。特に思い出に残っている患者さんはいますか。
ゆうすけ
ゆうすけ
古田先生
古田先生
修士2年目のときに、間質性肺炎の方を担当させていただきました。最後まで関わらせてもらって、言葉にできない感覚がありましたね。残念ながら亡くなられたときは、単に悲しいわけでも、単に悔しいわけでもない。なんだろう。やるせなさみたいなものを感じて。でも生きている間に、鍼灸によって少し呼吸が楽になるとか、そういう時間をちょっとでも作れたのは、意味があったと思っています。

会津では準備室からチームの一員に

大学院を卒業してすぐ、会津医療センターの立ち上げに関わったんですよね。
タキザワ
タキザワ
古田先生
古田先生
はい。福島県立医科大学のプロジェクトの一環として、地域の拠点病院として会津医療センターが発足しました。会津医療センターの漢方医学講座内の鍼灸部門の立ち上げメンバーとして、鈴木先生とともに着任させていただきました。漢方医学講座には、漢方部門と、鍼灸部門があったんです。今思えば、本当に運命的だったと思っています。
会津では、どんなことをしていたんですか。
タキザワ
タキザワ
古田先生
古田先生
センターが開設される前の1カ月間、準備室という形で、新しく着任する先生達が集まっていました。そこには一緒に働く漢方科の医師もいたし、呼吸器科の若い医師もいたりして、その中に鈴木先生と僕の鍼灸師2人が同じ部屋で机を持っていた感じです。医師のチームの中に入っていた感じです。
そこでは医師との関係性はどうでしたか。
タキザワ
タキザワ
古田先生
古田先生
僕はその時、24歳とかだったんですけど、医師も仲間として見てくれるし、一緒にご飯に行ったりとかしていました。そういうのはありがたかったですね。新しい病院全部の科が立ち上げなのでみんな手探りではありました。同じスタートラインを切れたので、準備室があってよかったなと今も思っています。
鍼灸外来と入院患者への鍼灸治療、あとは大学での教育にも関わっていたんですか。
タキザワ
タキザワ
古田先生
古田先生
臨床と研究と教育ですね。臨床では外来と病棟への出向という感じで。漢方外科という名前がついて、漢方薬が内科で、鍼灸が外科。
漢方外科ってすごい名前ですね。漢方薬の内科と鍼灸の外科が対等な関係というイメージで作ったわけでしょう。
タキザワ
タキザワ
古田先生
古田先生
そうです。漢方薬と鍼灸は両輪であるっていう考えが根底にあります。だから病棟では漢方外科として動いていた感じですね。外来は、病院に鍼灸院を併設した形になっていました。

患者さんは最初から順調に集まったんですか。
タキザワ
タキザワ
古田先生
古田先生
立ち上げは全然いなかったですよ。お昼とかは暇すぎて、待合室で鈴木先生とお昼食べながら「大丈夫かな」とか言っていました。
会津医療センターであっても、ある程度は時間がかかるものなんですね。
タキザワ
タキザワ
古田先生
古田先生
徐々に患者さんが集まってきましたね。隣に漢方内科があったので、そこに来る患者さんが紹介されて来るみたいな。他の鍼灸院と違うのが、病院の他科の先生が鍼灸を紹介してくれるケースが割とありました。一応目立つところにはあったので、それを見て鍼灸を受けたいって言って来てくれる方も徐々に増えていきました。だから一般的な鍼灸院の立ち上げよりかは、患者さんが来るきっかけはあったのかなと思いますね。

根本的に鍼灸が好き

会津には5年間いたんですよね。どうやって区切りをつけたのですか。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
そもそも任期が5年だったんですよ。もしかしたら「いたいです」って言ったら伸びたのかもしれないけど、やっぱり在宅をやってみたかったんですよね。地域医療にすごく憧れがあって。
在宅への憧れ、強いですね。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
それこそ「人を診ている」っていうイメージがあって、最終的にはそこにいきたいっていうのがありました。あと、これは大学院修士2年と、医科大学附属に身を寄せた結果わかったことなんですけど、やっぱり研究って大事なんですよね。大学にいる以上、研究はやっていかなきゃいけないんですよ。でも、僕の肌に全然合わなかった。やれない。端的に言うと、研究ができる人間ではなかったです。
研究ができる人間、できない人間っていますか。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
バリバリの臨床家でありながらバリバリの研究者でもある鈴木先生が隣にいて、ものすごい努力をされているのを間近で見ていたので。どのくらい頑張らなきゃいけないかを肌で感じて「無理だ」と思っちゃったんですよね。俺の人生、ここに捧げられる自信がないって。
ここ、というのは?
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
大学という組織ですね。この先ずっと研究をやっていかなきゃいけないというのは僕にとってはかなりのプレッシャーに感じたし、それをやれる能力が僕にはないと心底思いました。
なるほど。自分というものを知ったのかもしれませんね。それで臨床に向かっていった。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
会津では、各科から依頼とかを受けて色々な病棟に行ったんですけど、最終的に特に依頼が多かったのが緩和ケア病棟だったんです。それで、緩和ケアで鍼灸が必要とされることを痛感したんです。
会津を出てからはどうしたんですか。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
在宅ケアで緩和ケアをちゃんとやるぞと思って、会津を出たんですよ。1回は勤めて、在宅のノウハウをある程度教えてもらいながら働いてっていう感じで。でも、いざ働いてみると、自分が理想とする在宅緩和ケアの中で鍼灸をちゃんとやるっていうのとは、ほど遠かったんです。なかなか「在宅ケアでちゃんと鍼灸をする」環境を作るのが難しいだろうなって感じて。
だから独立した。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
そうです。5年ほど自分なりに頑張ってみたんですが、なかなかうまくいかずっていう。くすぶっているんだか、もう火が消えているのかっていう感じで。それでここ2年ぐらいは「もう自分はダメだ」と思って、超病んでいましたね。
ところで「理想とする在宅緩和ケアの鍼灸」ってなんでしょう。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
医療介護の専門職がしっかり情報共有しながら、患者さん本人だけでなく、そのご家族も含めてサポートできている形です。その中に鍼灸師も居て、痛みとか倦怠感などに対して、現代医学とは違う視点から、触れるケアを通して必要な場面で必要な分だけ役割を果たす形でアプローチできたら素敵だと思います。
たしかに理想的ですよね。それが何故うまくいかないのか。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
僕のプロモーション不足だったり、コミュニケーション不足だったりが要因だと思います。押しが弱かったのもあるかもしれないです。でも、ごり押しするような領域でもない気もして……。
まだ鍼灸の価値に世の中がついて来れてないだけではないでしょうか。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
そう言っちゃうと、かっこよすぎちゃうんで。やっぱり病む中で考えていたのが、根本的に僕は鍼灸が好きなので、鍼灸はやりたいんですよね。でも大学病院での経験とかが変にあるから、理想が高くなっていたのかもしれないです。
くすぶっているけど、まだ火は消えてないですね。
ツルタ
ツルタ
古田先生
古田先生
あんまり普通ではできないような経験をしてきたと思うんですよ。それは自覚があるんです。自覚があるからこそ、それを生かさなきゃっていう気持ちがどこかにあるので。でも上手く生かせてなくて、めちゃくちゃ悔しいです。別に今までの経験が消えちゃったわけじゃないから、もうちょっと求められるような場所で、やり直してもいいかなって今は思っています。

【記事担当】
取材 = ゆうすけタキザワツルタ
撮影・編集 = ツルタ
文    = なるみさわ

>> インタビューのダイジェストマンガはコチラ

>>> 古田先生の選んだ本はコチラ(本編の翌週公開予定)。

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