>>> 「津田先生、学会ってなんですか?【前編】」はこちら
発表の内容がわからないって感じたらどうしたらいいんですか?
「わかりにくいニュアンスでも伝わるように言語化するのが大切」と先ほど先生がおっしゃられていましたが、聴く側からすると、それでもわからない部分ってあるじゃないですか?
ゆうすけ
津田先生
というと?
たとえば、ぼくの友達は1度学会に行ったことはあるんですけど、「発表の場で使われる言葉が難しく感じて、もう行かなくていいかなって思った」って言ってるんですよね。
ゆうすけ
津田先生
うんうん。
じゃあ、彼は鍼灸が嫌になったか、というと、そんなことは全くなくて。実際に今も臨床の場に立っている。
ゆうすけ
学術のことを知らなくても、臨床はできるもんね。
ツルタ
そうそう。彼のように、1度くらいは学会に行ってみようかなと思った鍼灸師でさえ、「続けて行きたい」と思えない原因って、やっぱりあると思うんです。
ゆうすけ
津田先生
うーん…。考えられる原因はいくつかあるけど…。
創刊号のインタビューに「医師との共通言語」のお話があったけど、それ以前に「鍼灸師同士の共通言語」を学ぶ土壌ができていないのかもしれないね。
創刊号のインタビューに「医師との共通言語」のお話があったけど、それ以前に「鍼灸師同士の共通言語」を学ぶ土壌ができていないのかもしれないね。
あ、そうです。そんな感じ。
たとえば、さっきの「ナラティブ」っていう言葉も、前回の学会のタイトルになっていて。
たとえば、さっきの「ナラティブ」っていう言葉も、前回の学会のタイトルになっていて。
ゆうすけ
津田先生
『健康・長寿を支える鍼灸学~新たなるエビデンスとナラティブへの挑戦~』 だね。
そう。でも、「エビデンス」も「ナラティブ」も定義が難しい言葉じゃないですか。
ゆうすけ
津田先生
うん。
研究に慣れ親しんでいない学生や、鍼灸師になりたての人たちって、「エビデンスってどういう意味で使っているんだろう」「ナラティブって、初めて聞いたなぁ」って感じて、その時点で距離を置いちゃうんじゃないかと。
ゆうすけ
津田先生
なるほど…。すごく大切な視点だね。
「意味がわからないなら、参加しても意味がない」って思っちゃうよね。
ツルタ
津田先生
うんうん、そうだね。「わかる人だけが、わかればいい」っていう雰囲気が出てしまっているのかもしれない。
これって「良い・悪い」って話じゃなくて、もっと根本的な問題を感じますよね。
ツルタ
津田先生
そうだね。…さっき「鍼灸師同士の共通言語」っていう話をしたんだけどさ。
はい。
ゆうすけ
津田先生
鍼灸師の共通言語が「多言語」であるということが問題だと思うんだよね。
東洋医学的な言葉と現代医学の言葉、さらに流派ごとの言葉。
東洋医学的な言葉と現代医学の言葉、さらに流派ごとの言葉。
たしかにそうですね。自分は当たり前のように使うけど、他の流派の人たちにはわからない言葉ってありそう。
ゆうすけ
津田先生
そう。鍼灸師って、そういうところがある。
さらに、お作法に則った「学会で使う言葉」になると、研究をしている鍼灸師でなければ、触れる機会も少ない。
さらに、お作法に則った「学会で使う言葉」になると、研究をしている鍼灸師でなければ、触れる機会も少ない。
うんうん。
ツルタ
津田先生
だから、「それぞれの鍼灸の良さ」を鍼灸師同士でも、他の医療職でも共有できるように言語化しよう、というのが、この全日本鍼灸学会の姿勢なんだけどね。
でも、実際問題、研究発表に慣れ親しんでいない人には、難しいところではあるね。
でも、実際問題、研究発表に慣れ親しんでいない人には、難しいところではあるね。
そもそも、研究発表で使う言葉を学ぶ機会が、鍼灸師にないのって、どこに原因があるんですか?
ウラベ
専門学校教育では、研究発表についての基礎知識を学ぶ必要性が想定されてないからじゃないですかね。
ゆうすけ
ぼくは学校では習ってないですね。
ツルタ
大学教育だと、最終学年でゼミや研究室に入って、研究の方法や発表の手段を、1から教えてもらえるんですよ。
そして、自分の研究を通して、研究の基礎を身につけていくんです。
そして、自分の研究を通して、研究の基礎を身につけていくんです。
ゆうすけ
わたしの専門学校は研究なども積極的だったから、少し理解ができるんですけど…。他の学校はないんですね。
ウラベ
津田先生
そうだね。大多数の専門学校と、大学の大きな差はそこにある。
いまのように鍼灸教育の現場が、大学よりも専門学校のほうが圧倒的に多い状況だと、学生や卒後すぐの鍼灸師の多くに「学会の発表の意味がわからない」と思われちゃうのは必然かもしれないよね。
これはシステム的な問題だね。
いまのように鍼灸教育の現場が、大学よりも専門学校のほうが圧倒的に多い状況だと、学生や卒後すぐの鍼灸師の多くに「学会の発表の意味がわからない」と思われちゃうのは必然かもしれないよね。
これはシステム的な問題だね。
とはいえ、専門学校の教員に、研究や学会のことを教えてほしいっていうのも、何か違う気がしますよね。
ツルタ
津田先生
そうだね。専門学校のカリキュラムだと、国家試験に合格することが最優先なのは仕方がないところがある。
そのあたりをカリキュラム改正で少しずつ補っていこうとする方向ではあるんだけれど。
そのあたりをカリキュラム改正で少しずつ補っていこうとする方向ではあるんだけれど。
どうしていけばいいんですかね?
ツルタ
津田先生
まず学会に参加してみて、「発表の内容がわからないのはなぜか」「何を勉強したらわかるようになるのか」に興味を持てるようになるのが1番いいんじゃないかな。
習うより慣れろってことですか?
ウラベ
津田先生
そう。学会の内容を100%を理解する必要はないんだよ。自分が知らないことを知るための機会でもあるから。
出席しているうちに「この言葉がよく出てくる」「これはこういう意味で使われている」というのが徐々にわかってくる。
出席しているうちに「この言葉がよく出てくる」「これはこういう意味で使われている」というのが徐々にわかってくる。
たしかに、ある程度のパターンがありますもんね。
ゆうすけ
津田先生
そう。みんなが東洋医学のことを初めて学んだときも、よくわからなかったけれど、学んでいるうちにわかるようになってきたでしょ?
気とか、陰陽とか?
ツルタ
津田先生
そうそう。参加して聞いているうちに、ちょっとずつわかってくる部分があるからね。
学会の発表を聞いて「学術が好きだ」と感じた人は、発表の際によく使う用語について、もっと深く勉強すればいいね。
そう感じなかった人は、最低限の用語をメモしておいて、自分で調べたりしながら、慣れていくといいかもね。
学会の発表を聞いて「学術が好きだ」と感じた人は、発表の際によく使う用語について、もっと深く勉強すればいいね。
そう感じなかった人は、最低限の用語をメモしておいて、自分で調べたりしながら、慣れていくといいかもね。
なるほど…。じゃあ、1つ気になってるんですけど…。結局のところ「エビデンス」って何ですか?
ツルタ
津田先生
ん…と…。これまた難しいな…(汗)。
鍼灸とエビデンスの関係ってどうなんですか?
津田先生
みんなは「鍼灸が世の中で広く認められたらいいな」と思ってるでしょ?
そりゃ、そうです。
編集部
津田先生
今の時代に鍼灸が世の中で認められるためには、患者さんを治すだけでは不十分。
「鍼灸師の倫理観」、「治療の安全性」、そして「エビデンス」があって初めて説得力を持つようになるんだよ。
「鍼灸師の倫理観」、「治療の安全性」、そして「エビデンス」があって初めて説得力を持つようになるんだよ。
でも「エビデンス」と言ったって、鍼灸師の研究は「これが効いた」「あれが効いた」みたいな話ばっかりじゃないですか。
それってどうなんですか? 信じていいんですか?
それってどうなんですか? 信じていいんですか?
ツルタ
津田先生
突っ込むねぇ(笑)。
ぼくは、鍼灸師の評価は甘いんじゃないかって、怪しんでいます(笑)。
まぁ、ぼくが研究のことを知らないだけでしょうけど。
まぁ、ぼくが研究のことを知らないだけでしょうけど。
ツルタ
津田先生
ほんとツルタくんは鋭いなぁ。
それってね、「出版バイアス」と言って、最近、鍼灸学会でよく話題になってるんですよ。
ツルタくんのそんな発想、学会向きだな〜。やっぱり、ツルタくんには学会に入ってほしいな〜。
それってね、「出版バイアス」と言って、最近、鍼灸学会でよく話題になってるんですよ。
ツルタくんのそんな発想、学会向きだな〜。やっぱり、ツルタくんには学会に入ってほしいな〜。
考えておきます。
ツルタ
津田先生
冷たいね(泣)。
ま、キミの言うとおり、「これが効いたという話ばかりになる」のは事実かもしれない。
それでもぼくが臨床家の人たちに求めたいのは、臨床で気付いた小さなこと、つまり「こういう症例はこういう風にしたら治る」という発見を、症例報告としてバンバン出すことなんだよ。
だって、小さな症例報告が、将来の研究に繋がるんだから。
ま、キミの言うとおり、「これが効いたという話ばかりになる」のは事実かもしれない。
それでもぼくが臨床家の人たちに求めたいのは、臨床で気付いた小さなこと、つまり「こういう症例はこういう風にしたら治る」という発見を、症例報告としてバンバン出すことなんだよ。
だって、小さな症例報告が、将来の研究に繋がるんだから。
どういうことですか?
ツルタ
津田先生
客観的なデータを積み重ねることが、エビデンスでは重要なんだけどさ、それにも階層があるのね。
エビデンスに階層があるんですか?
ツルタ
津田先生
そう。いちばん下が「症例報告」、そのあとは「症例集積」、「RCT=ランダム化比較試験」、「システマティックレビュー」と続く。
臨床家が発表できるのは、階層のいちばん下に位置する「症例報告」が多いのはたしか。
臨床家が発表できるのは、階層のいちばん下に位置する「症例報告」が多いのはたしか。
ですよね。それってどうなんだろって思うんですよ。
ツルタ
津田先生
えっとね…。うーん…。
エビデンスを「おにぎり」で語る。
ちょっと話の腰を折るようなんですけど…。エビデンスの話になると、私の父の話を思い出すんですよ。
ウラベ
津田先生
亡くなったお父さんだね。
そうです。わたし、両親が鍼灸師だったので、家族旅行は学会の開催地になりがちだったんです。
けど、自分が鍼灸師になってからは、ほとんど参加してないんですよね。
でも、鍼灸師になってから、1度だけ、父と一緒に参加したことがあって。
けど、自分が鍼灸師になってからは、ほとんど参加してないんですよね。
でも、鍼灸師になってから、1度だけ、父と一緒に参加したことがあって。
ウラベ
津田先生
うんうん。
その時に、父はこのエビデンスを「おにぎり」に例えたんです。
ウラベ
おにぎり?!
ツルタ
津田先生
(笑)。どういうことかな?
症例報告は「このおにぎり、超最高だよ! レシピはコレ!」。
ウラベ
鍼灸で言うと「こんな方法で治療したら、治った」ってやつね。
ツルタ
症例集積は「自分が美味しいと思うレシピのおにぎりを、たくさんの人に食べてもらって、どのくらいの人がおいしいと思うかを調べる」。
ウラベ
津田先生
「同じ病態の症例を集めて、対象の治療法が、どのくらい効くか」をみてみるってことね。
この場合、ほかの治療方法の群や、何もしない群と比較する場合もあるけど、ま、置いておこうか…。
この場合、ほかの治療方法の群や、何もしない群と比較する場合もあるけど、ま、置いておこうか…。
RCTは「ファ●リー●ートとセ●ンイレブンのおにぎりを目隠しで食べさせて、どちらが美味しいと感じるかを調べる」。
ウラベ
面白いですね(笑)。RCTって「ランダム化比較試験、無作為化比較試験」のことですよね。
つまりランダムにどの治療をおこなうか振り分けて、「効果があった人はどの治療法で治療したのか」を客観的に調べる。
つまりランダムにどの治療をおこなうか振り分けて、「効果があった人はどの治療法で治療したのか」を客観的に調べる。
ゆうすけ
システマティックレビューは「あちこちで実施した《おにぎりの目隠し食べ比べ》を集めて、まとめて分析する」。
ウラベ
こうなると、かなり信憑性は高くなるね。
ツルタ
津田先生
そうだね。環境の差や、鍼灸師個人の技術の差の要素が、ここまで来ると無くなってくるんだよね。
さすが、ウラベさんのお父さんだね。面白いなぁ。
さすが、ウラベさんのお父さんだね。面白いなぁ。
で、鍼灸の「エビデンス」の話になると、どの階層の分析について話しているのかが、すごく重要だなって思ってるんです。
ウラベ
なるほど。おにぎりの美味しさを語るのに、あちこちの食べ比べの結果が必要かどうかって話か。
そこまでしないと研究にならない、となると、ハードルが高すぎるよね。
そこまでしないと研究にならない、となると、ハードルが高すぎるよね。
ツルタ
そうそう。どの段階も興味深いじゃないですか。
そして、「この発表者は、どこの段階の話をしているのか」を把握した上で発表を聞くと、すんなり理解できるな、と感じたんですよ。
そして、「この発表者は、どこの段階の話をしているのか」を把握した上で発表を聞くと、すんなり理解できるな、と感じたんですよ。
ウラベ
津田先生
すごくわかりやすいね。これはまいった(笑)。
ありがとうございます(笑)。
ウラベ
津田先生
こういう階層は、「エビデンスの濃度」を表しているだけなんだよね。
どれくらい濃く、深く研究したかどうかっていう。
でも、どんな研究だって、まずはシンプルなところからスタートするものだよね。
どれもが段階としては必要なんだ。
どれくらい濃く、深く研究したかどうかっていう。
でも、どんな研究だって、まずはシンプルなところからスタートするものだよね。
どれもが段階としては必要なんだ。
レシピ、つまり、最初の臨床現場からの症例報告も大事なんですね。
ツルタ
津田先生
そう。研究の場では、症例報告がないと、その後の症例集積、ランダム化比較試験、システマティックレビューにつながらないってこと。
そういう意味では、症例報告も重要であるってことか。
ツルタ
津田先生
もちろん「どうして効くのか」という機序を求めるような、科学的な追究をおこなうのも大切だよ。
でも、「鍼灸が〇〇という条件だと、□□のような効果があった」というような、臨床現場での丁寧な確認作業の積み重ねも意義があることを忘れないでほしいんだ。
でも、「鍼灸が〇〇という条件だと、□□のような効果があった」というような、臨床現場での丁寧な確認作業の積み重ねも意義があることを忘れないでほしいんだ。
「普遍的に効くのか」、「一定の条件で効くのか」、はたまた「プラセボなのか」という、鍼灸業界でよくある疑問は、積み重ねによって解明されるわけですね。
ツルタ
津田先生
そう。そういうこと。
ぼくらみたいな若手の症例でも、長年学会にいらっしゃる先生方は興味ありますか?
ゆうすけ
津田先生
もちろんですよ。最初はみんなはじめてだから。
自分が「これは本物だ」と思ったら、ぜひ学会に報告してほしいです。
自分が「これは本物だ」と思ったら、ぜひ学会に報告してほしいです。
たしかに最初はみんなはじめてですけど…。なんだか怖いイメージがあります。
ウラベ
津田先生
いろんな世代の臨床家や研究者が同じステージに立って、自分の気付きや情報を共有するのが、鍼灸学会のいいところ。
鍼灸師として、専門家として、プロフェッショナルでいるためにも、集団で相互研鑽する場、つまり学会に参加する意味があるんですよ。
鍼灸師として、専門家として、プロフェッショナルでいるためにも、集団で相互研鑽する場、つまり学会に参加する意味があるんですよ。
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