病人の人生じゃない。「普通」になりたかった/鍼灸師:鈴木 咲緒

指定難病の1つである再生不良性貧血は、血液中の白血球、赤血球、血小板が減少してしまう病気です。

新潟市で「はり・灸 香登家」の店主として鍼灸治療に取り組む鈴木 咲緒(すずき さお)先生は、15歳の時に、この病気を発症しました。最初の自覚症状は、頭痛だったそうです。
病気の症状や治療の副作用に苦しみ、それでも鍼灸師を目指したのは、「普通」になりたいという強い想いがあったから。

現在では骨髄バンクの啓蒙活動にも取り組む咲緒さんに、病気や治療の経験、鍼灸師としての歩み、そして「普通」に込めた想いを聞きました。

鈴木 咲緒(すずき さお)先生

【略歴】
1991年 新潟県生まれ
2007年 再生不良性貧血 発病
2010年 国際メディカル専門学校鍼灸学科 入学
同年 再生不良性貧血 再発 、休学
2012年 骨髄バンクからの骨髄移植を受ける
2013年 国際メディカル専門学校鍼灸学科 復学
2015年 登録販売者 資格取得
2016年 国際メディカル専門学校鍼灸学科 卒業
同年 ㈱かどや薬品 就職、積聚会入会
2018年 骨髄バンクドナー登録説明員になる
2019年 はり・灸 香登家 開業

鼻血が止まらなくて。診断名は「再生不良性貧血」

咲緒さんは、病気の治療をしながら鍼灸師を目指したんですよね。骨髄移植を受けた経験もあると…。まず、病気について教えてください。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
再生不良性貧血という病気です。15歳の時に発症して、21歳の時に骨髄移植を受けました。
再生不良性貧血って、指定難病の1つですよね。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
そうです。指定難病ですね。
「骨髄の造血幹細胞が障害されて血液成分が減少する病気」っていうイメージはあるんですけど、咲緒さんの場合は具体的にどんな症状が現れたんでしょうか。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
私、自覚症状が出たのをよく覚えているんです。15歳、中学校3年生の時ですね。卒業式の後の卒業パーティーが終わった翌日に、朝起きたら頭痛がしたんです。それが最初の自覚症状でした。
起きた時にドックンドックンっていう拍動性の頭痛を感じて、動くと痛みがどんどん激しくなっていきました。
頭痛以外にも何か症状はあったんですか。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
ほかには、ふくらはぎに紫斑が出ました。内出血によって現れるもので、いわゆる青あざですね。全然痛くもないんですが…。
それで、病院にはすぐに行かれたんですか。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
いえいえ、最初はそんな病気が原因だとは思ってもいなくて。最終的に病院に行くきっかけになったのは鼻血なんです。鼻血が止まらなくなって、出る頻度も徐々に多くなっていきました。最初は1週間に1回だったのが、5日に1回、3日に1回っていう感じで。
忘れもしないんですが、最終的に高校の入学式は、鼻にティッシュを詰めて出たんですよ。ティッシュが足りなくなって、途中でトイレットペーパーを鼻に詰めて出たぐらい止まらなくて。
そんなにすごい量の出血があったんですね。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
そうなんですよ。入学式の翌日なんて、夜寝ていたら布団が濡れているのに気付いて起きたんです。よだれかなと思ったのですが、電気を付けたら布団が真っ赤になっていて叫びそうになりました。これはやばい、さすがにおかしいってことで、次の日に救急外来を受診しました。
もうその時には、ずっと出血している状態だったので貧血もひどくて。救急病棟に歩いて向かったんですけど、目もほとんど開いてないぐらいフラフラの状態で行きました。外来で鼻血は止まったんですけど、大学病院を受診するよう言われて、その日のうちに検査を受けたら血小板も白血球も検出されないことがわかったんです。
やばい。だから血が止まらなかったんですね…。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
ホントにやばい状態で、「今すぐ入院してください」って言われて、緊急入院したんです。
そこから治療がスタートしたわけですね。当時はどんな治療を受けたんですか。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
輸血とATG(抗胸腺細胞グロブリン)って呼ばれる治療ですね。この治療のおかげで、貧血や頭痛、紫斑、鼻血などの症状はかなり良くなりました。もう全然出なくなるくらいまで。でもその後、何が辛かったかって治療の副作用なんです。免疫抑制剤を使うんですが、その副作用が非常にきつくて…。吐き気が止まりませんでした。
治療でせっかく症状は改善したのに、今度は副作用の問題があるわけですね。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
そうなんです。血液検査的には回復しているので、2カ月で退院できたんですけど、その後の2カ月は自宅療養になってしまって…。もうベッドから出ると吐き気がする、立ち上がっただけで吐き気がするっていう感じだったので、ホントにどこにも出かけられないような状態でした。
高校生にして、すでに壮絶な病気と治療を経験されて…。そこからどうやって鍼灸師の道へ進まれたのか気になります。そもそも鍼灸師を志した理由は何だったんでしょうか。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
母が自律神経失調症で鍼灸の治療を受けていて、その影響で私も子どもの頃から鍼灸を受けていたんです。病気を発症して、そこからより頻繁に鍼灸のお世話になりました。特に退院してからは、毎日のように鍼灸を受けていましたね。
なるほど。では患者としての経験から、鍼灸の道を志すようになったと。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
それがそうではなくて、当時は鍼灸師になろうとは全く思っていなかったんです。でも、発症後に体調不良で高校に通えなくなってしまって、結局17歳の時に高校を中退したんですね。それから、どうしよう、何しようって非常に迷いました。色々な道を模索して高卒認定を受けたんですが、こんな状態で大学に通えるのかなってためらうぐらいの体調だったんですよ。ちょうどその頃、姉が持ってきた夜間に通える鍼灸学校のチラシを見て興味を持ったんです。
鍼灸学校のどんなところに興味を持ったんですか。
ツルタ
ツルタ
鈴木先生
鈴木先生
まずは、鍼灸師の仕事であれば、治療を通して人の役に立てるかなと思ったからですね。それから、授業が1日3時間というところにも正直惹かれました。自分の体調でもこれなら通えそうだなと思ったんです。今後の体調について予測できないような状態だったので、卒業後に自宅で開業する道があるところもいいなと思いました。1日中寝ている日も多いくらいの体調だったので、そういう状態でも柔軟に仕事ができるかなと思い、惹かれましたね。

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