受け入れてくれたメキシコに感謝/鍼灸師:勝野 馨太

「あり得んやろう」ことがたくさん起こる国。

それがメキシコだと語るのは、今年で9周年を迎える「Clinica Acupuntura Japonesa KATSUNO」の院長 勝野馨太先生です。

勝野先生がはじめてメキシコに渡ったのは2012年のこと。
往診から始めた事業は軌道に乗り、メキシコシティに鍼灸整骨院を2院運営するまでになりました。
人情味あふれるメキシコの人たちと密に関わりながら道を切り開いてきた、これまでの歩みを聞きました。

勝野馨太(かつの よしたか)先生

略歴
2004年 福岡柔道整復専門学校(現福岡医療専門学校) 卒業
2012年 ドミニカ共和国に滞在後、メキシコ合衆国へ
2013年 メキシコシティにて往診治療を開始
2016年 メキシコシティにてClinica Acupuntura Japonesa KATSUNOを開業
2017年 法人化(C.A.J. KATSUNO)
2022年 CEMO開設(鍼灸研修グループ)
2023年 分院開業、メキシコでの開業サポート事業 Sinca Japan開設

「鍼ってすごい」だから鍼灸師を志した


勝野先生のことは、2023年に日本鍼灸師会の国際委員会が開催したシンポジウム「鍼灸師として世界と出会う」で詳しく知りました。そこからインタビューできそうな機会をずっと伺っていたんですよ。メキシコに渡ってからの話を聞く前に、まずは鍼灸師の道を選んだきっかけを教えてください。
ツルタ
ツルタ

勝野先生
勝野先生
師匠との出会いがきっかけです。もともと家族ぐるみでお世話になっていた鍼灸師さんがいて、僕は師匠と呼んでいます。自分が子どもの頃に父が虫垂炎になった時にも、鍼灸と漢方薬で治療して良くなったことがあって、子どもながらに「すげぇな!」って衝撃を受けました。あとは母がステロイドの副作用で、いわゆる満月様顔貌になってしまって…。服用をやめても顔が腫れぼったい感じがずっと残っていたんです。それも師匠の鍼治療で治していただきました。

子どもの頃から東洋医学の優先度が高かったんですね。賛否あるでしょうけど、鍼灸の可能性を強烈に感じる体験ですね。
ツルタ
ツルタ

勝野先生
勝野先生
そうなんです。僕自身も子どもの頃に熱がずっと下がらないことがありました。小児科にかかって薬を飲むと下がって、また翌日熱が出てっていうのを繰り返していて、その時は師匠に刺絡をしてもらったんです。そうしたら熱が引いて、次の日の朝目覚めたときの爽快感がもうすごくて…。こんな風に身近で効果を見ていたし、自分の体験からも「鍼ってすごい、先生のようになりたい」と感じていたのが鍼灸師を志した理由ですね。

まずは国内で修行を積んだ

メキシコで鍼灸院を開くまでの経緯が気になります。海外には、もともと興味があったんですか。
ツルタ
ツルタ

勝野先生
勝野先生
最初に海外に行ったのは、中学生の時ですね。福岡に住んでいたこともあって、中学の修学旅行先が韓国の釜山だったんです。日本とは違う風景を味わえたことに大きな刺激を受けました。高校の修学旅行もシンガポールとマレーシアで、その時も、すごくワクワクする感覚がありました。その後の専門学校でも研修で上海に行ったり、就職先の社員旅行でタイに行ったりしたんです。海外経験がずっと続いて、「もっと見たいな」、「海外での経験を積みたいな」って思うようになって、最初に勤めたところを辞めたタイミングで、バックパックで東南アジアをまわったんです。

自然と海外へ目が向いていったような感じですね。
ツルタ
ツルタ

勝野先生
勝野先生
あとは日本に戻って勤めていたときに『国境なき鍼灸師をめざして』っていう本を読んで、すごく感動して「これがやりたい」と思うようになったことも影響しています。日本人の鍼灸師の方がメキシコとグアテマラの田舎でボランティアをした経験が書かれていました。

医療資源の少ない地域で、日本人鍼灸師が活躍する話ですね。その本との出会いもあって、メキシコに渡った感じですか。
ツルタ
ツルタ

勝野先生
勝野先生
まだ当時の腕前とか経験値では、役に立てないと思っていたので、もう少し国内で修行をちゃんとして、ある程度できるようになってから日本を出ようと決めたんです。

なるほど。日本ではどのように経験を積んでいったのか気になります。
ツルタ
ツルタ
勝野先生
勝野先生
最初に勤めたのが鍼灸整骨院で、そこで柔整寄りの施術をしながら休日は鍼灸の勉強会に出ていました。福岡の経絡治療学会にも参加させてもらっていましたね。別で解剖学的な知識の勉強もしました。あとは患者さんの体に触れて、体の反応を見るってことですね。その経験は今の助けになっている感覚があります。その後また別のところに勤めた時に、さっきお話しした師匠にお願いして、半日お邪魔させてもらって残りの半日は別の鍼灸整骨院に勤めさせてもらう形で経験を積みました。

例のすご腕の師匠ですね。それは、雇用関係ではなくて、見学研修みたいなことをさせてもらった感じですか。
ツルタ
ツルタ

勝野先生
勝野先生
そうですね。結構べったりつかせてもらって、質問もバンバンさせてもらいました。「ちょっと触ってみなさい」、「診てみなさい」という感じで「どう感じた?」って聞かれて、恐る恐る「こんな感じだった」って答えるっていう。本当にありがたくて、師匠には感謝しかないです。

ドミニカから、念願のメキシコへ

貴重な経験をしましたね。そうして日本での修行を終えて、メキシコに渡った形ですか。
ツルタ
ツルタ

勝野先生
勝野先生
最初に行ったのはドミニカ共和国なんです。福岡の語学教室で知り合ったドミニカ人の友達が国に帰るというので「何ヶ月かお邪魔していい?」って聞いたら「いいよ。来い来い」って言ってくれて。それで本当に厚かましく3か月間滞在させてもらいました。

ドミニカってカリブ海の島国ですよね、メキシコと同じ中南米の。それで日本の仕事は辞めて行ったわけですよね。その頃から施術もしていたんですか。
ツルタ
ツルタ

勝野先生
勝野先生
友達の友達とかに施術をさせてもらっていました。ホームステイが終わる頃に、せっかく中南米に来たなら、やっぱりメキシコに行っておこうと思って友達に言ったらめちゃくちゃ反対されて…。「あんな危ないところ行くんじゃない」とか言われて、そんなバカなって思っていたんですけど、実際にメキシコの方に警察署が蜂の巣みたいになっている写真を見せられて衝撃的でしたね。

銃で撃たれてコンクリに穴が空いてるっていう…。映画だけの話じゃないんですね。
ツルタ
ツルタ

勝野先生
勝野先生
はい。だから確かに怖い部分はあります。でも結局メキシコに定着しました。最初は語学学校に半年ぐらい通って、その時に往診をやりながら施術をスタートした感じです。

メキシコ行きについて、日本の家族の反応はどうだったんですか。
ツルタ
ツルタ
勝野先生
勝野先生
めちゃくちゃ反対されました。1年ぐらい経って「メキシコでちゃんとやっていきたい」って考え始めていたので家族を説得しに帰国して、結局反対されたまま戻ってきました。結果で両親に認めてもらえたらっていう考えがあったので、いろんな方の助けもありそこからビザを取得して気合を入れてやり始めた感じです。

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