もっと海外に目を向けたらいいんじゃない?/鍼灸師:水谷 潤治

日本のお灸を海外に普及させるべく活動しているのが、鍼灸師の水谷 潤治(みずたに じゅんじ)先生です。

日本で鍼灸学校を卒業してすぐにカナダに移住し、現地で開業。それは鍼灸師として修業を積んだこともなければ、英語力もとぼしいなかでの挑戦でした。

すべてが手探りのなか、学びを深めるため『NAJOM(北米東洋医学誌)』を発行。国境を超えた鍼灸の情報発信を今もおこなっています。
鍼灸師が海外で活動する魅力は、どんなところにあるのか。お話をうかがいました。

水谷 潤治(みずたに じゅんじ)先生

1983年、日本鍼灸理療専門学校を卒業し、日本で指圧、鍼、灸の免許を取得する。
1983年9月、トロントに移り吉川指圧学校で研究を重ねる。その後、同校並びに指圧スクール・オブ・カナダで東洋医学講座を担当する。またオンタリオ州指圧協会で、3年間会長を務める。
1992年、バンクーバーに移り同地で開業、現在に至る。
『NAJOM(北米東洋医学誌)』主幹。

英語が話せないままカナダの指圧学校へ

「鍼灸師のキャリアパス」をテーマにして、「ハリトヒト。」ではインタビューをおこなっています。水谷先生は、カナダで鍼灸師として活躍されていますが、そもそも鍼灸に興味を持ったきっかけは何だったのですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
大したきっかけがあるわけでもないんですが、横浜の妙蓮寺で昔から開業されていた松本弘巳(まつもと ひろみ)先生のところに患者として通っていたんです。当時は建築現場で働いていて、腰痛がひどかったものですから。
大ベテランの先生のところに、患者として通っていたんですね。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
もう数年前に引退されましたけど、そこで鍼の効果は身をもって体験していたわけです。そんなときにバブルがはじけた影響で、勤め先の建築会社が潰れてしまって…。ちょっと遊んでみようかと思って、カナダやアメリカで3カ月ぐらい過ごしたんですよ。
帰国後はどうされたんですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
再び建築関係で働いていたんですが、何か新しいことを勉強してみたいという意欲が湧いてきたんですね。そんなときに偶然、花田学園の入学試験のお知らせが目に入ってきて、興味本位で受験したら、合格したんです。
それまで鍼灸師になるというつもりは…。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
なかったです。外国に行ったら、日本人なのに日本を知らないことに気がつきました。それで次は日本のことでも何か勉強してやろうと、鍼灸の道に入ったんです。完全に興味本位でした。
実際に鍼灸を学んでみていかがでしたか。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
どんどんおもしろくなっていきましたね。
学んでいくうちに「鍼灸をやるならば、日本よりも、外国でやったほうが面白いんじゃないか」と思うようになって、3年生の時にカナダに行って現地調査をしてみたんです。
すごい行動力ですね。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
約1カ月半かけて西から東まで歩いてみたところ、最も活気がある都市はトロントだなと。そこで学校を卒業してすぐに、トロントに行きました。
もともと英語は得意だったんですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
いえ、英語は全く…。中学と高校で学んだくらいですね。
それだと言葉の壁もあって大変だったんじゃないですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
そりゃ大変でしたよ。英語を話せないまま、現地の指圧学校に飛び込んでいきましたからね。

独立してトロントで鍼灸をスタート

てっきりもともと語学が堪能だったのかと思っていました。現地での授業は理解できたのでしょうか。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
私の場合、指圧については、日本で一通り学んでいるわけじゃないですか。だから実技は問題なかったですね。
ただ、座学はやっぱり英語がなかなか難しくて。朝早く起きて、学校に行く前に教科書を広げて予習をしながら、段々と身につけていきました。
完全に実践型ですね。現地の指圧学校を卒業してからは、そのままトロントに残ったんですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
2年目からは、トロントにある指圧のクリニックでアルバイトをしていました。斎藤健泉(さいとう けんせん)先生という日本人の方が運営されていたんです。
ビザはどうされたんですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
そこが問題で、クリニックで働き始めた1年目に、移民の申請のためにいったん帰国しました。
斎藤先生にスポンサーになってもらって、なんとか移民のビザを取って、またトロントに戻ったんです。そして、斎藤先生のところで3〜4年ぐらい働いた後に、トロントで鍼灸院を開業しました。
鍼灸は独立してから始められたんですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
いえ、トロントで指圧学校に通う頃から少しずつですね。
実は、指圧学校では、僕が日本の鍼灸の免許を持っているということで、みなから一目置かれていたんです。
なるほど、英語ができなくても、鍼ができるから重宝されて…。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
そうそう、「鍼をやってみてくれ」とか「家族にも頼むよ」って声をかけられることが多かったんです。
なので、鍼はポツポツやっていたんですよ。斎藤先生のところに通っているときも、自宅でお灸や鍼をやるようになって。
ところで、鍼の臨床経験はどちらで積まれたんですか。
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
問題はそこなんですよ。学校を出たきりでカナダに来ているので、誰も先生がいないわけです。自分の技術は自分で開発するしかなかった。
まさに手探り!
ゆうすけ
ゆうすけ
水谷先生
水谷先生
それでも鍼って効くからすごいんですよね。しかも向上心さえあれば、うまくなっていく。
鍼灸を続けているうちに、だんだんと患者さんが増えてきて。それで独立しました。別に宣伝は何もしていなかったんですけど、だんだん口コミで広がっていきましたね。

鍼灸をするのが怖い

日本で修行を経験しないまま鍼灸をするのは、怖くなかったですか。
タキザワ
タキザワ
水谷先生
水谷先生
そりゃ、怖かったですね。だけど、鍼はやっているうちにうまくなってきました。
一方で、お灸はなかなか手が出せなかったです。火傷させるわけにはいかないので。なにしろ、僕らが日本で鍼灸学校に行っている頃は「白人にはお灸はしない方がいいよ」って言われていたんです。
なにか理由があるのでしょうか。
タキザワ
タキザワ
水谷先生
水谷先生
戦後にGHQが日本を占領した時に、鍼灸を禁止しようとしたことが影響していたようです。だから「白人に鍼灸をしたら訴えられるんじゃないか」っていう不安もありましたね。
そういう時代だったんですね。
タキザワ
タキザワ
水谷先生
水谷先生
だけど、自分も腰が悪くて鍼灸に通っていたので、お灸が効くっていうのはわかっているわけです。だからお灸も少しずつやり始めたんですが、なかなか上手くいかない。
当時は、教えてもらう機会もなかったわけですよね…。何か転機はあったんでしょうか。
タキザワ
タキザワ
水谷先生
水谷先生
1988年ぐらいだったと思いますね。お灸の本を読んでいると、深谷伊三郎(ふかや いさぶろう)先生が、熱さを緩和するために、竹筒を使っていることを知りました。「これを習いたい!」と思って…。
深谷灸に興味を持ったのですね。
タキザワ
タキザワ
水谷先生
水谷先生
それで、深谷灸をおこなっている入江靖二(いりえ せいじ)先生のところに郵便を出して、やりとりしているうちに、灸法臨床研究会に誘ってもらって、竹筒を使う方法を教わりました。どんどん改良してやっているうちに、自分が今使っている竹筒になったんですよね。この竹筒を使った方法で、周囲にお灸をどんどん広めていきました。
お灸に対する海外の人たちの反応が気になります。
タキザワ
タキザワ
水谷先生
水谷先生
お灸をやってみると、みんな「気持ちがいい」って言うわけですね。改良版の竹筒と紫雲膏のクリームを使うんですが、クリームを皮膚の上に使うと熱をクリームのオイルでカットできるんです。これで熱感が下がるんですよ。僕は紫雲膏をオリーブオイルに改良したものを自分で作りました。


水谷先生が使用する竹筒灸と紫雲膏を改良したクリーム

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