今回は埼玉県川越市で小貫鍼灸院を営む、小貫 英人(おぬき ひでと)先生です。
地域の方の健康維持のお手伝いをしたいという想いから、いわゆるひとり鍼灸院を開業されている、落ち着いた雰囲気の先生です。
同時に日本伝統鍼灸学会の理事、広報部長、学術大会事務局長、和ら会(やわらかい)事務局など…さまざまな形で日本の伝統鍼灸に関わっている小貫先生は、裏方のお仕事を多くされています。
組織に積極的に参加しない限り、学会や勉強会の運営の方のお話を聞く機会は少ないと思います。
こういう方々によって、日本の鍼灸業界が運営されているのだな、ということが伝わるとうれしいです。
今回11月23日、24日におこなわれる「第47回 日本伝統鍼灸学会 学術大会」を控えているということもあって、そちらのお話も聞いています。
>>>第47回 日本伝統鍼灸学会 学術大会のサイトはコチラ
http://jtams.com/47-tokyo/
小貫 英人(おぬき ひでと)先生
2012年 東洋鍼灸専門学校 卒業
2013年 小貫鍼灸院開業
2014年 和ら会(やわらかい)事務局長
2015年 日本伝統鍼灸学会広報部 ホームページ委員会委員長
2016年 日本伝統鍼灸学会理事 広報部部長
2018年 第47回日本伝統鍼灸学会学術大会 事務局長
デザインと鍼灸って似ていると思うんです
小貫先生
ぼくは鍼灸師歴が長いわけではないんです。
団体の運営をされているのに意外ですね。
ツルタ
何年目ですか?
ウラベ
小貫先生
8年目で、年齢は44歳です。
見た目は55歳くらいに見られるんですけど(笑)。
見た目は55歳くらいに見られるんですけど(笑)。
(たしかに見えるかも…)
ウラベ
30代半ばで鍼灸師を目指したんですね。
鍼灸師になる前は何をされていたんですか?
鍼灸師になる前は何をされていたんですか?
ツルタ
小貫先生
ここに面白い話はなくて、申し訳ないんですけど…。
脱サラ鍼灸師的な感じですか?
ウラベ
小貫先生
そのカテゴリーにも当てはまらないんですよね。
元々サラリーマンもあまりやってなくて。フリーランスでデザインをやっていました。
元々サラリーマンもあまりやってなくて。フリーランスでデザインをやっていました。
デザインですか。
ウラベ
小貫先生
デザインの専門学校を出て、デザイン事務所でアルバイトをして、そのまま就職したんですけど…、2年半くらいで社長と大喧嘩して、会社を辞めました。
ケンカ…、それはいくつくらいでした?
ウラベ
小貫先生
23歳くらいかな。
そこからずっとフリーランスですか?
ツルタ
小貫先生
そうです、でも当時は仕事の人脈もなくって…。
もう二度と来ないと言ったのに、次の日には事務所に行って「仕事くださーい」って(笑)。
もう二度と来ないと言ったのに、次の日には事務所に行って「仕事くださーい」って(笑)。
すごい(笑)。
ゆうすけ
小貫先生
元上司から仕事を貰っていました。
くれたのもすごいですね(笑)。
ゆうすけ
小貫先生
けっこういい仕事をくれましたし(笑)。
当時は紙媒体のデザインですか?
ウラベ
小貫先生
最初は紙媒体に使うCGを作る仕事をしていたんですけど、ちょうどホームページが世の中に出始めた頃で…。
当時はホームページを作れる人が少なくて、社内でデザインとホームページを製作できるのが僕だけだったんです。
当時はホームページを作れる人が少なくて、社内でデザインとホームページを製作できるのが僕だけだったんです。
デザイン業界って、ブラックな働き方のイメージですが。
ツルタ
小貫先生
まさにです(笑)。
たとえば夕方6時に電話がかかってきて、明日の10時までに「〇〇できる?」って聞かれるような感じでした。
たとえば夕方6時に電話がかかってきて、明日の10時までに「〇〇できる?」って聞かれるような感じでした。
翌日の朝が納期の依頼って…(汗)。
ツルタ
小貫先生
ふざけてんのかってね。
それなりにギャラはもらいましたけど。
一晩徹夜して、20万円の仕事とかも、ちょっとはあったんですよ。
そういう時期は食えてたんですけど、貯蓄もしないで、好き勝手遊んでました。
それなりにギャラはもらいましたけど。
一晩徹夜して、20万円の仕事とかも、ちょっとはあったんですよ。
そういう時期は食えてたんですけど、貯蓄もしないで、好き勝手遊んでました。
(笑)。
編集部
小貫先生
結婚してから、後悔しましたね…(笑)。
デザインの仕事はお好きでしたか?
ツルタ
小貫先生
いえ、大嫌いでした。
えー?
ツルタ
小貫先生
仕事がストレスで、フリーランスも含めて、本当にこの仕事はやりたくないなって。
そのわりには、けっこう長くお仕事されていませんか?
ツルタ
小貫先生
鍼灸師になってからもやっていたので、20年近くになりますね。
ぼくは、クリエイティブなものに向いていない性格というか…。
デザインの仕事って、自分に自信がないデザイナーにとっては苦痛以外のなにものでもないんです。
ぼくは、クリエイティブなものに向いていない性格というか…。
デザインの仕事って、自分に自信がないデザイナーにとっては苦痛以外のなにものでもないんです。
自信が無かったんですか?
ツルタ
小貫先生
ぜんぜん無いです。
デザインを作ったら、それをクライアントに見せますよね。
それがクライアントの希望と合えばいいですけど、相手に気に入られなかったときに「やっちゃった…」となる。
デザインを作ったら、それをクライアントに見せますよね。
それがクライアントの希望と合えばいいですけど、相手に気に入られなかったときに「やっちゃった…」となる。
なるほど。
ツルタ
小貫先生
「こういうデザインをお願いしたかったわけじゃないんだよ」って、いきなり言われたこともあります。
自分とクライアントの感性はどうしても違うので、自分の感性と依頼人の感性をどれだけ近づけていくかに心血を注ぐんですけど、僕はそこが苦手でした。
自分とクライアントの感性はどうしても違うので、自分の感性と依頼人の感性をどれだけ近づけていくかに心血を注ぐんですけど、僕はそこが苦手でした。
制作する、デザインすること自体はお好きだったんですか?
ウラベ
小貫先生
えっと、デザイン自体が苦手なんです。
ちょっと不思議なんですけど、こんなに長くやっているのに。
だけど、ぼくはデザインと鍼灸って、仕事の性質が似ていると思うんです。
ちょっと不思議なんですけど、こんなに長くやっているのに。
だけど、ぼくはデザインと鍼灸って、仕事の性質が似ていると思うんです。
というのは?
ウラベ
小貫先生
デザインは自分の感性と相手の感性の擦り合わせなんです、だから正解がない。
鍼灸も患者さんのカラダで受ける感覚と、施術者の提供した感覚って違いますよね?
鍼灸も患者さんのカラダで受ける感覚と、施術者の提供した感覚って違いますよね?
そうかもしれません。
ウラベ
小貫先生
こっちの感性で提供した施術が患者さんにどう受けとられるかというのは、すごくデザインの仕事と似ているなと思っています。
デザインのそこがイヤだったんじゃ?
ゆうすけ
小貫先生
あはは(笑)。まぁ、苦手なんですけど。
デザイナーのときに培ったこのままの感覚でちょっとやってみようと思って。人生の経験値としてね。
それと、すでに得ていた経験値を活かせるならスタートしやすいかなって(笑)。
デザイナーのときに培ったこのままの感覚でちょっとやってみようと思って。人生の経験値としてね。
それと、すでに得ていた経験値を活かせるならスタートしやすいかなって(笑)。
社会人経験を活かした鍼灸っていいですね。
ゆうすけ
小貫先生
あと、ぼくはデザイナーと鍼灸師の生き方も、似てると思っています。
それはどういうことですか?
ウラベ
小貫先生
東洋鍼灸専門学校卒のぼくにとっては、鍼灸師=個人事業主というイメージが強いんです。
当時の東鍼校では「卒業したら開業する」という考えの方が多かったので。
デザイナーも独立する人が多い仕事だし、ぼく自身、実際そうやってフリーになった人なので…(笑)。
当時の東鍼校では「卒業したら開業する」という考えの方が多かったので。
デザイナーも独立する人が多い仕事だし、ぼく自身、実際そうやってフリーになった人なので…(笑)。
なるほど。そういう共通点もあるんですね。
フリーランスという仕事のスタイルがお好きなのかもしれませんね。
先生は開業されて何年ですか?
フリーランスという仕事のスタイルがお好きなのかもしれませんね。
先生は開業されて何年ですか?
ウラベ
小貫先生
7年目です。
もちろん伝統系の流派で治療されているんですよね?
ウラベ
小貫先生
ぼくはネットで経絡治療を知って、鍼灸師になろうと思いました。
「この素晴らしい経絡治療を勉強したい。日本の伝統的な鍼灸を勉強したい」と思ったから、東鍼校に入学したという経緯もあります。
「この素晴らしい経絡治療を勉強したい。日本の伝統的な鍼灸を勉強したい」と思ったから、東鍼校に入学したという経緯もあります。
開業のかたわら、日本伝統鍼灸学会の理事になったということですよね。
日本伝統鍼灸学会となにかご縁があったんですか?
日本伝統鍼灸学会となにかご縁があったんですか?
ウラベ
小貫先生
入学した東鍼校で戸ヶ崎 正男(とがさき まさお)先生に出会ったのがご縁ですね。
戸ヶ崎先生といえば、日本伝統鍼灸学会の副会長をされていますね。
ゆうすけ
小貫先生
そうです。当時の戸ヶ崎先生は東鍼校で教員をしながら、和ら会(やわらかい)という勉強会の代表もされていました。
ぼくは運良く、戸ヶ崎先生に和ら会に誘っていただいたんですけど、当時ほんとにお金が無かったんです。
ぼくは運良く、戸ヶ崎先生に和ら会に誘っていただいたんですけど、当時ほんとにお金が無かったんです。
勉強するのもお金がかかるんですよね。
ツルタ
小貫先生
戸ヶ崎先生は「お金の有無を理由に、勉強を諦めさせたくない」というお考えの先生です。
それで「会費の代わりに、会の運営を手伝って」とおっしゃってくださったので、そういう経緯で和ら会に入らせていただきました。
それで「会費の代わりに、会の運営を手伝って」とおっしゃってくださったので、そういう経緯で和ら会に入らせていただきました。
会費をお金とは違う形で納めていたってことですか?
ツルタ
小貫先生
そうです。ホームページを作ったり、その他いろいろと運営を手伝ったり。
その流れで、いまも和ら会の事務局をやらせていただいています。
その流れで、いまも和ら会の事務局をやらせていただいています。
ちなみに当時の和ら会というのはどういった会なんですか?
ツルタ
小貫先生
当時は戸ヶ崎先生の目にとまった人を呼ぼうという感じでした。
先生が呼んだ人しか入れない、東鍼卒の人しか入れない、閉ざされた勉強会でした。
設立当初はサロンのようなものをイメージしていたと聞いています。
先生が呼んだ人しか入れない、東鍼卒の人しか入れない、閉ざされた勉強会でした。
設立当初はサロンのようなものをイメージしていたと聞いています。
サロンというと?
ツルタ
小貫先生
戸ヶ崎先生を含め並列な関係でいたいと思いつつ、意見交換をしながら、鍼灸を語る場所ですね。
和ら会のホームページに理念や当時の活動も載せているので、ぜひみていただきたいです。
和ら会のホームページに理念や当時の活動も載せているので、ぜひみていただきたいです。
なるほど。
ツルタ
小貫先生
今は、新生した和ら会がもととなって月1回の「真和塾」というセミナーを運営しています。
そこでぼくも講師をさせていただいています。
そこでぼくも講師をさせていただいています。
真和塾の雰囲気は?
ゆうすけ
小貫先生
真和塾は基本的に手技の練習の会です。
マンツーマンに近い形で手技の指導なんかをしています。
スタッフも、どちらかと言うと人柄はやわらかい(?!)人達ではあります。
マンツーマンに近い形で手技の指導なんかをしています。
スタッフも、どちらかと言うと人柄はやわらかい(?!)人達ではあります。
小貫先生もやわらかいですし(笑)。
ウラベ
小貫先生
ありがとうございます(笑)。
でもできていないところとかは、わりと厳しく言うことはあります。
これは参加者によって印象は違うかも。
でもできていないところとかは、わりと厳しく言うことはあります。
これは参加者によって印象は違うかも。
そりゃ厳しさが必要なこともありますよ(笑)。
ゆうすけ
小貫先生
「手作り」を何年も前から突き詰めてやっている戸ヶ崎先生の塾なので、体表観察を大切にしています。
人に触れ、体表を捉えるという基本的なところから教えてもらえる会はなかなかない気がするので魅力的ですね。
ゆうすけ
小貫先生
それから和ら会にとっての、日本鍼灸の定義とか考え方があるんですけど…。
お聞きしたいです。
ゆうすけ
小貫先生
人の身体が治るのは自然治癒力で、自己治癒力が働いているからです。
その力をどこまで発現させられるか、いかに正しく発現させるかというのが鍼灸治療の役割です。
その力をどこまで発現させられるか、いかに正しく発現させるかというのが鍼灸治療の役割です。
自然治癒力を引き出すのが鍼灸治療ってことですね。
ゆうすけ
小貫先生
これは戸ヶ崎先生の受け売りなんですけど…。
あくまでも身体を治すのは自然治癒力であって、鍼をしたから、お灸をしたから、薬を服用したから治るわけではないと思っています。
我々は治るきっかけを与えるというお手伝いをさせていただいている。
患者さんには、自分の身体には自分で治る力があるんだということを覚えてもらい、生活に活かすことが養生につながる。
臨床現場では、人との繋がり(道)、施術技術(術)が大切で、そこで得られた経験を伝えていくために学問(学)が必要なのだと思います。
会のサイトにも書いてあるんですが、「日本の医療に貢献したい」という気持ちを大切にしています。
あくまでも身体を治すのは自然治癒力であって、鍼をしたから、お灸をしたから、薬を服用したから治るわけではないと思っています。
我々は治るきっかけを与えるというお手伝いをさせていただいている。
患者さんには、自分の身体には自分で治る力があるんだということを覚えてもらい、生活に活かすことが養生につながる。
臨床現場では、人との繋がり(道)、施術技術(術)が大切で、そこで得られた経験を伝えていくために学問(学)が必要なのだと思います。
会のサイトにも書いてあるんですが、「日本の医療に貢献したい」という気持ちを大切にしています。
その和ら会から、日本伝統鍼灸学会のお仕事につながったんですか?
ウラベ
小貫先生
会長に形井先生、副会長に戸ヶ崎先生という今の日本伝統鍼灸学会の体制になった時に、ホームページを充実させようということになって、ぼくにお話がきました。
このお話が来たときは、どう思いました?
ツルタ
小貫先生
それ以前から日本伝統鍼灸学会と関わりたいと思っていたので、このお話が戸ヶ崎先生経由で来たときは「よし来たぞ」って感じでした。
それは、小貫先生の前職のご経験があってこそのオファーですね。
ウラベ
小貫先生
うれしかったですね。
戸ヶ崎先生からの直々のお話というのが…。
ゆうすけ
小貫先生
はい、在学中から特別な存在でしたから、デザインが苦手と言えども、うれしくて。
戸ヶ崎先生の存在って大きいんですね。
ゆうすけ
ぼく、日本伝統鍼灸学会のホームページ見ましたよ。
和ら会も伝統も似ていますね、どちらも小貫さんの仕事ですか?
和ら会も伝統も似ていますね、どちらも小貫さんの仕事ですか?
ツルタ
小貫先生
そうです。
けっこうな仕事ですよね、管理するのは大変じゃないですか?
ツルタ
小貫先生
鍼灸が本業なので、どうしてもホームページに関しては限界があります。
だから「ここまでだったらやります」という引き受け方をしています。
だから「ここまでだったらやります」という引き受け方をしています。
理想のホームページには出来ていないということですか?
ツルタ
小貫先生
本来はもっと細かくどんどん情報発信をしなくちゃいけないんですけど、なかなか時間的な問題もあったりして…。
本業のかたわらであのホームページは、十分立派だと思いますよ。
ツルタ
小貫先生
もっと理想的な形にしたいのなら、しっかりと費用をかけて、ちゃんとした人がおこなっていくスタイルにしなきゃいけない。
それはそうですよ。
ツルタ
小貫先生
この業界はわりと、技術職の集まりなのに、他の技術に対する対価を甘く見る方が多いんですよ。
痛烈ですね(笑)。
ゆうすけ
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