野球部の監督になって、生徒たちを甲子園に連れていく。そんな夢を抱いて、鍼灸の勉強を始めた人がいます。
ミレニアル世代の鍼灸師として、教育や研究の分野でも活躍されている脇 英彰先生です。
大学では教職に鍼灸、柔道整復師など、休む暇もなく貪欲に勉強。大学院では、挫折の経験が、その後の研究につながったこともあるそうです。
「やりたいと思ったものは全部やってみようって思っていた」と語る脇先生に、これまでの歩み、そしてこれからの取り組みについておうかがいしました。
脇 英彰(わき ひであき)先生
香川県 丸亀市出身
2011年 帝京平成大学ヒューマンケア学部身体機能ケア学科はり灸コース 卒業
2012年 帝京短期大学 ライフケア学科 柔道整復専攻 柔道整復コース 卒業
2014年 帝京平成大学 大学院健康科学研究科 修士課程修了 修士(健康科学)
2017年 帝京平成大学 大学院健康科学研究科 博士課程修了 博士(健康科学)
2017年 帝京平成大学 ヒューマンケア学部鍼灸学科 助手
2018年-現在 帝京平成大学 ヒューマンケア学部鍼灸学科 助教
野球がきっかけで、鍼灸と出会う
脇先生が鍼灸に出会ったきっかけは、何だったんですか。
タキザワ
脇先生
きっかけは、ずっと続けていた野球です。練習や試合でいろいろなところを痛めるなか、鍼治療を受けて良くなるっていう経験をしたのが最初の出会いですね。中学3年生ぐらいから野球部に来てくれていたトレーナーが実際に治療院を構えている方で、トレーニングから治療まで担当してくれていました。
野球がきっかけで鍼に出会って、効果を実感されたということですね。その後、進路を決めたのは高校3年生の時になるのでしょうか。
タキザワ
脇先生
そうですね。高校2年生ぐらいまでは高校の先生になりたかったんです。教員になって、生徒たちを甲子園に連れていくのが夢でした。本格的に進路を考えた時に、高校の先生で、なおかつ選手を治療できる野球部の監督って、生徒にとって親近感ありそうでいいなと思ったんです。それで中高の教員免許が取れて、さらに鍼灸の資格が取れる帝京平成大学に進学することにしました。
中高の教員免許も取れるんですね。
タキザワ
脇先生
今は取れないんですけど、僕が入学した頃は鍼灸師の資格も、中高の体育の教員免許も、あとスポーツトレーナーの資格も取れたんです。
なんだかお得感がすごい。
タキザワ
脇先生
そうなんですよ。いろいろな勉強ができるのが魅力的でした。当初は高校の教員になることがメインで、一緒に鍼灸師の資格も取りたいなと思っていたんです。
教職に鍼灸師、柔道整復師と、学び続けた大学時代
大学の4年間はどのように過ごされたんですか。
ツルタ
脇先生
1〜2年生の時はサークルにも入っていて、いわゆる大学生活も楽しんでいました。3〜4年生はひたすら勉強っていう感じでしたね。
私も大学で教員免許を取ろうとして、途中で挫折しているんですよ。取らなきゃいけない単位が多くて大変ですよね。
タキザワ
脇先生
そうなんですよ。しかも3年目からはダブルスクール制度があって、柔道整復師の資格も取れたんです。なので、昼は大学で鍼灸を学んで、夜は短大で柔道整復師の資格取得のために勉強。さらに大学ではアスレティックトレーナー(AT)や教職も取っていたので、わけのわからない忙しさでした。教育実習に行って、土日はATの資格を取るために現場でトレーニング指導もやって、みたいな感じで休みがなかったですね。
教職、AT、柔整、鍼灸とは、すごいですね。それだけいろいろなことを学んだ原動力は、甲子園への思いからだけですか。
ツルタ
脇先生
最初はそうだったんですけど、鍼灸を学ぶうちに高校の教員よりも鍼灸をメインとしてスポーツトレーナーをやる方向に考えが発展していきました。とにかく「やりたいと思ったものは全部やってみよう」って思って、いろいろなことにチャレンジしていました。
興味の湧く方面に、どんどん勉強していく。
ツルタ
脇先生
いろいろな人に出会えるのも楽しかったです。すごい人がたくさんいて、刺激をもらいましたね。
特に刺激を受けた方はいらっしゃいますか。
ゆうすけ
脇先生
本当にいろいろな方に影響を受けたんですけど、特に母校の先生方には、大きな影響を受けました。
どんなところに影響を受けたんですか。
ゆうすけ
脇先生
研究に従事されている先生たちって、すごく説得力があるし、質問に対して的確に答えてくださるんです。そこに感動して「こんな人になりたいな」ってシンプルに思ったんですよね。しかも、ちょうど将来の選択肢として大学の先生もいいなって思っていた時期だったので、なおさら学生の疑問にパシッと答えてくれる姿に惹かれたんだと思います。