唸っているぼくの枕元で「退路を断て! 退路を断て!」って
松田先生
ぼくね、サラリーマン記者になって4年目に、倒れてしまったの。
えっ!
ツルタ
松田先生
三重県四日市の公害ぜん息訴訟の判決直後の1972年7月、勝訴した住民が、徹夜でコンビナートに賠償請求をおこなったのね。
それに付き合っていたら、突然発熱して寝込んでしまった。
今思えば脂肪肝だったんじゃないかな。
それに付き合っていたら、突然発熱して寝込んでしまった。
今思えば脂肪肝だったんじゃないかな。
疲労がたたったんですね。
ツルタ
松田先生
それを医者が慢性肝炎と誤診したもんだから、完全に逆療治をしてしまった。
入院して、高タンパク・高カロリーの病院食を食べて、寝ているだけ。
全然良くならなくて、4ヶ月半も入院した。
治るどころか、ぶくぶく太って肝機能の値も上昇する一方。
入院して、高タンパク・高カロリーの病院食を食べて、寝ているだけ。
全然良くならなくて、4ヶ月半も入院した。
治るどころか、ぶくぶく太って肝機能の値も上昇する一方。
入院したのに、どんどん悪化するってやばいじゃないですか。
ツルタ
松田先生
うん。このままでは殺されると思って、無理やり退院した。
医者は「退院したら死ぬ」と言ったけど、ぼくは「同じ死ぬなら家で死にます」と言って帰った。
医者は「退院したら死ぬ」と言ったけど、ぼくは「同じ死ぬなら家で死にます」と言って帰った。
自分の意志で退院ってすごいですね。それから体調はどうなりましたか?
ツルタ
松田先生
当時は戦後の第1次自然食ブームだったの。
治療法のあてもなく、団地で寝ていたら、自然食品店の宣伝カーがやってきた。
それで圧力釜を買い、玄米食に変えてみたら、なんと1ヶ月半で肝機能が正常値になった。
治療法のあてもなく、団地で寝ていたら、自然食品店の宣伝カーがやってきた。
それで圧力釜を買い、玄米食に変えてみたら、なんと1ヶ月半で肝機能が正常値になった。
玄米食ですか。しかし回復してよかったです。
ツルタ
松田先生
そうだよね。
まぁ、今だから言えるのかもしれないけど、あのとき、食養生、漢方、鍼灸に目覚めたのは最初の医者が誤診したお陰と思ってるよ。
もし彼が脂肪肝だと診断して数ヶ月で治っていたら、現代医学は素晴らしいなんちゃって、『賢い医者の選び方』なんて本を書いていたかも。
マイナスがプラスに転化するのが人生なんだよね。
まぁ、今だから言えるのかもしれないけど、あのとき、食養生、漢方、鍼灸に目覚めたのは最初の医者が誤診したお陰と思ってるよ。
もし彼が脂肪肝だと診断して数ヶ月で治っていたら、現代医学は素晴らしいなんちゃって、『賢い医者の選び方』なんて本を書いていたかも。
マイナスがプラスに転化するのが人生なんだよね。
誤診がきっかけ…。
人生ってわからないものですね。
人生ってわからないものですね。
ツルタ
松田先生
で、元気にはなったんだけど、そのまま会社に復帰しないで半年以上遊んでいたの。
仕事したくなかったから(笑)。
仕事したくなかったから(笑)。
やっぱり当時も自由な人だったんですね(笑)。
その遊びにも、なにか意味がありましたか?
その遊びにも、なにか意味がありましたか?
ツルタ
松田先生
うん。食養生や漢方の専門書を取り寄せて読みふけっていた。
その中でも小倉重成(おぐら しげなり)医師の『自然治癒力を活かせ』は特別だった。
この本は、ぼくにとって「神のメッセージ」だった。
その中でも小倉重成(おぐら しげなり)医師の『自然治癒力を活かせ』は特別だった。
この本は、ぼくにとって「神のメッセージ」だった。
神のメッセージというのは?
ツルタ
松田先生
当時も、それからも、ぼくの生き方に大きく影響した本でね。
当時はこの本を、バイブルのように読みながら療養生活をしていた。
当時はこの本を、バイブルのように読みながら療養生活をしていた。
どんな本だったんですか?
ツルタ
松田先生
「ひとには病を癒やす自然治癒力が備わっている。その力を引き出すのは自分だ」と語る力強い本だった。
なるほど。
ツルタ
松田先生
そして、職場復帰前の仕上げに、千葉県木更津の小倉先生のところに1ヶ月入院したの。
実際に入院まで! そこではどういう入院生活をされたんですか?
ツルタ
松田先生
その診療所は、玄米菜食1日1食で、マラソン10km、なわとび5000回…。
運動と小食が自然治癒力を高めるという理論で、眼病を中心に難病の患者さんが来ていた。
運動と小食が自然治癒力を高めるという理論で、眼病を中心に難病の患者さんが来ていた。
それはかなりハードですね。
ツルタ
松田先生
うん。小倉先生は厳しかったよ。
暇があったら「座禅しろ」って言うし。
ちなみにぼくは縄跳びはすぐに諦めた。縄跳びって本当にきついねぇ。
暇があったら「座禅しろ」って言うし。
ちなみにぼくは縄跳びはすぐに諦めた。縄跳びって本当にきついねぇ。
(笑)。
編集部
松田先生
しかも5000回だから、とてもじゃないけどムリムリって(笑)。
だから縄跳びは放棄してやらなかった。
だから縄跳びは放棄してやらなかった。
さすが先生です。自主的に縄跳びはやらなかったと(笑)。
しかし従来の入院スタイルとは全く違いますね。
しかし従来の入院スタイルとは全く違いますね。
ツルタ
松田先生
これは先生の本の内容のとおり、「自分の病気は自分で治す」という患者自立の思想なの。
たとえば先生は、入院患者に「普段の服でいろ」って言うのね。
「パジャマなんか着てるから病人になるんだ」って怒鳴るんだよ。
そのとおりだと、今も思う。
たとえば先生は、入院患者に「普段の服でいろ」って言うのね。
「パジャマなんか着てるから病人になるんだ」って怒鳴るんだよ。
そのとおりだと、今も思う。
そこで鍼灸治療はおこなわれていましたか?
ツルタ
松田先生
小倉先生は、本の中では鍼灸の症例も挙げているけど、治療は漢方が主体だった。
それもあって、ぼくは、大塚敬節(おおつか けいせつ)や、矢数道明(やかず どうめい)の漢方の専門書を買って、独学で学ぶ方向へ進んだんだよね。
でも、この時期にはすでに鍼灸とすれ違っているかな。
それもあって、ぼくは、大塚敬節(おおつか けいせつ)や、矢数道明(やかず どうめい)の漢方の専門書を買って、独学で学ぶ方向へ進んだんだよね。
でも、この時期にはすでに鍼灸とすれ違っているかな。
鍼灸とすれ違ったというと?
ツルタ
松田先生
1回だけ家の近所で視覚障害の鍼灸師さんの鍼を受けたことがあったの。
でも帰り道にめまいがして、鍼のせいだと警戒してしまった。
それっきり鍼灸には近付かなくなった。
でも帰り道にめまいがして、鍼のせいだと警戒してしまった。
それっきり鍼灸には近付かなくなった。
あんまり良い出会いじゃないですね。
ツルタ
松田先生
今思えば脈診と少数鍼の、シンプルで良い鍼だったと思うのよ。
あの鍼以来、身体の感じが変わって元気になったような気がするし。
あの鍼以来、身体の感じが変わって元気になったような気がするし。
それって好転反応だったかもしれませんね。
ツルタ
松田先生
そうだね。だから鍼灸師のひとことって重要だよね。
「このあとちょっと身体に反応があるかもしれません。良くなる徴候なので心配いりませんよ」と言ってくれていれば、ぼくはその鍼灸師さんのところにまた行ったと思うのよ。
「このあとちょっと身体に反応があるかもしれません。良くなる徴候なので心配いりませんよ」と言ってくれていれば、ぼくはその鍼灸師さんのところにまた行ったと思うのよ。
たしかに必要なひとことですね。
ツルタ
松田先生
それがなかったもんだから、勝手に悪い方に解釈しちゃって、鍼灸は向いてないと思ってすれ違ってる。
なるほど。では、いつ鍼灸と再会するんですか?
ツルタ
松田先生
それから10年くらいあとだね。東京に帰って来てから。
今度は睾丸腫瘍になっちゃってね、左側の睾丸がどんどん大きくなってくるわけ。
「なんだろこれは?」って思うよね。
今度は睾丸腫瘍になっちゃってね、左側の睾丸がどんどん大きくなってくるわけ。
「なんだろこれは?」って思うよね。
そりゃそうですね。
ツルタ
松田先生
それで大塚敬節の漢方書なんかを一生懸命に読むわけよ。
そうするとこれは睾丸炎だろうなって。
睾丸炎もでかく硬くなって炎症があるって書いてあるから。
そうするとこれは睾丸炎だろうなって。
睾丸炎もでかく硬くなって炎症があるって書いてあるから。
検査はしなかったんですか?
ツルタ
松田先生
がんだと思いたくなくて、勝手にいいように解釈するわけ。
これが東洋医学を1人でやるヤバさなのよ。
これが東洋医学を1人でやるヤバさなのよ。
本当に要注意ですね。
ツルタ
松田先生
それで漢方薬でなんとかしようと思って、柴胡桂枝湯のエキス剤なんか飲んで、1年以上、やり過ごしていたの。
けど、とうとう持ち堪えられなくなった。
けど、とうとう持ち堪えられなくなった。
えっ?
ツルタ
松田先生
ある時、友人の送別会で飲み過ぎたら、翌朝、全身症状が激変していた。
それで病院に行ったら、その日のうちに緊急手術。
それで病院に行ったら、その日のうちに緊急手術。
えらい状態にしましたね。
ツルタ
松田先生
それで、麻酔が醒めたら、場所が場所なので痛いのよ。
股関節の前だからね。
股関節の前だからね。
あー、たしかに痛そう(汗)。
ツルタ
松田先生
そしたらさ、痛くてうんうん唸っているぼくの枕元にきて、「マッタさん、退路を断たなきゃだめよ」って言う女の人がいたの。
??
ツルタ
松田先生
唸っているぼくの枕元で「退路を断て! 退路を断て!」ってアジ演説するのよ。
その女性こそ、元祖ウーマン・リブの田中 美津(たなか みつ)さんだったの。
その女性こそ、元祖ウーマン・リブの田中 美津(たなか みつ)さんだったの。
ここでも女性運動の?!
ツルタ
松田先生
うん、友達だった。そして彼女は鍼灸学校の学生だったわけ。
田中さんも鍼灸師になられるんですよね。
その「退路を断て」というのはどういうことですか?
その「退路を断て」というのはどういうことですか?
ツルタ
松田先生
ぼくも何を言っているのか全然理解できなかった。
当時は告知しない時代だったから、自分のことをがんだとは思っていなかったんだよね。
当時は告知しない時代だったから、自分のことをがんだとは思っていなかったんだよね。
彼女ががんだと教えてくれたってことですか?
ツルタ
松田先生
いやいや。彼女はがんとは言わないよ。
「退路を断て」と言われても、「何か大袈裟なこと言ってるな」としか思わなかった。
「退路を断て」と言われても、「何か大袈裟なこと言ってるな」としか思わなかった。
田中さん流の励ましだったのかな?
ツルタ
松田先生
たぶん田中さんには、がんだと直感的にわかったんだね。
それで「あんたはこれまでどうにかなると思って、いいかげんな生き方をしてきたけど、それじゃあ済まないよ。もう退路はないよ。いよいよ正念場だよ」ということを言ったんじゃないかな?
励ましというか、脅しだね。
それで「あんたはこれまでどうにかなると思って、いいかげんな生き方をしてきたけど、それじゃあ済まないよ。もう退路はないよ。いよいよ正念場だよ」ということを言ったんじゃないかな?
励ましというか、脅しだね。
田中さん流の脅し…。
ツルタ
松田先生
まあ、「退路を断て」と言われても、心が改まったわけでもなかったけど(笑)。
それが鍼灸に向かうきっかけになるのかな。
退院してから、小倉先生に「とにかく座禅しろ」と言われていたことを思い出した。
それが鍼灸に向かうきっかけになるのかな。
退院してから、小倉先生に「とにかく座禅しろ」と言われていたことを思い出した。
10年前にですね。
ツルタ
松田先生
うん。それで時々座禅を家でしていたんだけど、退院して1年ほど経ったころかな。
座禅をしていたら、とっても気持ちがよくてね。
その時に「鍼灸を学べ」って言葉が降りてきたんだよね。
座禅をしていたら、とっても気持ちがよくてね。
その時に「鍼灸を学べ」って言葉が降りてきたんだよね。
言葉が降りてきたというのは?
ツルタ
松田先生
すでに鍼灸師になっていた田中美津さんが縁になって、やってきた啓示だろうね。
小倉先生と田中美津さん…運命的だなぁ。
ツルタ
松田先生
その頃は、睾丸腫瘍の術後に放射線照射を受けたのもあって、調子が悪くてね。
「ずっとこの身体に付き合っていかなきゃいけないのか。もうこれは現代医学ではだめだ」と思ったの。
自然治癒力を高める西洋薬なんかないわけだし。
じゃあやっぱり東洋医学かなって思っていたの。
「ずっとこの身体に付き合っていかなきゃいけないのか。もうこれは現代医学ではだめだ」と思ったの。
自然治癒力を高める西洋薬なんかないわけだし。
じゃあやっぱり東洋医学かなって思っていたの。
それで鍼灸を学ぼうと決意するのってすごいですね。
ツルタ
松田先生
田中さんが鍼灸師になったことで、鍼灸を身近に感じたんだよね。
20代後半から、『老子』『荘子』なんか読んで、「無為自然」や天地の一気に遊ぶ思想と鍼灸の気の思想は関係あるな、と思っていたし。
20代後半から、『老子』『荘子』なんか読んで、「無為自然」や天地の一気に遊ぶ思想と鍼灸の気の思想は関係あるな、と思っていたし。
なるほど。いろいろな事が絡み合って鍼灸にたどり着いた感じですね。
ツルタ
松田先生
それで東洋鍼灸専門学校の夜学に行くんだ。
NEXT:鍼灸ジャーナリストって名乗るのは半分冗談だよ(笑)