日進医療器に関わる多くの人が笑顔になってくれたら嬉しいです/日進医療器株式会社 社長:上島 一晃

今回のインタビューでは、初めて鍼灸用品メーカーの社長にご協力いただきました。
ご登場いただくのは、日進医療器株式会社 上島 一晃(うえしま かずあき)社長です。
日進医療器株式会社は、鍼灸師にはおなじみの「ユニコ」というブランドで鍼灸用品を展開されています。

鍼灸師のキャリアパスを考えたときに、臨床や研究だけではなく、鍼灸用品を扱う会社への就職という道もあるのではないかと考えていました。
上島社長も鍼灸師の資格を持ちながら、メーカーとして鍼灸業界を支えてくださっています。

メーカー側、鍼灸師側、いずれの視点もお持ちの上島社長ならではのお話を、大阪の本社にてたくさん聞かせていただきました。


上島 一晃社長

今回は会社を代表して取材を受けてくださってありがとうございます。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
いえいえ、こちらこそありがとうございます。
いつか、「ハリトヒト。」でメーカーさんのお話は聞いてみたいと思っていたんです。
鍼灸師だけではなく、「鍼灸業界のヒトたちの言葉」を集めたいという気持ちがあったので。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
僕でいいんですかね(笑)。
もちろんです。上島社長は鍼灸師の資格もお持ちなので、メーカーさんの視点に加えて、鍼灸師の視点からもお話を聞かせていただけるのではないかと期待していたんですが、ずっとオファーを断り続けられていて(笑)。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
すみません、ひっそりと暮らしたくて(笑)。
こちらこそ、なんだかすみません(笑)。
今回インタビューを受けてくださったのは、なにかきっかけがあったんでしょうか?
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
そうですね…。飲みに行ってそこで出会った人の健康話を聞いているうちに、気が付くと鍼を勧めているんですよね。でも、どうも同じ話ばかりになっちゃって。
もし「ハリトヒト。」で記事になったら「これ読んでください」って渡すのもいいかなと。
そういったきっかけですか(笑)。ではよろしくお願いいたします。
さまんさ
さまんさ

道修町は薬問屋の街なんですよ

日進医療器さんは大阪市中央区の道修町(どしょうまち)に会社がありますが、道修町ってなんだか独特ですよね。
この界隈は、商売人の熱気にあふれているイメージで。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
道修町は薬問屋の街なんですよ。
そういった歴史がある街で、医療機器の会社として根付いたと。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
正確には少し離れたところにあったんですが、25年前くらいにこちらに移転しました。
代々ご家族で経営されていますよね。創業期はどのような商売をされていたんですか?
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
元々はゴム関係の問屋だったようです。水枕やコンドームのようなゴムを使った医療機器の卸をしていました。
へー!
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
当時はモノがあったら売れた時代らしく、祖父の時代はうまくいったようです。
でも、50年前くらいですかね。父が社長の時代になると、卸業だけでは厳しいと感じたみたいで。
いまの顧問ですね。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
そうです。父は40年くらい前に使い捨てカイロを開発したりして、卸業をしながらメーカーとしての仕事を始めました。
事業内容が拡大したんですね。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
創業期は少数品目の卸業から始めたんですが、品目がどんどん増えていって。
なかなか収益が上がらないので、自社で開発しようか、という流れだったようです。
現在の鍼灸柔整事業に至ったのは、どのようなきっかけがあったんですか?
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
ご縁があって、今の「きくばり」という円皮鍼の商品を売り出して、薬局に広げていったのがきっかけですね。
※ユニコバンと同等品
はじめに鍼灸製品を手掛けたのは、自社商品ではなく卸からだったんですね。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
もともと「きくばり」を作った会社とは、仕入先と得意先の関係でしたが、色々あってその会社の事業を引き継ぐことになったようです。
それは何年前くらいの出来事ですか?
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
20数年前ですね。その会社の社長にはお会いしたことはありませんが、アイデアマンだったのだろうと感じます。
同じ時期に医療品卸業組合内の大手企業が倒産するという出来事があったそうです。結果的にその企業で働いていた方と、今も一緒にお仕事をしています。
それも、いまの顧問の時代ですか?
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
そうです。その前までは細々とやっていたんですが、規模が大きくなったようです。
規模が大きくなった状態で、上島社長が現在の役職につくことになったんですね。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
まぁ、そんな感じですね。どこまでできるかわからないですが、僕は僕のできることをやってみようと思っています。

おばあちゃんが「あんたが会社潰す子か」って言うてきたんですよ(笑)

ご家族で経営されていて、なにか印象的なエピソードなどはありますか?
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
うーん…。おばあちゃんの話ですかね。
どんなお話ですか?
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
僕が4歳の頃におばあちゃんが「あんたが会社潰す子か」って言うてきたんですよ(笑)。
え!!! なにそれ?!?!?!
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
(爆笑)。
いや、めっちゃ笑ってはりますけど、ひどいですよ(汗)。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
幼いながらにも言葉のキツさは感じ取っていて「なんか腹立つな!」と思ってました(笑)。
当時の僕には、会社のことなんか全然わからんかったんですけど。
「おじいちゃんが会社やってるな~」くらいの感覚ですか。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
おじいちゃんとおばあちゃんが2人で創業した会社なんで、おばあちゃんも創業者で。
じゃあ、創業者のおばあちゃんご本人が、4歳の上島社長に対して直々にその言葉を…。
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
ほんまね(笑)。で、大きくなるにつれて、その言葉の意味がわかるようになって…。
だから、会社に入ろうという気持ちは元々なかったんですよ。
そんなこと言われたら嫌になりますよ(汗)。
じゃあ、お父様から「会社のことを任せる」など言われていたんですか?
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
一切言われてなかったですね。
進路については?
さまんさ
さまんさ
上島社長
上島社長
学生時代に、自分で真面目に考えた結果「どうせ生きているなら面白い方がいい」と思ったんです。
その延長で、20代は東大阪の鉄工所で溶接工のお仕事をさせていただいていました。

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