震災のとき、自分の無力さに怒りを感じた
話が前後しますが、五味さんはどうして鍼灸あん摩マッサージ指圧師になったんですか?
ゆうすけ
五味先生
大学4年生のとき、ほとんどの同級生は会社員になるために就職活動をしていたんだけど、はたして自分は会社員に向いているんだろうか、と疑問を持っていたんだよね。
それはなぜですか?
ゆうすけ
五味先生
やるのであれば生涯をかけるに値する仕事をしたいと感じていた。
もし仮に会社員になったとしても、自分のやりたいことと会社の目的が合わないときに、自分は絶対納得できないだろうし、モチベーションが上がらないだろうと。
もし仮に会社員になったとしても、自分のやりたいことと会社の目的が合わないときに、自分は絶対納得できないだろうし、モチベーションが上がらないだろうと。
…なるほど。その考えにいたったきっかけはありますか?
ゆうすけ
五味先生
大学3年生の時の阪神淡路大震災だね。
関西の人たちが大変なことになっているのに、社会の中で1番若くて元気な自分が力になれないことをもどかしく感じて、自分に対して怒りさえ覚えた。
関西の人たちが大変なことになっているのに、社会の中で1番若くて元気な自分が力になれないことをもどかしく感じて、自分に対して怒りさえ覚えた。
震災が動機のひとつなんですね。
ゆうすけ
五味先生
震災の時、自衛隊などの組織が活躍していたことは、みんな知っているよね。
でも、その中でもぼくが特に注目したのは、大工さんや床屋さん。
彼らは個人の技術を活かし、ボランティアをしているように思えた。
でも、その中でもぼくが特に注目したのは、大工さんや床屋さん。
彼らは個人の技術を活かし、ボランティアをしているように思えた。
被災地で手に職がある人が、その能力を発揮してボランティアをしている姿に惹かれた、と。
ゆうすけ
五味先生
うん。それを見て、自分も何か技術を持ちたいと思った。
そのなかで鍼灸あん摩マッサージ指圧師を選んだ理由は?
ゆうすけ
五味先生
もともと医療系の仕事には興味があってね。
当時、鍼灸院に通っていた母親が、通院のたびに元気になるのを見ていて「鍼灸っていったい何だろう」と調べたことがすべての始まりだね。
当時、鍼灸院に通っていた母親が、通院のたびに元気になるのを見ていて「鍼灸っていったい何だろう」と調べたことがすべての始まりだね。
身近な人が鍼灸院に通っていたことが、鍼灸を知るきっかけだったんですね。
ゆうすけ
五味先生
調べているうちに鍼灸やあん摩マッサージ、指圧は西洋医学的なものとは違った見方をする医療なんだとわかった。
既存の医療システムを補完する、現代の治療にあぶれた人を救う仕事なのかなと。
既存の医療システムを補完する、現代の治療にあぶれた人を救う仕事なのかなと。
たしかに鍼灸やあん摩マッサージ、指圧ってそういう面がありますね。
ゆうすけ
五味先生
大学を卒業してから、呉竹学園の東京医療専門学校を受験して、二次募集で入学が決まったんだ。
鍼灸学校に入ったあとは?
ゆうすけ
五味先生
1・2年生のときは、リラクゼーションマッサージや病院のリハビリのバイトを転々とした。
3年生のときに「そろそろ鍼灸専門の治療院に勤めたいな」と思っていたら、同級生が「『巽堂新井はり灸院』で、助手を募集しているよ」と教えてくれてね。
すかさず面接を受け、新井康弘・敏弘先生に師事することができた。
3年生のときに「そろそろ鍼灸専門の治療院に勤めたいな」と思っていたら、同級生が「『巽堂新井はり灸院』で、助手を募集しているよ」と教えてくれてね。
すかさず面接を受け、新井康弘・敏弘先生に師事することができた。
学生のときに師匠が見つかるというのは幸運ですね。
どのような弟子生活でしたか?
どのような弟子生活でしたか?
ゆうすけ
五味先生
1日に60から70人の患者さんが来るような治療院で、とにかく忙しかったよ。
学校が終わって、14時から21時まで。
その間の休憩は、5分あるかどうか。休まずひたすら助手をした。
学校が終わって、14時から21時まで。
その間の休憩は、5分あるかどうか。休まずひたすら助手をした。
5分! トイレ休憩くらいですね。
ほかにも新井先生のお弟子さんはいらっしゃったんですか?
ほかにも新井先生のお弟子さんはいらっしゃったんですか?
ゆうすけ
五味先生
弟子は5年制で、5年経つと上から卒業していくシステムになっていたんだ。
入れ替わりで、毎年1人ずつ弟子が入ってくる。
入れ替わりで、毎年1人ずつ弟子が入ってくる。
5年で独り立ちができる仕組みが、出来上がっていたのですね。
ゆうすけ
五味先生
そうなんだよ。新井先生は、もともと福島弘道先生という東洋はり医学会創立者の弟子だったから、東洋はりセンターの育成システムを参考にしていたのかもしれないね。
※東洋はり医学会は、1959年から続く経絡治療の研究会のひとつ。この会の治療法は「脉診流経絡治療」と呼ばれる。
「鍼灸の魅力」は「鍼灸師の魅力」
弟子のころ、不安はありましたか?
ゆうすけ
五味先生
脈診流の先生だったので、脈を診て治療しているのだけど、僕はまったく脈が診れなくてね。
先輩たちが言っていること自体、何を言っているのかわからなかった。
そういう感性が鈍かったんだよね(笑)。
先輩たちが言っていること自体、何を言っているのかわからなかった。
そういう感性が鈍かったんだよね(笑)。
五味さんでも脈が全くわからない時代あったんだ。
なんか安心しました(笑)。
なんか安心しました(笑)。
ゆうすけ
五味先生
そりゃね(笑)。
仕事が終わったあと、先輩に鍼の打ち方や脈の診方を教えてもらうんだ。
そのあと一緒にご飯を食べに行って、治療の話を聞いたりして、家に帰ったら24時。
国家試験の勉強をする時間がないので、朝4時半に起きてファミレスに行って、2時間試験勉強をしてから、学校へ行くという生活だったよ。
仕事が終わったあと、先輩に鍼の打ち方や脈の診方を教えてもらうんだ。
そのあと一緒にご飯を食べに行って、治療の話を聞いたりして、家に帰ったら24時。
国家試験の勉強をする時間がないので、朝4時半に起きてファミレスに行って、2時間試験勉強をしてから、学校へ行くという生活だったよ。
ほとんど寝てないですね…。
そんなハードな生活の中で、何か気付いたことはありましたか?
そんなハードな生活の中で、何か気付いたことはありましたか?
ゆうすけ
五味先生
新井はり灸院では、鍼灸治療の技術や知識のいろはを学ばせていただいて、「これが鍼灸治療なんだ」と知ることができた。
でもあるとき「患者さんを癒しているのは、鍼灸治療そのものではなくて、鍼灸師自身の人間性からにじみ出る何かなんじゃないか…」と気付いたんだ。
「鍼灸の魅力」とは「鍼灸師の魅力」なんじゃないかなと。
でもあるとき「患者さんを癒しているのは、鍼灸治療そのものではなくて、鍼灸師自身の人間性からにじみ出る何かなんじゃないか…」と気付いたんだ。
「鍼灸の魅力」とは「鍼灸師の魅力」なんじゃないかなと。
技術でなく人間の魅力…。
ゆうすけ
五味先生
「この治療院に来ただけで非常によくなった気がする」と、患者さんがよく言っていた。
それがヒントになった。
いつでも温かく患者さんを受け入れる新井先生のお人柄…。
それを目の当たりにできたことは、僕に大きな影響を与えた。
それがヒントになった。
いつでも温かく患者さんを受け入れる新井先生のお人柄…。
それを目の当たりにできたことは、僕に大きな影響を与えた。
たしかにベテランの先生は、技術だけでなく人間性も味わい深い方が多い気がします。
ゆうすけ
五味先生
当時、僕は25歳だったけど、「これは人として経験を積まないと、とてもじゃないけど患者さんを診るなんてことはできない」と感じた。
「人としての経験がもっと必要だ」と感じたことが、治療家としてのターニングポイントになった、と。
ゆうすけ
五味先生
そうだね。
それが青年海外協力隊につながるんでしょうか?
ゆうすけ
五味先生
大学生のころからボランティアだけじゃなく、国際協力にも関心があったから、「言葉も通じない場所で自分自身の修業をしたい」「発展途上国に行って、貧しい人のために何かをやりたい」という思いが、強くなってきた。
人としての経験を積みたいという想いと、もともとの途上国支援志向が重なった…と。
ゆうすけ
五味先生
そうなんだ。
そして弟子期間の途中であるにも関わらず、新井先生に「青年海外協力隊に応募したいので、ここを辞めさせてください」と伝えた。
そして弟子期間の途中であるにも関わらず、新井先生に「青年海外協力隊に応募したいので、ここを辞めさせてください」と伝えた。
弟子を辞めて海外に行きたいと言ったときの新井先生の反応は…?
ゆうすけ
五味先生
ゆっくり僕の話に耳を傾けてくださり、そして応援すると言ってくださった。
本当に優しい先生だった。
本当に優しい先生だった。
理解のある師匠だったんですね。
ゆうすけ