月刊『医道の日本』をバイブルとして、今もバックナンバーを揃えている鍼灸師は多いのではないでしょうか。
ハリトヒト。のインタビュー記事の編集にも携わる山口智史さんは、月刊誌『医道の日本』が休刊した当時の編集長でもあります。
鍼灸業界の雑誌づくりを「ホントに面白かった」と語る一方で、実は鍼灸を受けたこともないまま新卒で入社したという山口さん。
それでも、編集者として地道に経験を積んでいき、業界を代表する唯一無二の雑誌づくりに奔走されました。
入社後の歩み、そして雑誌づくりの現場、鍼灸業界への思いなどについてお話を聞きました。
山口 智史(やまぐち さとし)さん

編集記者、伝記作家、芸術修士(MFA)
1979年 兵庫県生まれ
2002年 同志社大学法学部法律学科卒業 同年、株式会社医道の日本社 入社
2015年 同社編集部副編集長
2016年 同社編集部編集長 入社以来、18年にわたって月刊『医道の日本』と書籍の編集に携わる
2020年7月 月刊『医道の日本』の休刊に伴い退社、現在は著述活動に専念
「真山知幸」の筆名で偉人や名言をテーマに執筆活動を行い、『偉人名言迷言事典』『偉人メシ伝』『大器晩成列伝』など著作70冊以上
『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』は計20万部を突破しベストセラーとなる
「東洋経済オンラインアワード2024」のロングランヒット賞を受賞
2026年 京都芸術大学大学院芸術研究科(通信教育)文化遺産領域文化遺産分野 修了
鍼灸については『ハリトヒト。』での記事編集、『鍼灸柔整新聞』への寄稿、SNS上で鍼灸ジャーナリストとして発信中
1979年 兵庫県生まれ
2002年 同志社大学法学部法律学科卒業 同年、株式会社医道の日本社 入社
2015年 同社編集部副編集長
2016年 同社編集部編集長 入社以来、18年にわたって月刊『医道の日本』と書籍の編集に携わる
2020年7月 月刊『医道の日本』の休刊に伴い退社、現在は著述活動に専念
「真山知幸」の筆名で偉人や名言をテーマに執筆活動を行い、『偉人名言迷言事典』『偉人メシ伝』『大器晩成列伝』など著作70冊以上
『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』は計20万部を突破しベストセラーとなる
「東洋経済オンラインアワード2024」のロングランヒット賞を受賞
2026年 京都芸術大学大学院芸術研究科(通信教育)文化遺産領域文化遺産分野 修了
鍼灸については『ハリトヒト。』での記事編集、『鍼灸柔整新聞』への寄稿、SNS上で鍼灸ジャーナリストとして発信中
鍼灸について知らないまま、新卒で「医道の日本社」へ

山口さんは今や作家・偉人研究家「真山知幸」として大活躍されていますが、そもそもは月刊誌『医道の日本』の編集長だったんですよね。医道の日本社には、どんな経緯で入られたんですか。
ゆうすけ
山口さん
もともと本を読んだり文章を書いたりするのが好きで、大学卒業後は出版業界に進みたかったんです。でもなかなか難しくて……。
出版業界は倍率が高いと聞きます。
ゆうすけ
山口さん
採用人数が少ないですからね。面接に慣れようとテレビ局のアナウンサー試験を受けてからマスコミ各社、落ち続けました。3年生の夏と友人の間では最も早く就職活動を始めたにもかかわらず、決まったのは4年生の2月。卒業間近になんとか医道の日本社に拾ってもらいました。
新卒で入られたんですね。
ゆうすけ
山口さん
そうなんです。でも新卒採用の募集で入ったわけじゃなくて、たまたまその時期に求人が出ていたんですね。新聞の求人欄に小さく掲載されているのを見つけて、応募したのがきっかけです。医道の日本社としても、新卒で採用したのは僕が初めてだったようです。
採用試験を受けたときは月刊『医道の日本』の存在は、知らなかったんですか。
ゆうすけ
山口さん
雑誌を読んだこともなかったし、鍼灸について何も知らなかったです。何の会社かもわかってなかったです。
もしかして、鍼灸を受けたこともなかったとか?
ゆうすけ
山口さん
なかったです。入社して2年目くらいで上司と取材に行ったときに「あそこに鍼灸院がありますね」って言ったら、「やっぱり目に入るようになってきた?」って言われたんですよ。入社前はそもそも鍼灸院が町中にあっても、意識すらしていませんでした。入社後、京都にある猪飼先生の鍼灸院のすぐそばで、自分が下宿していたことが判明して驚きましたね。
入社後に鍼灸について知るようになったんですね。4月に京都から東京に引っ越した感じですか。
ゆうすけ
山口さん
2月に内定をもらった後、「3月から来てほしい」って言われたんですよ。まだ京都の大学を卒業していなかったんですけど、「1カ月アルバイトで」っていうことで、急いで東京で家を探して、卒業式だけ戻ってみたいな感じで。研修みたいなのを1カ月間ぐらいやって4月から社員として働き始めました。
社内の雰囲気は、どうでしたか。何か印象に残っていることはありますか。
ゆうすけ
山口さん
「東京の出版社で編集の仕事ができる」という喜びに満ち溢れていて、あまり周囲のことは見れていなかったように思います。いろんな出版社で編集を経験して、いつかフリーの編集者になりたいと思っていたので、そんなに執着もなかったんです。そうしたら、当時の上司が入社初日に「ここを辞めても通用できる編集者になってくれ」って言ってくれたんですよ。その上司がのちにメルマガ「あはきワールド」を刊行する石井さんなんですが、衝撃を受けましたね。そう言われると、逆にここでがんばらなきゃ、と思うというか……。
鍼灸の免許の有無が重要じゃなくて、むしろプロの編集者を育てたかった。
ゆうすけ
山口さん
そうですね。だから、まっさらな新人でもよかったみたいで僕が採用されたようです。でも結構応募は来ていたことをあとで知りました。関西からわざわざ面接を受けに来た、というのもあったのかもしれませんね。
「初めて」をこなしていった新人時代
入社したのは2002年とのことですが、最初はどんな仕事をされたんですか。
ツルタ
山口さん
編集のいろはを、月刊誌を通して学んでいきました。最初はホントに訳がわからなかったですけど。
編集のいろはで、特に「これ教わってよかった」みたいなものってありますか。
ツルタ
山口さん
誌面のレイアウトの仕方、校正記号の書き方、校正の仕方、入稿の仕方とか。ホントに雑誌作りの全ての過程を学びました。何も知らない時期は、初めての対談、座談会、学会取材っていうふうにひとつずつこなしていく感じで、1年半くらいかけて流れを覚えていったんです。
書籍の編集だと、取材はともかく座談会や対談はあまり経験できないですものね。ちなみに雑誌づくりの現場はかなりハードだったんじゃないですか。
ツルタ
山口さん
それが初めてのことばかりの頃は、まだ時間に余裕があって、定時で帰っていました。まだ任せられない、やらせることがなかったんでしょうね。徹夜も辞さない覚悟で上京してきたので、ちょっと拍子抜けでしたね。早く家に帰っても、することないですし……。
上京したてですから、知り合いもそんなにいないですもんね。
ツルタ
山口さん
今頃、大手の出版社に内定をもらった同世代はまだまだ働いているんだろうなあ、と焦りながら、小田急線で帰っていたのを思い出します。そんなオーラを僕が出していたのか、先輩から「そのうちに嫌でも忙しくなるからね」と言われたのを覚えています。その通りにできることが増えてくると、忙しくなっていきました。
当時の仕事で印象に残っているものはありますか。
ツルタ
山口さん
2003年8月号で初めて座談会の仕事をやったのをよく覚えています。テーマは顎関節症で、人選のコーディネートを森ノ宮医療大学の尾崎朋文先生にお願いしたんです。それぞれの先生に依頼をして、日程合わせて、そのときは大阪のホテルで会議室を押さえて、地図を送って、謝礼を用意して……。「編集者の仕事は意外と地味だ」と聞いてはいましたが、本当に気遣いの仕事なんだなと実感しました。
編集作業以外に、いろいろな仕事があるってことですね。
ツルタ
山口さん
その座談会には、歯科の先生や麻酔科の先生ほか、森ノ宮医療大学の坂本豊次先生、 そして当時は明治鍼灸大学だった今井賢治先生にも参加してもらったのですが、新進気鋭の若手の先生がいるということで、指定発言者としてお呼びしたのが、明治の伊藤和憲先生でした。今やメディアで大活躍ですよね。
今から20年以上の前だと、若手になりますか……。
ツルタ
山口さん
月刊『医道の日本』では、鍼灸業界の重鎮の先生から注目の若手の先生まで、一冊の雑誌のなかで取り上げることができました。そんなの面白さに気付くのは、もう少しあとのことです。
月刊『医道の日本』は敷居の高い雑誌?

月刊『医道の日本』って、すごい敷居の高い雑誌というイメージがあるんです。掲載されるには10年以上の経験が最低でも必要みたいな噂も聞いたことがあります。それって割とリアルなんですか。
ツルタ
山口さん
企画によりますね。僕が入った頃には、「巻頭」と「特集」が雑誌の2本柱でした。「巻頭」はインタビュー、対談、座談会、「特集」は寄稿モノで、いわゆる「疾患別特集」です。「特集」が一番人選のハードルが高くて、開業鍼灸師の場合は、どれくらい治療歴があるかを重視していました。
やはりそうなんですね。ちなみに編集会議はどんな感じなのでしょうか。
ツルタ
山口さん
特集の疾患別が書いてもらうのに最も月日が必要ですから、なるべく早く依頼できるように、会議でも優先的にテーマや人選を検討するようにしていました。疾患が鍼灸院では珍しいものならば、臨床歴が多少浅くてもOKとしたり、逆に肩こり、腰痛だったらベテランじゃないと読者も納得しないだろうと意外と難航したりとか……。駆け出しの頃だけじゃなくて、経験を重ねてからも人選は難しかったですね。
疾患別特集では、医師にも原稿を依頼していましたよね。編集部としては、エビデンスはどのタイミングから必要性を感じたんですか。
ツルタ
山口さん
業界の流れがあったと思います。1997年、米国NIH(国立衛生研究所)に召集された合意形成パネルが、鍼の声明を発表しました。それがEBM(科学的根拠に基づく医療)の考え方が浸透し始めたきっかけとなります。『医道の日本』誌では2001年2月号から「FACT誌収載[鍼灸関係論文]」の連載がスタートし、同じ年にEdzard ErnstとAdrian Whiteの共著を、山下仁先生と津嘉山洋先生が訳した『鍼治療の科学的根拠』が出版されました。
そういう業界のトレンドが月刊誌に反映されて、単行本の企画にもつながっていく流れがあったわけですね。
ツルタ
山口さん
編集部に鍼灸師の先生方から情報が日々寄せられるので、鍼灸業界のトレンドがおのずと誌面に反映されていたと思います。そもそも『医道の日本』は、鍼灸師の先生方の投稿誌としてスタートしていますからね。
軸足が投稿誌なわけですね。かなりの数が来ていたと思いますが、掲載の可否はどんなふうに判断していたのでしょうか。
ツルタ
山口さん
僕らが欲しかったのはやっぱり臨床ですね。エッセイであったり、治療院や団体のPR色が強いものは掲載が難しかったりもしましたが、症例原稿であれば直したり、お互いやりとりしたりして載せられるケースが多かったと思います。ただ、危険な施術は載せないようにしていました。学生も読む雑誌ですからね。
『医道の日本』に載りたいっていうのは、雑誌自体のすごいブランド力が背景にあると思うんですけど、その辺って中にいても感じることはありましたか。
ツルタ
山口さん
執筆にしろ取材にしろ「『医道の日本』の依頼ならば」と先生方はみなさん依頼を快く受けてくれたのは、ありがたかったですね。あとこれは業界誌全体にいえることですが、ニッチな分野を専門的に掘り下げるがゆえに、なかなか一般向けの媒体の編集者にはできない仕事をさせてもらったなと。国際経穴標準化について、WHOの会議の取材にも行っていますから。なかなかできる経験じゃないと思います。
逆にそのブランド力がデメリットになることもあったのでしょうか。
ツルタ
山口さん
デメリットは特に感じませんでしたが、長く続いている雑誌ですから、クオリティーを保たなきゃいけないっていう強い意識が編集部にはあったと思います。それは誌面の内容に限らず、学会の取材のときの振る舞いとかも……。もっとも駆け出しのころ、僕は半分大学生みたいなものでしたから、それ以前の問題でした。今から思えば冷や汗が出るような失敗や失礼もありましたが、社内外問わず、鍼灸業界特有の温かさに包まれながら、なんとか社会人になれました(笑)。
先生に質問をしながら、一緒に言語化していく
特集は、どういう観点でテーマを決めていたんですか。
ゆうすけ
山口さん
開業鍼灸師の読者が多いので「いかに明日の治療に役立てられるか」を重視していました。研究的な論文であったとしても、臨床に役立つ内容がベターでしたね。肩こり、腰痛、膝とかの運動器疾患を定期的に入れながら、鍼灸の分野を広げるようなうつ病とか精神疾患に対する鍼灸治療を入れたり、あとは季節の病を取り上げたりもしました。
特集の原稿は基本的に依頼した先生に執筆してもらう形だったんでしょうか。
ゆうすけ
山口さん
そういう形になりますね。時折、僕らが取材して原稿を作ることもありましたが、特集では稀なケースです。取材モノの臨床記事としては「シリーズ腰痛」という連載がありました。腰痛に対してどのようなアプローチをしているか、手技も含めて先生方に話を聞いてから、実際にモデル患者に施術をしてもらい、写真撮影するものです。なかには、取材しながら、一緒に治療体系を整理していくという場合もありましたね。
治療家は必ずしも言語化能力が高い人ばかりではないと思うので、業界の言語化のためにも大切な取り組みだったんですね。
ゆうすけ
山口さん
ベテランの先生の技を、弟子が体系化するといったことも、この業界ではよくありますよね。ソクラテスとプラトンのような関係といいますか……。そういう役割を編集者が果たしたこともあったと思います。誌面として残しておけば、追試できますから、技は残りますからね。
臨床の取材は大変でしたか。
ゆうすけ
山口さん
すごいなと思ったのは、写真撮影のために治療がわかればいいだけなんですけど、先生方は取材中も、目の前のモデル患者さんの症状をなんとか治そうとする(笑)。施術のスピードが速かったりもしましたが、面倒でも手を止めてもらって、1個1個、施術の意図を確認して、なるべく深掘りをするようにしていました。
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