自分にしかできない「挑戦」(前編)/鍼灸ジャーナリスト:松田 博公

記者時代はけっこう勝手にやっていた(笑)

松田先生
松田先生
ぼくには悪いクセがあって、「もはやここまでだな」と思ったら、スパッとやめちゃう。
それってどういうことですか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
「ほかの人がやり始めたから、もう自分じゃなくていいや」と思ってやめることが多いというか。
自分にしかできないことをするという意味ですか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
そうだね。新聞記者時代も、いつも自分のテーマを追いかけていた。
たとえば、ぼくは1977年から7年間「女性運動」の取材をやっていた。
へぇ、女性運動ですか。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
女性運動には、日本の重大なテーマが存在すると思ったからね。
そこって詳しくお願いできますか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
えー、そこに時間使うの?(笑)
はい。むしろ興味があります(笑)。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
じゃあ話すけどさ(笑)。
ぼくは、どこの部分がどう解放されていくと、社会全体がより良くなるかを考える。
これって、何かを変えようとする人は、誰だってそう考えるのね。
当時の松田先生にとって、それは女性の解放だったんですか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
たまたまね、ぼくの隣の記者の机の上に、当時の女性運動=「ウーマン・リブ」のパンフレットが置いてあった。
『この道ひとすじ』なんていいセンスの名前のミニコミもあった。
たまたま?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うん。そして、何気なく手にとって見たときに、「ああ、これだ」と打たれた感じがした。
今の漫画文化を先取りするような、粗野なイラストのオリジナル性が目をひいたし、「何者にも規定されないあるがままの自分を生きる」なんてガリ刷りのメッセージがキラキラ輝いていた。
で、会いに行ったの。
けっこう感覚的な理由で取材対象を選ぶんですね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うん。でも取材拒否されたの。
男だし、新聞記者だし。
男はともかく、新聞記者もだめ?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
彼女たちは「自分たちの思想は、メディアを通してではなく、自分たちの手作りの表現方法を通して伝えたい」と考えていた。
ぼくは、この姿勢にまた「すげえ!」と思った。
運動というのはそうでなくちゃいけないと。
ぼくならメディアで拡散したいと思っちゃうけど…。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
だよね。そんな感じでさ、日本のウーマン・リブの運動は取材拒否から始まったの。
マスコミには翻訳不能の自分自身のことばを持つということね。
そこに惹かれて、ぼくは逆に取材したくなっちゃったわけ(笑)。
そういう性格ですか(笑)。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
なんで男のくせに女性運動の取材に7年間も集中するのかってよく言われた。
たしかに女性記者の方が取材しやすそうですが。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
それがね、1980年代初めまで集会やイベントに、女性記者はほとんど来なかった。
女性記者は高学歴でエリートだし、下層のウーマン・リブの主張は過激に思えて、無視したかったんだろうね。
そんなもんですか…。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
ところが1980年代に入って、政府が男女平等参画社会の政策を推進し、地方自治体ぐるみで官製の平等運動を展開するとまったく風向きが変わった。
女性記者が「女のことは女にしかわからない」とか言って取材に出入りするようになったし、ウーマン・リブとは異なる流れの女性運動も生まれて、自分たちをフェミニストなどと呼ぶようになり、大学にフェミニズムの講座もできた。
それは大きな転機ですね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
ウーマン・リブは「人権」や「平等」なんてお仕着せのことばは使わなかったのに、そうした官製の制度的言語が運動の決まり文句になっていく。
フェミ系の女性運動は積極的に取材を歓迎する姿勢だったから、別物という印象だった。
変化が著しいですね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うん。「どんどん取材してください!」みたいな感じになっちゃって。
女性運動のあり方も変わっていったのか。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
それで、ある日を境にスパッとやめた。
あー、なるほど! 松田先生じゃなくてもいいからだ。
ほかの記者が取材するようになっちゃって。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
そう、だからこれは悪いクセなのよ(笑)。
もっと新聞社時代の話が聞きたいですね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うーん…。ほんとに、そんな話でいいの?
はい(笑)。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
ぼくは35年間、共同通信社に勤めたけど、社内で1度たりとも「ジャーナリズムとはいかにあるべきか」という議論がなされたことはなかったんだよね。
えー、そうなんですか?
さまんさ
さまんさ
松田先生
松田先生
毎日毎日、午後3時に開かれる編集会議で、何がテーマになるかというと、いわゆる「時間差特ダネ」というやつなの。
「時間差特ダネ」って?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
同じ記事が、NHKや競合他社より何分早く出たとかそういう話。
重要視されていたのが、内容じゃなくて時間差だった。
そこにがっかりした?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
というより、そのことは、入社後すぐに気付いたの。
で、そんな無意味なことに身を削りたくないと思って、特ダネ競争がないところで仕事をしたいと思った。
特ダネ競争がないところというのは?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
三重県四日市で公害裁判取材を終えたころから、文化部に行くことを希望し、1977年に文化部に行ってからは自分が決めたテーマで記事を書いていた。
どんなテーマが多かったですか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
「人が書かないことを書こう」が、ぼくのモットーだからね。
「メディアはあまり取り上げないが、生きるのに役立ち、世界を新しく見直すのに役立つ情報を伝えよう」ということを、取材のテーマを決めるときに大切にした。
なるほど。ウーマン・リブの取材に通じますね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うん。「障害者の自立生活運動」、「不登校問題の原因は、子ども自身ではなく学校システムの方ではないか、という視点からの学校論」、今で言う「LGBT」、その運動を根拠づけた「哲学者フーコーの思想」、「ディープ・エコロジー」、「ニュー・サイエンス」、「宗教界の新しい動き」、「ダライ・ラマインタビュー」、などなど…。
すごいな。
さまざまな分野の取材をしてますね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
麻原彰晃にインタビューした直後にオウム真理教関連の事件が起きて、オウム真理教のひどさもさることながら、新聞やテレビが、伝統宗教やヨーガの厳しい修行までも怪しげだとかおかしいとか非難する姿を見て、メディア批判の評論を書いたこともあった。
事件後って、日本中がバッシングをしていたような…。
そのなかでメディア批判の評論を書くって大変なことですよね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
よく、わかってくれました(笑)。
やっぱり大変だったんですね(笑)。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
まぁ、そんな感じでけっこう勝手なことをしてきたんだよ(笑)。
でも、その延長に『鍼灸の挑戦』が生まれた、と言えるのかもしれないよね。
えっ?! あぁ、なるほど。
当時の鍼灸は「人が書かないテーマ」だったんだ。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
そう。鍼灸はこれだけすばらしい医術なのに、最近のNHKの報道以前は、ほとんど誰も正面から取り上げなかった。
どこのメディアにも、医療記者はいるのにね。
医療記者も扱わない鍼灸っていったいなんだろ…。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
医療記者の大半が、現代医学にしか関心がない。
たまーに東洋医学を取り上げたとしても、いわゆる「ツボ療法」だった。
でも、ぼく自身も、1988年に鍼灸の免許を得たけれど、それから10年くらい、鍼灸について1行も記事を書いてないんだよね。
それはなぜですか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
やっぱり「大事にしたかった」ということかな。
自分の宝物のように思っていたから、簡単にメディアに書きたくなかったというのが1つ。
うわー、深い鍼灸愛を感じます。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
それから現実の問題として「ツボ療法」についてなら書けるけど、鍼灸臨床のあるがままは書けないと思った。
それって?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
インターネットには、一般の方向けに、肩こりに肩井、胃に三里など、1つの症状に対して1つ、対応させた治療法が解説してあるけど、それは実際の鍼灸臨床の限られた一面じゃない?
そういうワンパターンのツボ療法は、患者さんの状態によって効くこともあれば効かないこともある。
たとえばぼくの鍼灸学校時代の話なんだけど…
記者をしながら夜学に通ったんですよね?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うん、会社には秘密でね。
(爆笑)
編集部
編集部
まさか会社に内緒で鍼灸学校に通っていたとは(笑)。
よくバレなかったですね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
バレる、バレないよりも、身体が大変だった(笑)。
21時に学校が終わって、また会社に戻って仕事するわけ。
もう身体がガッタガタ。
うわ、ハードな生活ですね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
それでさ、風邪をひいて喉が痛かったの。
で、喉の痛みには「少商」に刺絡っていうツボ療法があるじゃない?
ありますね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
全然効かないのがよくわかった(笑)。
それって身体がボロボロだから、効かなかったということですか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
そう、もう身体は完璧に虚しちゃって、刺絡したって血も出やしない(笑)。
よほどの状態だったのかな(笑)。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うん、だからツボ療法は実際の鍼灸の一部でしかない。
ぼくが20年間お付き合いした、故・井上 雅文先生は、『鍼灸の挑戦』に原 志免太郎(はら しめたろう)医師の三里の灸の記事が掲載されているのが気に入らなかった。
結核とお灸の研究で有名な原先生ですね。
毎日かかさず足三里にお灸をして、108歳まで生きたとか…。
その記事を井上先生はどうして気に入らなかったんですか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
「誰にでも三里の灸をするのは本来の鍼灸ではない。
患者の脈を診て証を立て、それに従って配穴し、補瀉するのが鍼灸だ」と考えていたからね。
井上先生は人迎気口診という脉診を独自の研究で蘇らせた方ですよね。
脉で患者の状態を診ること、それを臨床に応用することをよほど大切にしていたんだろうな。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
ぼくはそこまで思い詰めたわけではないけれど、「鍼灸術を生かすも殺すも、患者さんに内在する自然治癒力が重要なんだ」って、身をもってよくわかった。
自然治癒力が十分に働いていないと、鍼灸術は効かないし、ツボ療法では間に合わない。
実際の臨床では、自然治癒力を賦活するために、患者さん一人ひとりの状態に合ったきめ細かい方法を、鍼灸師は試みなくてはならないでしょう?
だけど…。
ツボ療法と違って、そんな単純には書けないかも…。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うん、そうなの。
ちゃんと記事にしようと思うと、ちょっと難しいんだよ。

鍼灸師の一部からは、ずいぶんと厳しい批判があった。

では、1988年に資格を取得して以来、ずっと書かずにいた鍼灸について、1999年から書き始めたきっかけってなんですか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
定年の5年前になってね。
「最後にそろそろ鍼灸のことを取り上げようかな。それとも長い間、教育について考えてきたので、教育について取り上げようかな」と考えたわけ。
どちらかを選択しようと。
記者人生の最後の仕事として、「鍼灸」か「教育」の2択があったんですね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
そう。それで鍼灸を選んだの。
それが『鍼灸の挑戦』になるんだけど、やっぱり技術的なことは書けないなーと思った。
うんうん。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
で、たどり着いた書き方が、あなたがた「ハリトヒト。」と一致するのよ。
えっと!?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
鍼灸師の人柄、思想、生き方。
それがいかに面白いかということを伝えることならできそうだと。
そして、技についても多少触れながら、鍼灸師ひとりひとりを描くというスタイルは、あなた方も同じじゃない?
わ…。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
鍼灸師ってユニークで、鍼灸師自身の生き方が、技の根底になっている。
それ抜きに、鍼灸の世界を理解することはできない。
あるがままの鍼灸術は書けないけれど、「ヒト」を切り口にすれば、鍼灸の魅力は伝えられるだろうと思ってやり始めた。
すごくわかります! 先生に同じと言われて、すごく嬉しい(笑)。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
ちなみに『鍼灸の挑戦』は共同通信加盟紙に断続的に配信して、5年くらい続けたんだよね。
その間に何人くらい取材したんですか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
100人近く会ったんじゃないかな。
ただ全員に紙面に登場していただいているわけじゃない。
インタビューの人選は、どうされていたんですか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
ぼく自身、経験不足だったからね。
鍼灸界に深く入り込み、その方と親しくなったうえで、インタビューをお願いする形ではなかった。
雑誌『医道の日本』やその他の媒体を読んで「この人は面白そうだ」とか、限られた情報でしか人選できなかった。
それでもたくさんステキな鍼灸師を紹介しましたよね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
ぼくが彼こそ鍼灸ジャーナリストだと畏怖している寄金 丈嗣(よりかね たけつぐ)さんからは、「取り上げるべき人物を取り上げていない」と批判をいただいたけど、その通りなんだよ。
あとがきに「出会うべき人の3分の1にも会えていない」と書いたのは本当の気持ち。
うーん。そもそも鍼灸業界ってよくわからないというか、どういった人物で構成されているか可視化されていないのに、厳しい批判ですね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
他にもいろんな限界があると思うよ。
人柄を中心に取り上げた記事だから、鍼灸のいい面だけしか書いていない。
だから、鍼灸の問題点に触れていないという批判はもちろん成立する。
その批判についてどう考えますか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
すべての読者の要求に応えるのは無理だから、仕方がないな。
『鍼灸の挑戦』においては、鍼灸の問題点に触れるのは、ぼくの目的ではなかったんだよ。
鍼灸のメリット、デメリットを患者に伝える実用的な「医療記事」じゃないわけだから。
すると『鍼灸の挑戦』はどんなジャンルになりますかね?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
これは「鍼灸師列伝」なのよ。
そうかも…。登場する鍼灸師がかっこいいんだ。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うん。それが目的だったから(笑)。
鍼灸にはこういう良い点もあるけど、こんな悪い点もあるから注意しようなんていう、マジメな目的を持った記事じゃないわけ。
そういえばネガティブなことは書かれてなかったかも。
ほかにも批判はありましたか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
いろいろあったけど…。ま、たいていの批判は当たってた(笑)。
でね、ぼくが1番良い批判だなって思ったのは「これはフォークロアに過ぎない」というもの。
「フォークロア」ってなんですか?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
民話のこと。「現実の鍼灸業界というよりも、それを理想化してファンタジーにしたフォークロアに過ぎない」と言われたの。
「これは良い批評だなぁ、その通りだよ」と思って感心した。
それって褒められた時の反応ですよ(笑)。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
その人は批判的に言っているんだけどね。
でも、あまりに的確な表現でいい言葉だなぁって(笑)。
『鍼灸の挑戦』は理想化されたお話の集合体、ということなのかな。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
たとえば「医者から見捨てられた」とか「薬を飲んでも副作用が出てどうしようもない」とか…、絶望している患者さんがたくさんいるよね。
ぼくはその人たちに「薬に頼らない、身体に優しい、別の医療があるよ」「親身に相談に乗ってくれる治療家との出会いがあるよ」と、希望を持ってほしかった。
とにかく、まずは希望として鍼灸を届けたかったのか。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
そして、これから鍼灸師になろうとする人に、「モデルとなるすばらしい生き方をしている鍼灸師がこんな風にいるんだよ」と、元気になってもらえたらいいと思ったの。
あれは元気になりますよ。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
この本を読んで鍼灸師になろうとした人もいると思うんだよね。
そうですね。いると思います。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
だから、大変な誤解を与えてしまったかもしれない(笑)。
そして、実際に道を間違えた人もいると思うんだよね。
『鍼灸の挑戦』と、現実の鍼灸業界はギャップがありますね(笑)。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
だからというか…『鍼灸の挑戦』を話題にするときには、同時にもう1冊の優れた業界レポートを話題にしてほしいと思っています。
もう1冊の鍼灸業界のレポートとは?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うん、さっき話した寄金さんが書いた『ツボに訊け!』(ちくま新書)ね。
鍼灸業界の「暗黒面」を描いて、「こんな酷いところもある」と警告を与えている。
あれを読んで積極的に鍼灸師になろうと思う人は…
少ない?
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うん。
でも、本当はあれを踏まえて鍼灸師を志すべきで、ぼくらの勇気が試されているんだよね。
今度しっかり読んでみます。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
うん。寄金さんならではのすばらしい本だと思うよ。
『鍼灸の挑戦』とは逆の取り上げ方ということですね。
ツルタ
ツルタ
松田先生
松田先生
『鍼灸の挑戦』は鍼灸学校バブルを象徴する書物、『ツボに訊け!』はそのバブルの崩壊を象徴する書物、とぼくは言ってるんだけど。
それにしても潰れるべき鍼灸学校がなかなか淘汰されない。
定員割れでもやっていけるぐらい多額の授業料を取っているわけで、まったく学校ビジネスの闇(病み)は深いね。

【参考文献】

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