正解は1つじゃない/鍼灸師:井口 智弘

「うちの学校にいい先生がいるんですよ」。

ある日、ハリトヒト。編集部にそんなタレコミが入りました。
その情報をたよりに取材を依頼したのが、京都仏眼鍼灸理療専門学校の井口智弘(いぐち ともひろ)先生です。

取材をして分かったのは、教員になるまでの道のりは決して順風満帆ではなかったこと。さまざまな経験にもとづいて、キャリアに悩む学生たちに「正解はないよ」と伝えているといいます。

井口先生に、教員になるまでの道のり、そして鍼灸師として生きていくための超現実的なアドバイスについて聞きました。

井口 智弘(いぐち ともひろ)先生

略歴
2014年 森ノ宮医療大学 保健医療学部 鍼灸学科 卒業
2014年 はり師・きゅう師免許取得
2019年 合同会社クレインフラップ 入社(鶴鍼灸院、亀整骨院、デイサービス鯉)にて勤務
2021年 明治国際医療大学大学院 修士課程 入学
2023年 明治国際医療大学大学院 修士課程 修了
2023年 京都仏眼鍼灸理療専門学校 専任教員 現在に至る

「食べていくのは大変だよ」から、5年間の浪人へ

今回のインタビューはある学生さんの「学校にいい先生がいる」という情報提供がきっかけです。後ほど教員としてのお話も聞きたいんですが、まずは鍼灸師になった経緯を教えてください。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
働くこと自体遅くて順風満帆に進んできたわけではありませんが、おかげ様で今は楽しく教員として働かせてもらっています。高校まで遡ると…野球をしていたのでスポーツトレーナーに興味があって、もともとは理学療法士になろうかと考えていたんです。

順風満帆ではなかったというのは?
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
じつは高校1年生が終わる頃に心房中隔欠損症という心臓の病気が見つかって、2年生のときに心臓に金属を入れるカテーテル治療を受けたんです。その後も調子が悪いのが続いて3年生のときに留年してしまいました。高校4年目で、少しずつ体調がよくなっていったこともあって、担任の先生のすすめで高卒認定(高等学校卒業程度認定)を受けたんです。

そこから森ノ宮医療大学に進んだんですね。なぜ森ノ宮を選んだのですか。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
治療後も体調は万全ではなくて遠方の学校は通えるか不安だったので、近くの大学に行きたい希望があったのと、たまたま通りがかりにオープンキャンパスに参加したときに雰囲気がよかったので受けることにしました。もともと理学療法を学びたいと思っていたのですが、スポーツトレーナーになるなら、ダブルライセンスとして鍼灸師の免許も取っていいのかなと、最終的に鍼灸科に入りました。

大学ではスポーツトレーナーを目指して勉強されたんですか。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
それが入学後は、そこまで興味がなくなっていましたね。むしろ東洋医学や鍼灸をしっかりと学びたくていろんな勉強会に顔を出すようになりました。
ただ、どうしても「鍼灸で食べていくのは大変だ」みたいな話を聞くことが多くて…。3年生になる頃には、鍼灸はとても魅力的だけど、「生活をしていく」、「医療現場で鍼灸を生かす」には、ほかの医療資格が必要じゃないのかと思うようになっていました。

学生の立場で勉強会に行ったら、鍼灸師は食えないって教えられたと……。それは不安になりますね。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
それで自分なりにどうしたらいいんだろうって考えた結果、シンプルに医師になって、鍼灸と両方できたらいいなと思いました。大学に4年間通えて体力面の自信がついたこともあったのと、高校のときにしっかり受験できていない後悔もあったので、医学部を受験しようと決意したんです。

医学部を目指すチャレンジはいかがでしたか。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
大学卒業後は就職せずに浪人して、5年間浪人し勉強を続けたのですが、結果は厳しかったです。その頃には同級生は鍼灸師として活躍し、なにより仕事をして稼いでいる現実を聞くと、段々と精神的にもきつくなって、元の道に戻ることにしました。

現場で経験を積んだ2年間

医学部受験をやめた後は、どのように次の道を探したんですか。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
とにかく働かないといけないと思って、近くの鍼灸院を調べていたら同級生がそこで働いていることがわかったんです。ちょうど求人が出ていたので、その同級生に連絡したら紹介してくれることになり就職が決まりました。

実際に働いてみていかがでしたか。特に体力的にはどうだったのでしょう。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
訪問鍼灸と鍼灸接骨院とデイサービスをやっている会社で、週に1日はデイサービスの機能訓練、残りの4日は訪問鍼灸に行ったり鍼灸接骨院で働いたりしていました。労働時間が長い日もあり、きついはきつかったですね。でも自分にとって、訪問鍼灸はすごくよかったんです。

訪問鍼灸のどんなところに魅力を感じたのでしょうか。はじめての現場が訪問鍼灸だと、1人だから不安だし、教えてくれる人がいないから勉強にならないって声を聞くこともありますが…。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
もちろん何かあったらどうしようという不安はありました。でも医療保険での訪問鍼灸となると、週に3回とか結構な頻度で同じ患者さんに鍼灸治療をするので、前回の治療がどうだったかとか、文献や代田文誌の『灸療雑話』載っている基本穴の治療法は本当に効果が期待できるのかとか、さまざまな検証ができて、とても勉強になりました。

学んだことを、現場で試して確認していく日々という感じですかね。そうやって経験を積んでいくのが大切な仕事だと思います。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
あと鍼灸接骨院で手技を勉強できたのもよかったですね。訪問鍼灸でも、利用者さんは機能訓練的な施術を求められることが多いので、その際に手技やストレッチをおこなったうえで鍼灸をするという経験ができて、非常に勉強になりました。

鍼灸するための手技は免許の範囲内だと思いますが、さまざまな立場や意見があるのであまり語られないテーマですね。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
実際手技をやった後の方が、患者さんがリラックスして鍼が入りやすいとか、経験の中で学んでいった感じです。最近、戸ヶ崎正男先生の書籍で、もともと日本では鍼より先にあん摩を修行していたと読んで、確かにそうだなと思いましたね。

臨床・研究・教育に1回は携わりたい

その会社では何年間ぐらい働いたんですか。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
2年間です。もっと働きたい気持ちもあったんですけど、ちょうどコロナ禍に入り「やりたい事があったらすぐ動かないと、世の中どうなるかわからないんだ」と思って、新しい道に進むことにしました。ありがたいことに家族が経済的な支援をしてくれるとのことだったので、辞めることにしたんです。

働きながらキャリアについて模索していたんですね。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
鍼灸をずっと続けていくのなら、よく三角形といわれる臨床と研究と教育の全部に1回は携わってみたかったので、大学院に惹かれたんです。その頃ちょうど同級生が教員として働いている話を聞いたのもあって、その「教えながら勉強している感じ」に魅力を感じました。

それで研究しながら鍼灸の教員資格も取れる、明治国際医療大学の大学院に進んだんですね。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
明治を選んだ理由は、『ハリトヒト。』で伊藤和憲先生のインタビューを読んだのも大きかったですね。養生についてのお話はとても刺激を受けました。
あとは、家族にも相談しながら通信制にするか、通学制にするか検討したのですが、訪問鍼灸で受け持っていた高齢の女性に「せっかく行くんだったら掛け持ちみたいなことをしたらもったいないよ」みたいなことを言われて、通学制に進むことにしました。

患者さんに背中を押されたんですね。大学院での研究テーマはどんなふうに決めたんですか。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
訪問鍼灸で働いていたときに、頻繁に読んでいた代田文誌の『灸療雑話』の「足三里と灸」が気になって、足三里のお灸と脚力について研究しようと決めました。なので、大学院の面接時には決まっていました。「足三里と灸」の内容は、戦時中の日本軍にお灸をする実験について書いてあったんですよ。毎朝の20キロのランニングの際に、Aグループは、走る前に足三里にお灸をする。Bグループはお灸しない。結果は、Aグループ(お灸をしたグループ)が、タイムが良く、疲れも残っていないと。

おお、興味深い話ですね。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
これを応用して、保健養生灸として工場で働いている肉体労働者の人に足三里のお灸をする活動を全国的にしたら、日本の経済力は高まるんじゃないかみたいなことまで、書いてありました。僕はこの研究の現代版をやりたくて。つまり足三里の灸で脚力が上がるかどうかを今の体力を測定する方法で科学的に検証したいと伝えて、大学院に入ることになりました。それで伝統鍼灸学分野の和辻直先生のゼミに入ったんです。

大学院で勉強する日々

大学院に進んでからはどうでしたか。別の大学から進学する人は少なそうなイメージですが…。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
最初はかなりアウェイ感がありました。もちろん別の大学から進学している先輩もいたのですが、ほとんどが大学卒業後すぐに進学してくるパターンなので、外部でしかも卒後しばらく経ってから、通信制じゃなくて通学するパターンは非常に珍しいと言われました。

大学院では基本授業を受けて、合間に研究という生活だったんですか。
ツルタ
ツルタ
井口先生
井口先生
指導教員の和辻先生が鍼灸センターに入る日は一緒に鍼灸センターに入っていました。それ以外は1年生のときは授業が割と多くて、合間にゼミが週1回ほどあり、調べた論文を発表していくのを、ゼミ生でローテーションしていました。そこで、どんな小さな発表でも、出典や参考文献を示すことは自然と意識するようになりました。
足三里の研究結果も気になります。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
同一被験者にA期間と、B期間を設けてランダム化クロスオーバー研究をおこないました。A期間のときは、台座灸を足三里へ3壮することを3日間おこなう。B期間のときは、台座灸を足三里へ15分間貼ることを3日間おこなう。そして、どちらも4日目に自転車エルゴメーターを漕いで、呼吸代謝の最大酸素摂取量を測って、同一被験者のAとBの呼吸代謝の変動具合を比較しました。

結果はどうでしたか?
ツルタ
ツルタ
井口先生
井口先生
3日間のお灸でも有意差が出ましたね。特に、運動継続時間・最大酸素摂取量(O2max)が、有意に上昇しました。最大酸素摂取量は、体力の指標になるものなので、当初の研究目的であった「足三里で脚力が向上するのか?」は、可能性としてあると思います。それを発表して修士号を取った形です。去年の全日本鍼灸学会学術大会の神戸大会で発表させてもらって、今は論文にまとめているところです。

挨拶がきっかけで教員の道へ

大学院、修士、専任教員って聞くとエリートっぽいですけど、挫折や回り道があって励みになる話だと感じています。その後、どういった経緯で教員になったのかも気になります。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
博士課程に進みたい気持ちもあったのですが、経済的な理由もあり就職しようと考えました。専門学校の求人に応募してはいたもののなかなか内定はもらえず、また、訪問鍼灸の治療院の求人でも探そうかなと思っていました。
そんな中で、たまたま学内で違うゼミの先輩の油谷先生とすれ違ったんです。会釈だけでも良い状況だったんですが、何となく戻ってきちんと挨拶したら就活の話になって、油谷先生の出身校である京都仏眼の校長先生に、その場で連絡してくれたんです。

ちゃんと挨拶せずにスルーしていたら、そんな話も出なかったわけですね。
ツルタ
ツルタ

井口先生
井口先生
そうなんですよ。本当に「挨拶が人生を決めるんだな」と思いましたね。それが2月なので、本当にギリギリのタイミングでした。

NEXT:「いい先生」というタレコミ

1

2
akuraku3.jpg

関連記事

  1. お灸は私の生きる道/鍼灸師:越石 まつ江

  2. 解明されていないから、一緒にやれる /鍼灸師:鳥海 春樹

  3. 自分の可能性をみつければ、次の形が見えてくる/鍼灸師:橋本 由紀子

  4. 鍼は医療機器だという意識がなさすぎる/タカチホメディカル株式会社 薬機事業部 総括責任者:甲斐 一紀

  5. eスポーツ×鍼灸 /鍼灸師:平松 燿

  6. 私だからこそできることがあるって思えるようになりました/鍼灸師:福森 千晶