鍼灸を探究し続けることで人生をずっと楽しめる/鍼灸師:樽井 智彦
話しかけられなかった中根先生との出会い

もともとは教員になる気はなかったんですが、あるときに研修先の帰り道で、現代鍼灸派の同期と議論になったんです。その方は教員志望で「お前もそんなにしゃべりたかったら教員になれよ」って言われて、じゃあやってみるかなと思いました。
そういう経緯で、今開業されている京都の地に、教員として赴任するわけですか。教員生活はどうでしたか。
いやあ、かなりハードでしたね……。東洋医学のコマだけではなくて、解剖学、生理学、医療概論、関係法規、鍼灸理論、臨床実習と受け持っていました。しかも、1年目で夜間の担任までしていましたから。
それはすごい。夜間だと年上の生徒が多かったですか。
年下は1人だけで、残り全員が年上でしたね。社会人としてのマナーは、学生さんから教わりました。そんな疲れきった日々の中で、ふと見たら、そこにあったんですよ。恩師である中根一先生の「鍼灸Meridian烏丸」が…。
毎日、疲労困憊で周囲もろくに観てなかったんです。中根先生のことはもちろん夏期大学で観て知っていた…というか、憧れていたので、鍼灸院が自分の行動範囲内にあるとわかって、うれしかったですね。そこからすぐに経絡治療学会の関西支部に入会しました。
「カッコいい先生がいるな」と憧れるだけで、話しかけるなんてとてもできなかったです。関西支部に行ってからというのも、中根先生のお人柄も含めて、虜になりました。
エステサロンで叩きこまれたホスピタリティ
学生の頃から経絡治療学会の教科書を読み込んでいたので、理論的に物事を考えるのが好きだったんですけど、中根先生が話す患者さんとのエピソードは、ちょっとそういう次元を超えているように思いました。鍼灸を業とするための考え方とか、臨床家ならではの話に惹きつけられました。
そうですね。中根先生のもとで学んだのは、ホスピタリティだったんだなと思います。
ツボの探し方やタオルのかけ方なども、患者さんにとって不快ではないやり方を探究する。施術中に快適な室温にすることや、施術後におこなう「アフターカウンセリング」も大切だということも学びました。
もっと中根先生の領域に近付きたいと思っていたときに、ラグジュアリーホテルのサロンのなかで働く鍼灸師を募集しているのを知り、すぐに応募しました。採用されたのですが、最初はサロンの人にコテンパンに怒られてしまって…。
エステティックサロンだったから、女性に対する気遣いが重要だったのですが、十分なものじゃなかったんです。店長と全スタッフにゲスト役になってもらい、実際の施術と接遇を行ったのですが、施術の内容以外に30個ぐらい問題点を上げられてしまいました。入って来た瞬間のご案内の仕方から、ゲストに対して自分がどの位置に立つかとか…。
椅子に誘導したときに「なんでそこに座らせたの? 中庭が見える位置なら、キレイなお花が楽しめますよね」と言われたこともありました。ほかにも、カルテを差し出す位置、話を聞くときの自分の振る舞い、ゲストの装いに応じた気遣いとか…。
タオルを1枚かけた瞬間に「あ、そんな感じですか? 性格出るよね」と呆れられたこともありました。というのも、エステを受けるときに相手は裸になるので、風を感じさせないように、一発でタオルの真ん中を脊柱に合わせないといけない。これが難しいんです。そのほか、体位変換のときのタオルの持ち方も重要です。全身を一枚で覆う大きなタオルを絶対に床につけてはいけません。ほかにも挙げだすとキリがないのですが…。
身体の触り方もいろいろと指摘されました。ちょこちょこ触ったり、さわさわ触ったりするのはNGで、常にゆっくりしたリズムの中でやるようにと指導を受けました。常にゲストの呼吸に合わせて、リラックスできるリズムでタッチしなくてはならない、という話もありました。それ以前に「何を言ってるかわからない」という注意もありましたね。
自分の中で中根先生を理想としたときに、それらの指摘は必ずしも的外れではないというか、中根先生の洗練された動きにも通じるものがあるように思いました。中根先生の奥様がエステティシャンということもあるかもしれません。
それで最近、中根先生が仕事で関わっているラグジュアリーホテルを、僕も一緒に担当させてもらうことになったときに、奥様にもチェックしていただいたんですよね。人生で一番緊張したのは、そのときかもしれません。
「まだまだ気遣いが足りてないと言われたらどうしよう」って思いましたけどクリアしました。とにかく相手がとる行動の先を読んで準備しておくことが大事なんだと今は理解しています。そんな経緯で、今はオーダーがあればうかがう形で、別のラグジュアリーホテルで鍼灸をおこなっています。
NEXT:臨床における患者への気遣いで効果も変わる