もし、ある日を境に視力が低下していき、目が見えなくなってしまったら、あなたならどうしますか?
杉野裕一さんが失明したのは、45歳のときのこと。
働き盛りにこれまでやってきた仕事も失ってしまい、毎日の生活は一変。まだ子どもは幼く、先が見えない生活のなか、人生に深く絶望したと、杉野さんは振り返ります。
しかし、現在は、視覚障がいを抱えながらも、鍼灸マッサージ師として活躍して、治療院を開業。失明するまでは全く縁のなかった鍼灸マッサージの世界が「とても楽しい」と笑みをこぼします。
杉野さんは一体、どのように絶望と向き合い、さまざまな困難を乗り越えたのでしょうか。
盲学校(視覚障害特別支援学校)で鍼灸を学ぶという決断から開業までのストーリー、そして、視覚障がい者ならではの治療技術について聞いてきました。
杉野 裕一(すぎの ゆういち)先生
【略歴】
1967年 長野県生まれ
2003年 住宅建設会社の代表取締役に
2014年 左眼失明
2015年 右眼の手術10回、会社を廃業する
2017年 長野県松本盲学校 高等部専攻科理療科 入学
2020年 長野県松本盲学校 高等部専攻科理療科 卒業
2020年 お城のにし治療院 開業
失明してもとの仕事ができなくなった
杉野さんのことは、Twitterでずっと拝見していました。
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杉野先生
ありがとうございます。ちょうど盲学校に入った頃ですよね。
そうですね。「これから、どうしたらいいんだ」という時期だったのかなと思います。
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杉野先生
視覚障がい者になって、それまでの仕事ができなくなってしまったこともあって、本当に困っていましたね。
視力を失うまでは、どんな仕事をされていたのですか。
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杉野先生
家業を継いで、住宅の工務店を経営していました。ただ、もともとやりたい仕事ではなかったんです。工務店に入る前は、世界を放浪する報道カメラマンになりたくて、東京でカメラマンアシスタントをやっていました。
家業を継ぐことに抵抗感があったんですね。
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杉野先生
なにしろ、子供のころは自宅にお弟子さんが一緒に住んでいるような状態で、厳しい世界を知っていましたからね。典型的な「職人の家」で、自分にはとても無理だと思っていました。結果的に、鍼灸の世界も職人の世界なので、通じるところがあって馴染みやすかった部分はあるかもしれません。
避けていた家業にかかわるようになったのはなぜですか。
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杉野先生
「カメラマンで食べていくのは、自分には無理だな」と思っていたときに、母親が倒れたこともあって実家に帰ったんです。
職業訓練校で大工の技術も習ったのですが、すごく不器用で…。それで営業やデザインを担当するようになって、父親から会社を受け継ぐことになりました。まさか自分の目が見えなくなるなんて、全く考えもしなかったころのことです。
職業訓練校で大工の技術も習ったのですが、すごく不器用で…。それで営業やデザインを担当するようになって、父親から会社を受け継ぐことになりました。まさか自分の目が見えなくなるなんて、全く考えもしなかったころのことです。
「このまま目が見えなくなる」という恐怖
失明されたのは、工務店を経営するなかで体を壊されたということですか。
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杉野先生
そうですね。当時は、営業も設計も現場管理もほぼ一人で担当していて、かなり忙しかったんです。20年弱ぐらい病院には1回も行きませんでした。
健診も受けていなかったんですか。
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杉野先生
ええ。そんな状態ですから知らないうちに病気になっていて、40歳頃に「特発性拡張型心筋症」という心臓の病気になってしまいました。幸い、心臓の病気は治ったんですが、今度は糖尿病になっていることが判明しました。軽い高血糖の状態が15〜20年続いていたらしくて…。毛細血管が傷ついてしまい、目が悪くなってしまったんです。
ある日、急に見えなくなったという感じですか。
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杉野先生
はい。急に片目が見えなくなって病院に行ったら、「糖尿病のせいだね。早めに治療していれば、こんな状態にはならなかったのに…」と医師から言われました。一度、進行したものはもう戻らないことも、そのときに知りました。
おいくつのときですか。
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杉野先生
45歳です。
そのときは片目の失明だったんですよね。
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杉野先生
そうです。最初に左目が見えなくなったんですけど、右目は見えるから仕事は続けていたんです。でも「放っておいたら1年以内に右目も見えなくなる」と言われて、右目の治療を始めました。
どんな治療を受けましたか。
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杉野先生
症状としては、網膜に「新生血管」という新しい血管ができてきます。その血管が網膜自体を引っ張って剥がしちゃうんです。なので、治療のためにレーザーで新生血管を焼くのですが、医者からは「少し焼いたぐらいじゃ間に合わないから、真ん中だけ残して周りは全部焼いちゃおう」と言われました。左目が失明した後、1年間に10回ぐらい右目を手術したんですけど、手術する度にどんどん見えなくなるんですよ。
削られていくような感じですよね…。
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杉野先生
1年の半分は病院にいました。手術のおかげで、今も真ん中だけ見える状態です。ちょうど5円玉の真ん中の丸みたいな感じです。ただ、視野の欠損率が約95%なので、普通の人の約5%しか見える範囲がないんですよ。
見えているところは、どんな感じなんですか。
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杉野先生
見えているところも、ずっと霧がかかったみたいに白くぼやけているんです。視力自体も0.04とかだから、本当に狭い範囲のものを、大きくすれば見えるくらいで。「雪が降ったかな」と山を見ても直接は見えなくて、スマホで写真を撮って拡大すればようやく見えます。
失明したときは、どんな気持ちでしたか。
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杉野先生
かなりきつかったですね。手術を受けると、両眼ともに何も見えない状態で2週間ぐらい過ごすことになります。何度も「このまま見えなくなるんじゃないか」という恐怖におそわれました。最もつらかったのは、当時は子どもがまだ小さかったので、「成長していく姿はもう見えなくなっちゃうかな」と思ったことですね。
お子さんのことを考えると、なおさら将来の不安もわいてきますよね。
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杉野先生
何回も入院していると、同じ病室に目の手術を受ける患者さんが必ずいるんですよ。目が見えなくなって、泣いている人が毎回いました。「死にたい」と言っている人もいましたね。視覚障がいに途中からなるっていうのは、本当にしんどいです。
大変なショックだと思います。
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杉野先生
「障害の受容」と言って、受け入れられれば乗り越えていけるようになるのかもしれないけど、受容が終わっていない人は無理なんですよ。言われたことを、ただやるぐらいしかできないと思います。
視力を失ったことで自分を責めてしまう。でも、本当はその人の価値が失われたわけではないんですよね。
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