SNS上で「横山 奨」の名前を見かけない日はない。
それくらい横山先生の名前はFacebookやTwitterで浸透している。
臨床もこなし、日本の伝統鍼灸への造詣も深い。
ネット上では敬意をこめて「横山大先生」なんて愛称もついている。
大先生とは「手の届かない遠い存在」なのだろうか?
インタビューの間、かわいいマグカップで水を飲みながら「これ、娘のコップなんだよ」と微笑む姿を見せてくれた。
目の前にいたのは「等身大の横山 奨」だった。
「30代、新進気鋭の伝統系鍼灸師」と紹介されることが多い横山先生。
だけど、目を細めて笑いながら彼が語ってくれたのは、意外にも、たくさんの挫折、葛藤、そして努力にあふれたお話でした。
※横山先生とウラベとツルタは、以前から面識があったため、全編を通じてフランクな口調でのインタビューになっております。ご了承ください。
横山 奨(よこやま しょう)先生
2002-2006 日本大学文理学部体育学科
2006-2009 東洋鍼灸専門学校
2008-現在 アイム鍼灸院開業
2010-2016 アイム鍼灸院 吉祥寺 開設(16年に譲渡)
2011-現在 アイムヨガスタジオ開業
2011-現在 アイムプラス開業(スタッフ用店舗)
2014-2017 明治国際医療大学大学院(通信制)鍼灸学研究科入学-卒業
2015-現在 谷桃子バレエ団監事
2016-現在 医療法人社団ひのき会 証クリニック附属鍼灸臨床研究所 設立
2017-現在 東洋鍼灸専門学校非常勤講師
2018-現在 明治国際医療大学研究生
日本伝統鍼灸学会 理事・編集部長
全日本鍼灸学会認定検討委員会テキスト作成委員会委員
鍼灸臨床研究会東方会講師
日本伝統鍼灸学会発表奨励賞受賞
横山奨の恋
嫁さんは学年が1つ上の先輩。年齢は6個上だね。
奥さまは鍼灸の専門学校に入る前は、何か別の仕事をしていたの?
嫁さんは大卒で就職して、ゴリゴリの営業職で4〜5年、勤めていたみたい。
…それで、横山先生は奥さまのどこに惹かれたの(笑)?
若いころって、いろんな人とお付き合いするでしょ?
そのときに、オレに何か影響を与えるような人っていなかったんだよね。
オレの琴線に触れるような人はいなかったの。
その人がいることによって、オレが何か行動を起こすということが、基本的にはなかったのよ。
いろいろ話したりしていくうちに、この人といると自分がエンパワーメントされるなって感じがしたのよ。
だから、この人と一緒にいたら、今よりもちゃんとした生き方ができそうだなと思った。
当時、オレは23歳で、嫁さんは6歳年上だったから、というのもあるけど。
だから「結婚したい」って言ったのよ。それで在学中に付き合い始めたの。
横山奨の下積み
富山医科薬科大学の助教授を退職して、その後、富山で檜山医院という漢方内科を開業していたのよ。
けど、檜山先生の本当の夢は、東京のど真ん中で漢方専門で開業することだった。
それで東京に開業したのが「証クリニック」。
檜山先生は、鍼灸と漢方は漢方医学の両輪だから、鍼灸と連携したいと考えていたんだよね。
そこで、いろんな縁があって、嫁さんが証クリニック内での鍼灸を担当するようになった。
で、証クリニックの支援のもとで、アイム鍼灸院を開業したの。
オレは社会人経験がなかったから、毎日毎日嫁さんに怒られたし、医療事務では理事長の奥さんに罵倒された。
かなり鍛えられたね(笑)。
しかも、そういう事務的な。
実は在学中に、スポーツマッサージ系のリラクゼーションのバイトしていたこともあって。
それで、卒業してからは、アイムでは鍼だけにした。
最初はマッサージもしてたんだけど。
そうしたら鍼だけの方が評判が良くて、患者も付いたわけよ。
今となっては、実際手技が下手だったかどうかは、わからない。
だけどマッサージではダメで、鍼だとフィットすることに気付いたんだと思う。
これは鍼自体がすごいのか、自分が鍼にフィットしてるのか。
やり方が良かったかもしれないし、アイム鍼灸院という箱が良かったかもしれないよね。
クリニックと提携している、という優位性かもしれないし。
オレの中でしっくりいったの。
オレが通ってた東洋鍼灸専門学校は、脈診とか東洋医学的な身体の診方をしっかり教えてくれる学校だったのよ。
でも、せっかく習ったのに、マッサージではうまく活かせないわけで。
今はともかく、当時は全然できなかったんだよね。
そういうのもあって、自分には鍼がフィットするなと思っていたのね。
医療事務はだんだん出来るようにはなってはいたけど、でもやっぱりうまくはできないわけよ、保険の知識とかもないし。
アイムの事務仕事もなかなかできない。地獄のような1年だった。
だって国試の勉強もしないといけないわけよ。
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