「ない」ことベースでやっています/鍼灸師:三輪 正敬

こんにちは、ゆうすけです。

今回のインタビューは、東京都調布市で敬風堂鍼灸院を開業されている三輪 正敬(みわ まさたか)先生です。
災害鍼灸マッサージプロジェクトの代表と、いやしの道協会の副会長を務められています。

みなさんは「災害鍼灸マッサージプロジェクト」をご存知でしょうか?
東日本大震災によって多大な被害を受けた宮城県にて、鍼灸マッサージ治療によるボランティア活動を契機に発足した団体です。
現在も被災した地域の要請に応じて、日本各地で活動をしています。

【災害鍼灸マッサージプロジェクトの目的】
・鍼灸マッサージ治療を通じ、被災者を支援する
・鍼灸マッサージ治療を通じ、支援者を支援する
・被災者、地元支援者の健康管理に寄与する
・地元の鍼灸マッサージ師への支援

ぼくは、2019年10月に千葉県を中心に被害をもたらした台風災害の復興作業者への支援活動に参加しました。
その時に三輪先生と災害鍼灸マッサージプロジェクトの活動を「ハリトヒト。」で紹介したいと思ったのが、今回の記事を企画したきっかけです。

三輪 正敬(みわ まさたか)先生

東京都立国立高校卒
東京都立大学 人文学部心理学科卒
東洋鍼灸専門学校 本科卒
敬風堂鍼灸院を開院(東京都調布市)
横田観風先生に師事(いやしの道協会)
共著に『あはき心理学入門』(ヒューマンワールド)

 

看板のない鍼灸院

お会いしてからずっと憧れていたので、三輪先生にインタビューできて嬉しいです。
ゆうすけ
ゆうすけ
三輪先生
三輪先生
千葉ではお世話になりました。遠いところにお越しいただきありがとうございます。
ここは自宅兼治療院ですか?
ゆうすけ
ゆうすけ
三輪先生
三輪先生
そうです、祖父母の家だったのを治療院にしたんですよ。隣が実家で、私は中学からここで育ちました。
ご実家だったんですね。
ゆうすけ
ゆうすけ
三輪先生
三輪先生
今から13年前、卒業後すぐに開業したんですけど、そのとき祖父が老人ホームに移ることになって、ここが空き家になるということで借りました。
私は大学では心理学を専攻していたのですが、日本の家裁調査官(心理職)の先駆けだった祖父は、せっかく孫が心理士になると楽しみにしていたのが、鍼灸師なんか(笑)になったのでガックリ。
それで看板は出すなと言われたので、仕方なく看板もホームページもなしに始めて、祖父が亡くなった後もそのままです。
看板もホームページもなしで、どのように患者さんを集めたんですか?
ゆうすけ
ゆうすけ
三輪先生
三輪先生
ここは紹介で来られる方のみです。はじめは友人や親の紹介、なんとか治すとその紹介でコツコツと。駅前のように見ず知らずの飛び込み患者さんは一切来ない。
ですから結果的に今の仕事はノーストレスで、祖父に感謝しています。
開業当初から患者さんって来てくれました?
ツルタ
ツルタ
三輪先生
三輪先生
最初の1カ月でいらしたのは友人からの紹介の一人だけでした。最寄り駅から徒歩15分、何しろ誰も知らない治療院ですから当然と諦め、学生時代の心理職や教習所の教習員などいくつかの仕事を掛け持ちし、患者さんが増えるにつれてひとつひとつ、3年かけてほかの仕事を辞めていきました。
ちなみに災プロの活動が始まった時は、開業4年目で軌道には乗っていましたけど、まだ患者さんがそれほど多くなかったので、被災地支援に動きやすかったというのはあります。
最初は他の仕事もしていたとはいえ、積極的な集客をしないで13年も続いているんですね。
ツルタ
ツルタ
三輪先生
三輪先生
宣伝を諦めていたのが結果的に患者さんからはゆったり見えてよかったのでしょう。今は家族も養えていますし、稼ぐという点では鍼灸だけでちゃんとやれています。
卒業してすぐ開業するというのは、いつ頃から決めていたのですか?
ゆうすけ
ゆうすけ
三輪先生
三輪先生
そもそも大学の就職活動の時点で会社は合わないと思っていたので、鍼の道に進んだ時点で、勤めることは考えてなかったです。
一人の手の届く範囲で丁寧にできるところがいいと思っていたので。
現在は病院でも働いていましたよね?
ゆうすけ
ゆうすけ
三輪先生
三輪先生
いやしの道協会に所属するドクターが引っ張ってくれて、週1だけ埼玉県北部にある地域の大きな病院に行っています。
ぼくは東洋医学をベースに治療をしていますが、もともと西洋医学と一緒にやっていくのがとても大事だと思っていたんですよ。
そう思った理由というのは、何かありますか?
ゆうすけ
ゆうすけ
三輪先生
三輪先生
専門3年生の春に、とても仲のよかった高校時代のラグビー部同期から「腰が痛いんだけど診てくれないか、でもお前じゃ心配だからいい先生紹介してよ」って連絡がありました。
それで近場の鍼灸院に連れて行ったけど治らなくて「おかしいな、ちょっとまた来てね」って帰されたんですね。
なるほど。
ゆうすけ
ゆうすけ
三輪先生
三輪先生
やっぱりおかしいということで病院に連れて行ってみたら、末期がんでした。
よくよく聞くと、彼には突発的な発熱や、異常な寝汗、安静時痛などがあったんですよ。
腰痛を訴えるから腰痛のツボを見るのではなくて、ちょっと問診して教科書や医学書をみれば、少なくとも「また来てね」とは言わないですよね。
本来なら病院の受診を勧めないといけなかったのに、いわゆるレッドフラッグを見逃してしまったということですね。
ゆうすけ
ゆうすけ
三輪先生
三輪先生
あの時は東洋医学って、医学と呼べるのだろうかと思いました。これが西洋医学と一緒にやっていこうと思ったきっかけです。

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